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その心は誰が為

こんばんは。栗山ゆかりです。

最近、両親が同じタイミングで病院のお世話になり内心ヒヤヒヤしたものです。
今は少しばかり落ち着いた様子。

そんなこんなで親にLINEする頻度が増え、ふと気づいたことを。

私は昔からザ・素直じゃない娘の代表格的な面があり、親へのメールやLINEはいっつも「!」か「。」で。
絵文字とか優しい言葉の表現が苦手でした。

話すときは普通なんですけどね。
文章で残るものが照れくさくて。

反抗期なんてもはや光の彼方の時代のくせに、いつまで私はこのスタンスを続けるんだ?と最近自分に問いかけてみたら、わかった。

あくまで
「自分が」恥ずかしいから。
「自分が」嫌だと思っているだけ。

ってことを。

両親がどう思うかじゃなくて、私自身が私に対してどう思うか。
それだけを基準にして、行動を選んでいたんです。

冷静に考えれば一瞬でわかる。
両親が、嫌がるわけがない。
私に優しい言葉をかけられることを。

そう思ったときに、
日常生活の中での別の場面も思いだしました。

何かに直面し、それを
「やりたくない」「嫌だ」と思ったとき。
(うわ~、めっちゃあるw)

どうして嫌なのかって、自分を一歩引いてみてみたら、
ほとんどが同じように
for me
だった。
要するに、
「自分が」恥をかきたくない、不快になりたくない、傷つきたくない

が一番最初に来ていた。
ただめんどくさいってパターンもちょいちょあるけど。


人にせっかく助言をもらっても、なかなか一歩踏み出せないとき。
「頭ではわかってるんだけど」と言って、結局やらないとき。
聞けばいいのに、聞かずにその場をやりすごすとき。

それが、自分一人にしか関係しないことなら、まだいい。
でも、他人が関わってくることだったら。
その時の自分が動くか動かないかで、相手の人生に何かしらの影響を与えるとしたら。

そしたら、
相手のためになる選択をしたほうがいい

って、ごく最近思うようになりました。

そりゃ、心の底からやりたくねぇ!!と思うことは別だけど。
でも、私の心の葛藤だけが問題なのだとしたら、それは、私の気の持ちようひとつで、どうにでもなる。
今は「嫌だ~!!」でも、後になって「やってよかった~!!」
になる可能性がある。

選択の瞬間の「自分の」心の痛みより、選択した後の「自分と相手」の未来に目を向けることって、大事だなと思いました。

父と母の、メッセージのすれ違いによる喧嘩に巻き込まれたって話を書こうとしていたはずが、気づいたらまじめな話になっていた木曜の夜。

そういえば、父の日が近かった。
何か、優しい言葉を送ろう。絵文字付きで。



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