楽しむことと楽することは別物だよ
ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
紹介した作品は販売します。気軽にお問い合わせください。
日差しの中に出ると光線が肌に刺さるような気がします。
台風のおこぼれ雨を期待しています。
私は機械を使わない稲作をしています。
小さな田んぼだからできることですが、、、
そうはいっても、1年半ほったらかしの田んぼにはイグサがたっぷり生えていて、草抜きはなかなか大変でした。
農業を専業にしている息子が大変だったねとほめてくれるほどの作業ではありました。
でもね、草を抜いて行けば確実に草のない田んぼになっていきます。
成果が目に見えるわけです。雪かきとかと同じ。
だから、こういう作業は途中の苦しさがあるけれど、楽しいのです。
やれた~という達成感です。簡単ではないからこその楽しさ。
遊ぶということにも楽しさはあります。
それはなにも考えずにたっぷり楽しめばいいのです。
でも、仕事や作業に関してはただただ楽しいだけということはありません。
単純だけど、黙々とこなさねばならない作業の積み重ねばかりです。
そんな作業が一段落した時に、”私、がんばったぞ”と胸を張れる。
胸を張ったから味わえる深い楽しさです。単純な遊びの時の楽しさではありません。苦労を越えてこそ感じることのできる深い楽しさ。
私はこういう楽しさこそが自分を一段高いところに連れていってくれるのだと思っています。
スポーツの練習を血がにじむくらいがんばって、大会で結果を出せた感覚に近く、それよりは普通の人にも勝ち取ることができる楽しさです。
今の時代のトップレベルのスポーツには才能が不可欠。
でも、農作業には楽しもうという姿勢があったらだれにでもできます。
64歳の初心者の私がやってるんですから気持ちと工夫次第なのです。
だから、私は経験から稲作は楽しいよというのです。
1本の苗を植えたので、稲は扇型に株を増やしてきました。扇型に広がるスペースが普通の機械植えの田んぼにはないのです。
普通の田んぼの稲たちは狭いところに整列させられてとても窮屈そう。
そっちのほうが収量が多いからと言われれば返す言葉はありません。
でも、私は稲の伸びたいように伸ばさせてやりたいのです。だって、稲も生きものですもん。人も仲間です。
稲作はさまざまな改良をし、機械を使って収量を増やす方向で進んできました。
でも、もう人口は増えず、米の消費量も減ってきた今、私はたくさん作ることより安全安心な米を自分の手で作りたいと思っています。
ほかの人が機械やたくさんの仲間とやる農業も素晴らしいと思います。
でも、私は少人数でだんだんと田植え前の準備や田植えという作業をしなくていい方法を実践していこうと考えています。機械もいらない小規模農業です。
だから、今年の草抜きは今年限りの苦労です。
その説明はしたんだけど、きつかったのか、忙しいという理由で離れて行く仲間もありました。したくない人を引き留める気はさらさらないので、さよならしました。
作業を短い時間やって、稲作を甘くみてました~とにっこり笑って帰ったのが最後になった人がいました。
申し訳ないという感じで言われたら納得したけれど、笑って甘く見てました~と言うって私には理解できないなぁと思いました。
甘く見てたというのはもっと楽だと思っていたということのようでした。
”楽をする”は途中をはしょって、結果オーライというニュアンス。
今、多くのワークショップがまず楽しんでもらうためにスタッフが準備をしっかりして、本番のおいしいところだけ体験させるように計画されています。
でもね、ワークショップは参加費をしっかり取ります。
私たちの農作業に手出しのお金など要求しません。なのに、ワークショップ並みの楽ちんな楽しさを求められても困ります。
楽ちんな作業はその時の満足感だけで終わることが多いと思います。
出来た!と思って帰ると、なにをどうしたかはっきり説明すらできないぼんやり感だけ。
それは楽しんでもらう仕掛けの中だけで動いたからです。
お子ちゃまの体験教室ならそれもよしです。
でも、自分のものにしたい知識や技術があったら、楽ちんにという感覚では身につきません。
楽しむことと楽することをはき違えてしまうとどんなことも達成できない人になってしまいかねません。小さな努力の積み重ねは絶対に必要です。
その努力の仕方を工夫して少しずつ楽な方法を見つけるのはOK。最初からこんなもんでしょとなめてかかるのはダメです。
そして、こういう積み重ねは人に見てもらうためにするのではなく、自分を満足させるためにすることだと私は思います。
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