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フィリパ・ピアス 『まぼろしの小さい犬』
僕にとってのこの本:
こどもは壮絶な時間をいきる。ほしいものは何か。想像力とは何か。おとなができることと、できないこと。こどもができることと、できないこと。
1962年の作品。訳は、いつもながら本当にすばらしい猪熊葉子さん。猪熊氏は、サトクリフ・シリーズでおなじみですが、毎回ほんとうに素晴らしい。
猪熊氏は、本書は少年少女にむけた「リアリズムの書」だと、訳者あとがきで書かれていました。
すごい本でした。これは本当に今年読んだもののなかでも大変すぐれた本だという印象、衝撃を受けました。
ベンはロンドンっ子。これといって不幸な人生ではないけれど、満たされないことがある。ベンは大人たちに愛されている。でも、ベンはたぶん、だれかを愛することで得られるものがあることを、学ぶ年齢になったのでしょう。
彼は犬がほしい。そして、彼に祖父母がかかわる。祖父母の描かれ方は、朴訥で愛情にあふれるけれども、ベンと対等な関係です。
ここにもありましたか、「年少者にかかわる年長者」です。今回もまた僕の好きなこのテーマです。
ベンのように、愛情が何かをまなびとる時分のこどもにとって、想像力は救済です。だが、救済にもなる反面、同時に命取りにもなる。本作では、少年が受けていく痛みは、文字通り命の危機として描かれる。フィリパ・ピアス氏が、いかにこどもを認め、大事にし、対等に描こうとしているかがわかります。ベンは、何不自由ない少年。だけれども、彼はほんとうに苦しむことになるのです。
ほしい犬が手に入らないから。
ほしいものが手に入らないから。
ほしいものが手に入らないのは、自分だけだから。
ベン、家族、祖父母、それぞれは懸命に生きています。だから、みんなが知っている。ベンは、向き合わなければならない、乗り越えなければならない。
とくにおじいさんは知っている。見守ることしかできないけれど、それがベンに必要だということを。
少年が痛みをともなう通過儀礼を通過し、学びを得ていく物語でした。
すばらしい。
このようなテーマが、すぐれた描写のなかで淡々と展開されていきます。
ロンドンといえば霧なのでしょうけれど、少年の心のモヤモヤと並べて描写されます。ロンドンの霧は、ベンの心。
あらゆる目標となるもの、見なれたものが、みんな霧のなかにとけこんでいる。道をさぐるようにして家路をたどる歩行者たちは、それでも、のろのろとすすむ車を追い越していく。霧がふかくなるにつれて、歩行者は、半分歩道に乗り上げてみすてられている自動車に、ひょっこり目の前で出くわすことがある。そんな状態になると、やっと無事に車庫にたどりついたバスは、もう二度と危険な霧のなかへ出ていこうとはしなくなる。
ほしいもの、理想の犬を見つけた少年のことばです。
「ものを見てつかれるんじゃないんだよ。」ベンは注意深く言った。「見ることにあきたんだよ。見えるものといったら ーいつも同じようにかわりばえしなくてさー やたらにかさばって、ばかでかいばっかりでー大きすぎるし、たいくつだし、とりえがないし、それがまた、いつもおんなじようにたいくつな、かわりばえしないやりかたをくりかえしてるものばかりなんだもの」
作者は少年に試練をあたえます。その点は、僕の敬愛するヘルマン・ヘッセの『デミアン』を思わせます。
書かれたのは1962年。冷戦中期。ビートルズのデビュー年。
猪熊氏が翻訳したのは、1970年だったそうです。ビートルズの解散年。
歴史的背景や、作家フィリパのことをもっと知りたいと思いました。
こどもに関わるすべての人におすすめしたい。親、祖父母、教師、塾の先生、スポーツ指導員、近所にこどもがいるすべてのおっちゃん、おばちゃんたち。すべての年長者たちへ。
サトクリフの作品や、こちらの『飛ぶ教室』と同じように、作家はこどもに試練を与えます。
そうとも、そうでないと、いけません。こどもは、試練を買ってでも受けるべきなのだ。肝心なときに、親も祖父母も、きっと見守るだけなのだ。
本書には小川洋子氏の短いエッセー(2019年)もついています。小川洋子氏、僕の敬愛する作家です。すばらしいエッセーでした、共感いたしました。小川氏はひかくてき最近、この文を書かれたのですね。
彼は子ども時代から、一歩、ぬけだそうとしている。より広い世界へ羽ばたくための準備を、整えている。彼は想像する力によって、人生の一大事をやり遂げようともがいているのだ。少年の支えになるのは、一匹の小さな犬。彼は犬であり、犬は彼である。もうそこに境界線などない。
フィリパ・ピアス、またまたはずかしながらよく知らない方でした。でもこのひとのことは調べてみたいと思いました。
代表作『トムは真夜中の庭で』は「時」をテーマとした1958年の作品。氏は同著でカーネギー賞を受賞しました。サトクリフも同賞を受賞しています。
『まぼろしの小さい犬』はその4年後、作家が42歳のときの作品でした。