見出し画像

ネイティブ・コーチ

ネイティブ・コーチということばを最近知りました
ネイティブコーチという言葉は、コーチ・エィのプログラムで学習していると、ときどき目にする言葉です。

コーチングは、新たに「発明された」というよりは、「発見された」ものです。

もともと人の育成に長けている「ネイティブ・コーチ」(もともとコーチの資質を持っている人)たちのコミュニケーションを観察、分析して体系化したもので、そこからトレーニングで身につけることが可能なスキルとなっていきます。

ウェブサイト Hello, Coaching! 「コーチングの歴史」、より 

学校の先生、会社の上司や先輩、スポーツの監督やコーチ、そして医師やナースなどの中で、部下や後輩、選手やクライアントの自発的な行動を引き出したり、強みを見つけ出すのがとびぬけてうまい人たちがいます。

彼らに出会うと、勉強に対する意欲が上がり、問題に対する新しい視点を見つけることができます。自分に対する自信や信頼を高めていくこともできるようになります。

彼らのような人たちを「ネイティブ・コーチ」(もともとコーチの資質を持っている人)と呼んでいます。彼らは潜在的にコーチングのスキルを持っています。彼らのメソッドにはそれぞれ特徴があり、共通する点が多く見られます。

たとえば、人に物事を教えるときに、自分の考えや経験を押しつけるのではなく、相手の許容量や価値観などを聞き出しながら、彼らが自分から仕事についての情報をとり、自ら学べるようにします。また、目標やゴールについて折に触れて話題にし、焦点を絞っていきます。

そんなネイティブ・コーチが、

・部下とどのように接しているか
・どんな会話を創り出しているか

それらを観察し、共通した特徴を集め、標準化したものが「コーチング」です。

ウェブサイト Hello, Coaching! 「ネイティブ・コーチ」より

よくわかります。コーチングとは、発明されたものではなくて、これまで存在してきた人々の特徴をまとめあげたもの。

そういう意味では、コーチングは時間の経過とともにまとめあげられてきたもの。大袈裟にいえば歴史的な背景をもったもの、なのかもしれません。

日進月歩のコーチング業界ですが、コーチ・エィのプログラムでもことあるごとにこのスキルの歴史性が強調されているようにも思われます。

ところで、僕がこれまで受けた学校教育について考えてみる。

僕は40歳、どちらかといえばスパルタ式の運動部、体育会系的文化を経験してきました。あるいは学習面ではどちらかといえば詰め込み式の教育の中で育ってきたようにも思います。

世代的に、日本の普通の教育を受けてきた現在の40歳前後の人々にとっては、ネイティブコーチとしてすぐに顔が浮かぶような人がいれば、その方は幸せな方かもしれません。

コーチングの大原則は、コーチとクライアントの対等さ。対等な立場で話ができる人が、若いころそばにいたでしょうか。

思い当たるのは、両親。とくに母親でしょうか。小学校の教師だった母は、人を育てることにとても長けていました。また、スポーツのコーチで考えると、セリンジャーという人の指導や生き方には大変な影響を受けました。

また、スポーツという領域で出会ったひとは多かったのですが、ある先輩の姿というのは、ネイティブコーチだったかもなと思っています。僕はその人の影響でコーチングを勉強しています。別にコーチをしていただいたことはないのですが、何となくオーラを感じた人でした。

教師として、いま十数年やってきましたけれども、コーチングの勉強をはじめて思うことは、できればコーチ的な教師として残りの教師時間を過ごしたい、ということですね。若い頃にコーチに出会うことは、たぶん若者たちにとってとても意味があることだろうと思うからです。ネイティブコーチに出会う可能性は、たぶん現代の若者にとってもそう大きくないだろうから。そうしてできれば、いつかこども達や保護者のコーチとして創業したい。

そんなことも考えながら勉強しています。


いいなと思ったら応援しよう!