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感想 「コーチカーター」 にみるアクノレッジメント

僕はコーチングを学んでいる40歳の歴史教師です。

前回につづき、今回は、カーターコーチに学ぶコーチング、第2弾です。
本記事ではカーター氏のアクノレッジメントの素晴らしさをみてみます。

カーターコーチは、バスケットボールのスポーツコーチです。
1990年代の終わりにリッチモンド高校で奇跡のようなチームを作りました。

1990年代は、アメリカで最初にコーチングの実践例が蓄積されてきたころで、研究成果がおおく報告されはじめたころでした。また、日本へは、いちはやくコーチ・エィ様がコーチングを日本に本格的に導入し始めた頃だと思います。

カーター氏のコーチングのあり方は、今、2020年代に見たときに違和感のないものです。ということは、1990年代の日本のスポーツ指導のあり方からすれば、かなり異色だったと思われます。先端だった、といってもいいかもしれない。

余談ですが、僕は1997年から2003年まで、文字通り「血反吐を吐くような」スパルタ指揮のスポーツ指導を受けてきましたので(バレーボール)、それからすると、僕が血反吐をはいていたころ、アメリカで大いに注目されたスポーツ指導のあり方が、この映画からは窺い知れて興味深い。

僕がコーチ・エィアカデミアで学んだ限りのことでいえば、コーチングにおいては、コーチと選手は、対等な関係でなければなりません。そして、個別対応を原則とします。コーチングの3大原則は、こちら。

・インタラクティブ(双方向)
・オンゴーイング(現在進行形)
・テーラーメイド(個別対応)

ただ一方、スポーツコーチは指揮官でもある。
スポーツは、元来、「戦い」や、「狩猟」の要素を含むもの。それは歴史的なうらづけがたぶんある。戦いや狩猟の記憶は、人間のDNAに刻まれている
チームスポーツのスポーツコーチは、おそらく「対等であること」と「指揮官」であることの両方を求められるのでしょう。

また、テーラーメイドがコーチングの「ベスト」な形であるとするならば、集団に対して「ベター」を探すことも必要。

90年台のカーター氏は、「指揮官」と「対等」の間をよく行き来します。「ベスト」と「ベター」の間をいつも狙っている感じ。

さて、アクノレッジメントは、次に向かうエネルギーを対象に与える行為です。この本にもそうあります

アクノレッジメントは、タイミングを逃してはいけない。存在の承認は、対象が存在感をはなったときに、間髪いれずに行うのが理想なのです。そして、誰がアクノレッジするのかも、とても重要。信頼する人にしてもらわなければ、効果はないのだ。

カーターコーチのアクノレッジメントは実にすばらしい。
とくに、ベストを尽くして負けた選手たちへのアクノレッジメントは、すばらしい。
サミュエル・ジャクソンの演技もすばらしい。

君たち全員を誇りに思う。
この4ヶ月で、
君たちは、選手ではなく生徒になった。
君たちは少年ではなく、大人になった。
胸を張って帰ろう。
君たちに心から礼を言う。

試合終了後、ロッカールームにてカーターコーチのセリフより(ママではない)


さて、すこし忘れていたけれど、映画を見て思い出したことがありました。
僕がどうして教員になり、そしてコーチになりたいのか、ということについて、です。

そうだ、それは、人を支援する仕事だから。
とくに、前者はこどもを支援する仕事だから、です。

そんなこと、20代の頃、よく志望理由書で書かされたっけな。僕は、支援者になりたいと、いつも書いていました。書類は無敵だったな、書類で落ちたことはなかったな。面接や筆記でやられてましたね。

その後、僕は40になり、コーチングをはじめて、語彙が少し増えました。
おかげで今回、「コーチカーター」を見て、より正確に自分の原点を言語化することがきるような気がしました。

つまり、僕は、だれかをアクノレッジしたいと思っていたんです。特に、こどもたちを。

だからこの職業を選んだのでした。
ときどき忘れそうになるな。

こどもたちの試練に、立ち会いたい。
そして、乗り越えたこどもたちを承認したい。
そういう思いが、自分の原点にあります。

そして、僕がそういう考えにいたったのは、スポーツコーチをした経験が大きかった。

昔、僕がスポーツコーチだった頃、僕はカーターコーチのようになりたかった。

僕が「血反吐を吐いて」練習していたときのことや、スポーツコーチをしていたときのことは、またいつか書いてみたいと思っています。


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