
猪熊葉子氏を読みたい
猪熊葉子氏のことをはじめて知ったのは、このnoteを書き始めてからでした。僕はサトクリフの訳者としても、児童文学の研究者としても名高い猪熊氏のことを、知らずに大人になってしまいました。
はじめてサトクリフを読んだときはあまりの素晴らしさに衝撃を受けました。しかし、その衝撃をサトクリフとともに作り出していたのが、訳者だった猪熊氏だったのでした(このnoteでは、サトクリフの作品について考えたことは、マガジンでまとめています)。
僕はいま、児童文学に関心を持っています。
いまの地点へといたった道順をまとめてみたいと思います。
職業は歴史教師
→歴史への興味
→教師として歴史を生徒にどう教えるべきか
→歴史教育を受ける前、こそが大切なのではないか
→ということは、こども時代に、歴史に親しむことが必要なのではないか
→児童文学から「歴史感」を養うという可能性
→自分も創作が好きである
→授業をしながら、歴史の勉強、児童文学の勉強へ
→いつか歴史感がやしなわれる児童文学を作りたい
→そのためにいろいろなものを読んで、勉強したい
→児童文学史が気になる
こういう道をたどってきた僕は、このnoteを書きながら、児童文学を読み、思ったことや歴史感が養われそうな部分について考えたりしてきました。
さて、何かを学ぶときにはビブリオグラフィーが必要であることを、僕は20年前に教わりました。だからきっと児童文学研究にもそれは必要なのだと思いました(僕は、一方ではコーチングを学習中ですが、そちらのビブリオグラフィーはこちらです)。
しかし、手当たり次第児童文学を読んでいても、研究史にふれる機会を得られなかったというか、作り出せずにいました。
まあそれはそれで、作品をとにかく読んでいくことも大事だからよいのだと、自分に言い聞かせていたのですが、頭の中でずっとゆるく抱えてきた課題でした。
さて、前置きが長くなりましたが、要するにその鍵を見つけられた喜びを今日は綴りたい。ついに見つかったのです。
だけど、喜びは大きな悲しみ、後悔をともにつれてきています。
そう、つまりその鍵、というのが猪熊葉子氏その人の著書を読むことでした。
僕はまだそれをやっていない。
もっと早く気づかんかい。
本当に、いまさらでした。
昨年の11月19日のこと、でした。
猪熊氏は、児童文学研究に生きた偉大な文学家。ご自身の生き方と研究が結びついていた、そんなお方だった、と拝察しています。
僕がこのnoteで児童文学の世界と歴史について、関心を深めていくきっかけになったのが、サトクリフ&猪熊氏の『ともしびをかかげて』。
こちらの記事を書いたのは、2年以上も前。
ああ、僕に天性の勘の良さがあれば。
サトクリフの仕事にも、猪熊氏の仕事にも、このときに素晴らしさにはきづいていたのだけれど…
どうしてこのときに、猪熊氏の本を読んでいこうと、方向を決めなかったのか……
生来の勘のにぶさ、だけでは説明がつかない気もするな。
忙しかったのかな…本当に残念な道順だな…
なんにせよ、悔やしくてたまらないのです。
このときに猪熊氏のお仕事にもっとふれて、読み込んでいけば…
今とは違う道が開けたかもしれないじゃないか。
それに、万にひとつの可能性だったかもしれないけれど、お会いできたかもしれないじゃないか…
さて、この猪熊葉子氏の本を、2025年の2月に入って、手に入るものをいくつか注文しています。届いた本を少しめくってもいます。
まず読もうと思っているのはこちらです。
猪熊氏のガイドを受けて、すばらしい児童文学の歴史が語られていく、そんな感じがしています。
おそらく、猪熊氏の本から、児童文学全体をつかむビブリオグラフィーができあがっていくのではないかな、とも思って、わくわくしています。
それにしても…
僕は間が悪い。
それって、これまで何人にも言われてきたけれども。
偉大なジャズマンが世を去るたびに思うことでもあります。