闘病記その17-7
私のしてきたこと
3*役員あれこれ(教育後援会、女性会、番組審議会etc.)
①島根県立松江南高等学校同窓会矢の原会副会長(平成23年~令和4年)
②島根県立松江北高等学校職業人講話講師(平成25年~令和元年)
③中央幼稚園・小学校教育後援会長(平成27年~平成28年)
④山陰放送番組審議会委員長(平成29年~平成30年)委員は平成27年~
⑤松江商工会議所女性会会長(平成30年~令和4年)
(当て職) 全国商工会議所女性会連合会理事、中国地方商工会議所女性会連合会副会長、島根県商工会議所女性会連合会会長、松江市社会福祉協議会評議員、松江市における図書館のあり方検討委員会委員、松江市中心市街地活性化協議会委員、島根県消防協会理事、島根ひとにやさしいまちづくり審査会委員、しまね働く女性きらめき応援会議委員、郵政事業有識者継談会委員、松江市上下水道事業経営計画推進委員
⑥朝日公民館運営協議会副会長(平成28年~)社会福祉協議会副会長(平成18年~)朝日体協副会長(平成18年~24年)
⑦てんじんがわ学園地域推進協議会会長(平成30年~令和2年)
その他、学校評議員、同窓会幹事、松江警察署協議会委員
①島根県立松江南高等学校同窓会矢の原会副会長(平成23年~令和4年)
卒業した母校の同窓会組織である「矢の原会」。ちょうど同窓生の永島君が教員として赴任中に「なんと、原田さんにお願いがあーけど、矢の原会の副会長、やってごさん。」(出雲弁で当時の再現をしました、通訳:原田さんにお願いがあるけど副会長をやってくれないか(笑)
この永島君には同窓会の幹事としていろいろお世話になっていたので、引き受けないわけにはいかず、また一つ役を増やすことに.(>_<)。
しかしここでまた13期も下の後輩とのご縁がつながることに。(先輩、ダブルスコアですねーと言われる。)
②島根県立松江北高等学校職業人講話講師(平成25年~令和元年)
生徒さんたちはそれぞれ35くらいある職業の中から興味のあるものを第三希望まで書き、調整されて、(講話に来てるのに誰も聞きに来なかったと講師をがっかりさせんように)、各教室や体育館に聞きに回ります。だから明らかに、あなたは第三希望で回されたのねー、お気の毒に、とすぐにわかっちゃう生徒さんもいて、いきなり机に顔をうずめている人もいました。
そこのうつ伏せになってる坊主頭の君、息子の後輩になる野球部の子じゃないの?監督さんが後で回ってこられるよ、って教えてあげようかな、などといらんことを考えながら始まります。
私は知っていました。何回も同じ話をしていますからどこで一番受けるかを。そこの面白くなくてふて寝してる君、待ってなさいよー、今おばちゃんが目を覚まさせてあげるからねー。と意気込んで話しだします。毎年生徒さんの目がキラリン(*'▽')となるところは、私の実体験で、認知症になってしまった母と暮らした体験話で登場する高校生だったころの息子の取った行動についてです。
母 「美穂子、これ私の眼鏡ケースかいねー?」と言ってテレビのリモコン
を手に取る。
私 「もうー、何言ってるのー、それにどうやってメガネが入るねー、どこ
から入れるのよー。やってごらん。」とかなりイライラして、強い口調になっている私。その私の言葉を遮るかのように息子の言った一言は、
息子「そうだよ、おばあちゃん。それが眼鏡ケースだよ。」
私 「あんたいつから平気でそんなウソをつくようになったの。」と激高。
息子「おばあちゃんを見てごらんよ、困った顔してるじゃん。そうだよって
言ったら元の笑顔に戻ったよ。お母さんいつもおこってばっかりで、おばあちゃんがかわいそうだわ。」
子どもに言われてはっとする私。そう言われて初めて気が付いて大反省。まさか高校生の息子に教えられるとは(≧▽≦)。この話が一番、聞いてくれてる皆さんの目がそろって私に向けられる瞬間である。勿論あのふて寝していた坊主頭の野球部くんも、しっかり目を覚ましきらりと瞳を輝かせて聞いてくれている。その前あたりから、認知症の母の奇天烈な言動と私のオーバーリアクションのやり取りを漫談のように身振り手振りで熱演し、どんどんボルテージも上がり調子を上げる美穂子であった。
そして終わってからのお楽しみ、私にとっては”クリスマスプレゼント”、と呼んでました。
③中央幼稚園・小学校教育後援会長(平成27年~平成28年)
教育後援会とは、文字通り寄附を集めて、環境整備したり、子どもたちの学習に役立つものを買ってもらったり、会員や地域の方たちも子どもたちと一緒に楽しんでもらえるような企画をして、講演会やコンサートやライブをしました。
キムタクのお母さん木村方子さんをお招きして講演会もしました。
会長は、小学校の歴代PTA会長が代わり番こに務めることになっています。
私が会長の時に、親交のある先輩、世界的なギタリストの山本恭司さんにお声がけして、快諾していただき、下記のイベントを開催しました。
④山陰放送番組審議会委員長(平成29年~平成30年)委員は平成27年~
初めての審議会に出席。社長と初めてお会いする。何と同じ大学出身だとわかり一気に距離が縮まる。坂口吉平社長は、とってもフレンドリーで面白い方。
今でも忘れない、と社長に言われる。初めての審議会で、初めて出た委員があろうことか、歌うとは?(笑)
やっちまったなーの出来事とは?第一回目は「テレポート山陰」についての意見を述べることになっていた。
