見出し画像

スタンド・バイ・ミー、それ、絶対ダメだったよ

※5400文字ほど。
お暇ありましたら読んで下さい💦

近頃の私は、
「自然が大好き♡」とか、
「植物が…♡」「鳥のさえずりが…♡」
「どんな経験も無駄ってことないな」
とか、とか。
日常に感謝したり、
愛でるものが増えたりしている。

歳を重ねる毎に、今まで気づかなかったことを知ることができた。

清らかで純粋な赤ちゃんにでも
戻った気でいる。…時もある。

だが、その一方、そんな自分が、
自分の全てではないことも
もちろん知っている。

それを改めて感じる今日このごろ。


私はnoteのコメント欄が大好物で、
コメント欄を見てはニヤニヤしている。
もちろん、記事あってのコメント欄だから
記事の内容に基づくのだけど、
コメント欄は記事以上に素が出ている気がして、ウラ話みたいなのも知れるので楽しくて
しょうがない。

そんな中で、子ども時代を思い出させるようなエピソードが話されていたりする。
同じような事をしてきた話しで盛り上がったり、懐かしく楽しい。

それをきっかけに、自分の子ども時代の
エピソードを引っ張り出して振り返って
みた。

…やっぱりちょっとダメだった。

とてもじゃないけど
「清らかで純粋な赤ちゃん」なんて
言えない自分がいた。

よくそんな事を図々しく思えたもんだ。と
ほざいてしまったことが恥ずかしくなる。

しかし、これもまた私なのだ。

非常に非常識…
…できれば嫌いにならないでほしい…



私は四姉妹の末っ子だけど、
3番目の姉ですら6歳も離れている。
2番目の姉とは8歳差。
一番上の姉とは、なんと13歳。
なので、私が幼少期の頃、姉たちは皆
仕事やら学校やらで居なかった。

幼稚園に入るまでは家にいたので
6歳になる歳まで日中はほとんど1人遊び
だった。

めちゃめちゃ小さい庭の一部を掘り返し、
土に水を加えては夢中で泥団子を作り、
平たくして泥クッキーも作り、
天日で乾燥させて犬に食べさせようとしたり。…自分でも味見してみたり。

日々、新しい遊びを考え、挑戦してきた。

幼少期の一番の挑戦は、
…忘れもしない。



「立ちしょん」だった。



・・・あー。言ってしまった。

しかも、一度じゃない。
何日もかけてチャレンジした。

足の開き方かな?
勢いかな?
子どもながらに一生懸命考えた。

トイレでしてみたら足を伝っただけの失敗作で床が大変なことになった。
お母さんに知られたくないから必死で
後始末した。

『これは面倒なことになる。』と学んだから
その後は家の裏庭の誰も来ないようなところで挑戦した。が、
ことごとく失敗。

そもそも何でそれに挑戦したかったのかは
全く覚えていない。あの堂々とした立ち姿に憧れでもあったのか?
残念ながら成功体験は一度もなかった。

悔しいが、『諦める』ということも覚えた。

数年後、家の図書スペースにあった
楳図かずお先生の「まことちゃん」の
お姉ちゃん(ミカちゃんだったかな?リカちゃんだったかな?)が、やはり同じ挑戦をしていた。お姉ちゃんは、竹筒のようなものをソコに当てがい、見事成功させていた。

「おー!そんな技があったとは!」と
感心したものの、その頃はもう改めて挑戦
するような意欲もない年齢だった。
良かった…。


小学生時代には、もう姉たちがどこで何をしていようと、私にも「友達と遊ぶ」という
選択肢があった。

小学校は遊具も大きな木も沢山あったから、私たちはよく一度帰宅してから自転車で再び学校へ行って遊んだ。

ジャングルジムやうんていは、細いパイプという扱いをしていなかった。
「足を踏み外すことなんてあるわけない。」という勢いでパイプの上を走り回り
鬼ごっこをした。
一度、鬼にタッチされた拍子に1メートル程の高さから後ろ向きに落下した。ほんの数秒のことと思っていたのに、目を開いたら友達が私を囲んで安堵していたことがあった。
気絶していたらしい。
気絶って、ほんとに気絶なんだ。と知った。

木登りもした。
だいたいの木は上の方まで登れたのに、
どうしても登りきれない大きな木が1本あった。幹が立派すぎて、手足がなかなか引っ掛からない。その日は何度目かの挑戦だった。
その木は人気で、同じ時に男の子が的を
つけてダーツをしていた。
私も譲れなかった。
どうしても木登りを成功させたかった。

ダーツの矢がバンバン投げられている木。
その側で、どこに手を掛けるのが成功に繋がるのか?頭をひねりながらウロウロする私。

お互い、自分の事しか考えていない。

何度も挑戦して、やっと第一段階の二股になる部分まで成功した!
「やったー!」ととりあえずガッツポーズをした瞬間、ダーツの矢は私の肘の内側、
注射の針とかよく刺すところ、
そこにプスッと命中した。
焦る男子。
ガッツポーズの反対の腕に刺さった矢に
気づく私。
気づいた途端に青ざめた。
しかし、焦っているのに焦ってないフリを
咄嗟に装い、絶対ひきつってる顔で
無理して微笑み、自ら矢を抜いて、
「はい!」と男子に返した。

