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京都日帰りバス旅行3 河井寛次郎記念館

ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
紹介した作品は販売します。気軽にお問い合わせください。

京都旅行3回目は河井寛次郎記念館を訪ねた話。

1回目は大山崎山荘美術館

昨日、2回目はランチをした美ね寅さんのこと。

美ね寅さんを出て、バスに乗り、五条を目指します。


大通りでバスを降り、脇道に入って少し行ったところに河井寛次郎記念館はあります。

河井さんが生活していらした家が記念館として公開されています。
客をもてなしながら作陶していた部屋や、寝起きされていた部屋などがあり、そこここに作品が展示されていました。

ちょっと寄り道話。
旅行の翌々日に、たまたま安来市文化協会の元理事長さんやご一緒した会員さんとランチのお店でばったり再会。このお店は私の先生のお店なので、文化協会の皆さんはよく行かれるみたいですが、こうも見事に同じ時間にお会いしたのは初めてでした。

そして、元理事長さんがまだ記念館になる前の河井寛次郎邸を訪れたお話など聞かせていただきました。旅行がまだ続いているような不思議な出来事でした。

さて、旅行のお話に戻ります。
民藝運動の担い手の一人として、「暮らしが仕事、仕事が暮らし」という思いで陶芸を中心に、木工、金属、書など多岐にわたる作品を残した、安来出身の作家河井寛次郎です。

記念館は安来から大工を呼び寄せて建てられたものです。
そこここに、あまった木材を使った椅子などがありました。

記念館の奥には登り窯が残されています。
近隣の方々との共有の登り窯は2番目の窯が寛次郎さんの使ったもの。戦時中は灯火管制が敷かれたため、窯を使うことができず、木工などをしていたそうです。

今は市内で窯を焚くことは禁じられているので、遺構として残されています。2番目の窯を通り抜けてみました。ここで自作の陶器を焼かれたんだなぁと感慨深いものがありました。





民藝運動の担い手の一人として、「暮らしが仕事、仕事が暮らし」という思いで陶芸を中心に、木工、金属、書など多岐にわたる作品を残した、安来出身の作家です。


写真は大山崎山荘記念館が撮影禁止だったので、こちらでも遠慮しましたので、HPで作品など見てください。

安来の木工作家が私の同級生でして、文化協会の理事もしています。
彼のお父様が河井さんの椅子を模して作ったものなど先に見ていて、今回、実際の河井さんの椅子も見て触れたので、いい順番で見られたなぁと感じました。

館内のあれこれを何度も訪れている同級生に解説してもらえたので、とてもよくわかりました。事前のバス内での映像も参考になりました。

安来との関わりは強く、記念館のほうも快く受け入れてくれたことに感謝しています。

車内のビデオで、寛次郎邸にお手伝いとして安来から行った女性が、最初に寛次郎さんから”おかしな京都弁なんか話さず、安来弁を話しなさい”と言われたという思い出を語っていらっしゃいました。寛次郎さんの安来愛を感じるエピソードです。

ゆっくり見てまわり、外に出ると本降りの雨になっていました。
もっと降られるかと思っていましたので、案外と天気にも助けられて、帰りの途につきました。

さて、帰りのバスでも企画は続き、行きのバスでやったクイズの答え合わせはいつのまにかできていて、上位5名には会長からの商品が出るということでした。

なにも知らずにクイズをしたら目も当てられない成績だったでしょうが、映像を見せてもらえたので、ずいぶん正解がわかってありがたかったです。

成績発表があり、私はめでたく2位。
アンドリュー・ワイエスの絵のついたクリアファイルをいただきました。

青い計量器

作品の描かれた年が私の誕生年だったので、もう一つうれしい気分になれました。

まさか、自分が入賞できるとは思っていなかったので、うれしい限り。

そして、帰路安来が近くなったころに企画部長の三島さんが安来節を披露されました。陶芸家で市会議員で、安来節も習っていらっしゃるそうで、クイズも作り、採点もし、みなさんを誘導してくださって本当に大変だったと思いますが、お世話の好きな方と見受けました。おかげで楽しい大人の遠足が無事終了しました。参加してよかったなぁと思います。

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