デパートのうまいもの大会のレポーターが、当然のように何も言わずに食べていくのがすごく気になって、いただきますくらい言いましょうよ、と言ったのを覚えています。そして、最後に「エンディングにSMAPの🎶どうかとどきますように~♬をつかっていただきまして、SMAPファンの一人としてお礼を申し上げます。ありがとうございます。毎日SMAPの曲を聴けるなんて幸せな気持ちです。」と言う時に、何をとち狂ったのか、曲名に節をつけてしまったのです。つけて、というより自然に口ずさんだ、思わず口をついて出て歌ってしまったという前代未聞な出来事だったわけです。社長がずーっと「番審が変わるぞー」と言ってたと社員の方から聞いて、もー大学の先輩をこけにして( ̄▽ ̄)(笑)
そして委員長にまでなって、JNN系列番組審議会近畿中四国地区協議会(ブロックごとの委員長会議)に二年続けて瀬戸大橋を渡り四国へ出かけることに。2017年は高知へ、2018年は松山に。
⑤松江商工会議所女性会会長(平成30年~令和4年)
そもそも商売もしていない私が会長になるなんておかしな話で、主人からも笑われるから絶対に引き受けるな、ときつく言われていたので、私には無関係なことだと思っていました。
しかしながら異例の出世?(笑)で入会して間もないのに理事をすっ飛ばしていきなり副委員長にされ、その後は、あれよあれよという間に、広報委員長を2年の任期で終えると、副会長に上り詰めていた。
そして山口会長が6年という長期にわたって務められた跡を私に引き継いでくれないかというお話を何度か頂きましたが、主人から固く言われていましたので、すみません、とお断りし続けてきました。
それがどこでどうしたら引き受けることになったのか不思議に思われませんか?
それは、さすがにドンの山口さんです。私を口説いてもらちが明かんと思われた山口さん、なんと主人が壁になってると気付かれ、あるワインパーティーで一緒になると主人にさしで直談判を始められた。主人もそうやすやすと言いなりになる人ではない。その主人の口から「会長やってあげない。」と言わしめた山口さんの秘策は?
主人「うちは商売人ではないから商工会議所は関係ないし、会長はないんじゃないですか?」
山口会長「女性会の会長は、松江の女性の代表ですよ。誰でもいいというのとは違うんです。」
この一言が主人が女性会に抱いていたイメージを一新させる。そして、代表ならさせてもらえ、となったわけです。こうなるとベルリンの壁が崩壊し、一気に加速して、話は進み、会長としての最初の仕事は、支えてくれる副会長になってくださる方を選んでお願いの電話をして承諾してもらう事から始まります。大げさに言うと、組閣するんです。世に4人の副会長が決まると、総務、事業、交流、広報各委員長、副委員長をピックアップし、理事会に出席する理事を選びそれぞれに電話でお願いする。
女性会の三大事業と言えば、まつえ和装の日、チャリティーバザー、ビアホールでした。コロナの流行る前までは。
私の会長としての最後の任務、定時総会にて新会長日野さんにバトンを渡す。難病の私の右腕、左腕、両足、声(スピーカー)になってここまで支えてくださった仲間たち。山口さん、日野さん、清水さん、山根さんと女性会のユニフォームのピンクブレザーを着て。感謝。
【番外編】女性会の会長になるとついてくる当て職の中で特に印象深い出来事を二つほど。
1、お城の堀川遊覧船乗り場の休憩所が新しく建設される時に検討委員会で意見を求められました。ふと平面図をみて このトイレは温便座ですかと質問しました。 予算上そこまで出来ないとの回答でした。 私も7年間教育委員 を拝命していたの で予算のことを言われるとそれ以上は言いにくい感じになりましたが冬の寒い時期に来られた観光客のかたが冷たい便座に座ったときどんな気持ちになられるだろうか。 松江の印象はどうなるのだろうかと残念な気持ちになりました。
するとほかの女性の委員さんからも賛同意見がて出だして、結局温便座を検討すると課長が言われました。使う人や観光客の立場にたってのおもいやりのある松江市であってほしいです。 新しいものを建てても使われなければ無用の長物。 トイレは女性でないと気づかないことかもしれません。
2、松江市上下水道事業経営計画推進委員会に出席して驚いたこと
会議が終わって帰ろうと立ち上がったら、会議に出ていた職員さんたち20 人弱の人たち全員が一斉に立ち上がって深々とお辞儀をされたのです。
会議に出た委員たちが席を立ち去るまで、その立ち上がった姿勢のまま全員でお見送りされたのです。素晴らしい気づかいだと感心させられました。印象的で忘れられないワンシーンでした。
⑥朝日公民館運営協議会副会長(平成28年~)社会福祉協議会副会長(平成18年~)朝日体協副会長(平成18年~24年)
⑦てんじんがわ学園地域推進協議会会長(平成30年~令和2年)
その他、学校評議員、同窓会幹事、松江警察署協議会委員
朝日公民館には大変お世話になっています。それなのに表彰までして頂き、大変恐縮しました。
最後に2017年に中学校の、2018年に高校の還暦同窓会を幹事として無事に開催できたことをありがたいことだと感謝しています。
以上2023年の書き納め間に合いました。あまりに長くなってしまい、途中で前編としてだそうと思ったりしましたが、それも結構めんどくさくて結局最後まで書きましたら7000文字近くなってしまいました。
今年一年読んで頂きました皆様方本当にありがとうございました。
来年もがんばって書きますのでよろしくお願いします。
では良いお年をお迎えください(*'▽')
2023,12,31 22:30 祐ちゃんママ