刺しどころが良かったのか、実際、血も滲む程度で、痛みもなく、大事には至らなかった。けど、ほんと紙一重な危険度。
もちろん、お母さんには内緒。


毎日のように夕方まで外遊びをしていた中で
ちょっとホンワカした思い出ももちろん
ある。

近所のお寺も含めて、町内中が遊び場だった。
商店街だったので、家がお店をしている友達が多かった。
仲間4人くらいで、勝手に友達の家の見学
ツアーを組んだ。
和菓子屋さんに「工場見学でーす」と乗り
込んで、店の奥の部屋まで招いて頂き、
おばあちゃん達が手作業で餡を詰める
「最中」作りを間近で覗き、味見までさせてもらった。
ツアーの帰り、八百屋さんの友達の家に寄り、みんなで「ルパン三世ごっこ」をすることにした。
ルパンと不二子役を誰がやるか若干もめて
決めた後、2階の部屋の窓から1階の屋根に
降り、銭形警部が「待てぇ〰️ぃ」って追いかけるだけの遊び。
ギャーギャードタバタ…
あっという間におばさんに気付かれ
こっぴどく叱られた。

家のように集っていたお寺は
「ごっこ遊び」に最適で水かけ地蔵や、
護摩炊きの大きな釜も何かしらに利用し、
挙げ句、墓場は高級住宅街にさせてもらっていた。
バチが当たりそうだが、その辺は問題ない。私たちはホウキや雑巾を持ってきて
必ず掃除してから帰ったのだ。

このあたりの思い出はとても子どもらしくて
微笑ましい。

中学時代は、、、
あっという間だった…。けど色々あった。
子どもながらに、その時その時の社会を
たくさん学んだ。
愛の種類も様々だと知り、本音や建前、
裏や表。多感な時期とは、まさにこの時期
だった。
と振り返る。

平和で可愛いエピソードをひとつ残したい。

当時の私は辞書が好きだった。
適当に開いては言葉の意味を知り
楽しんでいた。
いつものようにペラペラとめくっていると

「ホチキス」という言葉が目についた。

…思春期だった。

心の中は、

『ホチキス…。」
「ホチキスってどんなキスだろう?」

早速意味を読む。


『物をまとめるために使う道具』


・・・あっ!そうだった!やだ!

単なる文房具だったことに気付いた。
ひとり頬を紅らめ、うつむき、
自分の恥ずかしい勘違いにニヤニヤした。



いよいよ高校時代。
ここで、本当にどうしようもない事をする。

それは、興味があったわけでもない。
計画していたわけでもない。
ましてやチャレンジ精神からのことでもない。
タチの悪いことに、何の疑問も持たずやってしまった。

単に、帰り道を求めていただけだったはず



私の通っていた学校は、大自然に囲まれていた。
「山がめっちゃ近くに感じたら到着」
というのを目安に登校する。

少し足を運べば大きな川もあり、
SLの汽笛が響き、


その当時も謎だったけど、
おじさんが馬に乗って車道を走っていた。

のどかな田舎の中だった。

学校行事も自然を活かしたものが多く、
それはそれは一年中、山を絡めてきた。

その中のひとつに、
「ひと山越える」行事があった。
3年間にわたって、大きな山、中くらいの山、小さめの山。とバリエーションが
あった。

いくら小さめの山って言っても、
ひと山越えるのは簡単ではない。

辛い。思考が停止する。
だからろくなことを考えない。

今考えたらゾッとする
あのとんでもない行動をした年は、
恐らく大きな山の年だったと思う。


その山を越える時、ある地点まで登ったら、
そこから最寄りの駅を利用して電車で帰る。ということだった。
一日がかりの行事だ。

事あるごとに山を使うので正直うんざり
していた。

キャッキャッとおしゃべりしながら楽しく
歩いていたのも最初だけ。

今なら楽しめる景色も、高校生の私の胸には
愛すべき自然の姿も響かなかった。

ダラダラと歩いているうちに、
仁王立ちで私たちを待つ先生の姿が見えた。
先生は呆れたような変な顔で

「おまえら、もうこれ以上行っても
電車には間に合わないぞ。
来た道をそのまま戻って歩きで帰れ!」

と言い放った。

…おい、おい、おい。冗談じゃない。
3時間は歩いたよ?
ここまで来るのもやっとだったのに。
電車乗れないの?!!

「ブーブー言ってもしょうがないだろう。
お前らがノロノロしてるからだ!
暗くなる前に帰れ、帰れ!」

非情だ。

私たちはうなだれて引き返しながら、
それでも何とか楽して帰れる事はできないか考えた。

途中、同じく引き返しを命じられた男子と
合流し、計8名で案を出しあった。

そこは、みかん畑が並んでいる場所で、
収穫に来ていたおじいさんが2人いた。
まさに、今、山を下りようと車に向かうところだ!と思った。

私たちの一人がすかさず
「あのー!乗せてくださーい!」と言って
おじいさんを捕まえた!
ワラワラと車に群がる総勢8名を見ても
イヤな顔もせず
「途中までだよ。」と次の畑までの
ヒッチハイクに成功した!

これでなんとか下山が楽になった!と
軽トラックの荷台で足を休めた。

おじいさんの目的地に到着し、みんなで元気よくお礼を告げた。

ところが、
ルートが変わった為、降りたところは全く
記憶にない場所だった。

働かない頭をなんとか回転させながら
みんなであっちだ!こっちだ!と言いながら彷徨った。

全然着く気配がない。
なんでもいいから早く帰りたい。

ふと見ると、ものすごく立派な鉄橋が見えた。
仲間の一人が叫んだ。

「鉄橋って線路だろ?そこを辿れば
駅に着くんじゃねーの?」

・・・

誰?こんなこと閃いちゃった人…。

思考が停止している私たちには
名案でしかなかった。

生き残る道を見つけたみたいに、
疲れた足も気のせいか軽やか。
みんな青春映画のワンシーンのように
やんや、やんやと
微笑みを浮かべ鉄橋に向かった!

これが、救いの道!!
誰もそれを疑わない。

「ここって、人が歩いていいの?」
なんて、誰も思わなかった。


こんなに間近に鉄橋を見たのは初めてだった。
線路は果てしなく遥か向こうまで続いている。記憶は全く頼りにならないけど、おそらく300メートルくらいじゃないか?
いや、もっとかな?もっとだな。

下を見れば、大きな岩があちらこちらにあり、ゴーゴーと唸る激しい上流の川の音。
海みたいな白波がはっきり見える。

線路に沿って、点検用であろう、
人が一人通れるだけの幅の網状になった
通路がある。

迷うことなく、みんなで一列になり
そこに踏み込んだ。
相変わらず川は唸って暴れている。

高校生が汽車ぽっぽみたいに前の人に
掴まりながら進む。

網目の通路は川の激流もそのまま映す。
足元を案じて下を見るべきか?
…前だけを見るべきか?

そのうち、一人が急に現実に戻ってしまった。高所恐怖症が発動した。

「ねぇ!ヤダ!怖いよー怖いよー」
狂ったように叫ぶ。

結構進んでしまった。今から戻るくらいなら
先に進んだ方がマシだ。
なんとか落ち着かせなければ!

私は列の後方だった。
ここが危険すぎるということを後ろから確認してしまった。全貌が明らかすぎる。
中間で目を瞑り、前の人に掴まって大騒ぎしてる一人を見たら私だって我に返ってしまう。

「これ、絶対ダメじゃない?」

うっすらと頭が冷静を取り戻してきた。
改めて皆の様子と、この状況を視界に入れてみる。

すると、
先頭の男子はどこからそうしてたのか?
長い枝を持って何やら振り回している。
遠くの方で何か言ってるのが聞こえた。

「…デッデ、デデ、デッデ♪
ウェナナァ~イ・・・…ふふぅ~ん…
…ふふふんふんふん♪…」

歌詞はでたらめだけど、聞き覚えのある
メロディー。

これは、「スタンド・バイ・ミー」!

彼は持っていた枝で指揮をとり、その歌を
続けた。

みんな、前を向いた。
怖いよー。はもう聞こえないし、言わせない

こうなったら歌うしかない!絶対!

誰もが口ずさめるあの部分がきた!
総勢8名、みんな揃って!

「オ、ダーリン、ダーリン♪
ステェ~ン・バァー・ミィィ~♪
オォォ~ステェ~ン・バァ~ィ・ミィ~」


正直、この後のことはうっすらしか覚えていない。
どうやって橋を渡りきり、どうやって普通の道に辿り着いたんだろう?

気づけば、麓だったし、なんなら
8人で駅近くの食堂で定食を食べてた。

本当に非常識だけど、当時、悪いことしてる気持ちは薄く、後になっても僅かばかりしか出なかった。

だいぶ大人になってから、
「あれで、電車がきてたらどうなってた?」
ああ、
考えただけで恐ろしい。
お父さん、お母さん、お世話になった皆さん
絶対言えない危ない事をして本当にごめんなさい。

こんな私を経て、今の私はできあがった。

みなさん、みなさんはいかがですか?
何かエピソードが蘇ったのではないでしょうか?
若かりし日々のとんでも行動。

大いに反省しながらも、
後先も考えず、やりたいことをやってしまう若気の至りが

時々とても眩しく感じてしまうのです。


※ここまで読んで下さり、ありがとうございます🙇鉄橋のことは、ほんとにダメ!絶対!







いいなと思ったら応援しよう!