闘病記その12
はじめに
初投稿を2023年1月22日にしてから今日までに見て下さった方の人数が4000人を超えました。ありがとうございます。とても励みになります。
これからも頑張りますのでよろしくお願いいたします。
私の周りのアーティスト
*錦織良成監督(映画監督、脚本家)
錦織監督とのお付き合いは、息子が小学4年生の時からだから、10歳だった息子が今31歳になりますから、21年の長きにわたり家族ぐるみでお付き合いさせていただいてます。
「縁は異なもの味なもの」と言いますが、まさに不思議なご縁で始まりました。息子が小学4年生の時に転任してこられた先生が担任になりました。
なんとその先生が、錦織監督の映画「白い船」に出てくる、子どもたちの夢を叶えるという、奇跡を起こした先生のモデルだったのです。
当時は、その本田先生は、マスコミに引っ張りだこでした。
2002年7月に公開された錦織監督の代表作である「白い船」。
本田先生のご縁で、主役の小学生の役の濱田岳君がサッカーの試合をするシーンは息子の通う小学校の校庭で撮影されています。息子のクラスメートもたくさん出ています。スポ少のサッカーチームが。残念ながら息子は野球だったので出ていませんがもし、出ていたら、応援している保護者がちらっと映ってるんですが、そこにひときわ目立とうとして、オーバーアクションをして錦織監督に、「そこのお母さん、お静かに、雑音で撮り直しです。」と言われている私が映ってたかも。(笑)
そんなことがありまして、息子が6年生の時、私はPTA会長をすることになります。そして、保護者の中にIT企業の社長で、錦織監督ともお付き合いのあるお母さんがおられて、ぜひうちの子たちに映画を見せてやりたいと意気投合し、何とか体育館で上映出来ることになりました。当時の校長、教頭がすごく協力してくださって、地域の方も巻き込んで一大イベントになりました。2003年6月のことでした。暑いので熱中症対策も考えて、保護者の方で看護師さんに待機してもらったり、思い出すと、ワクワクします。
そして、監督が隠岐の島で一目ぼれして貴美ちゃんとご結婚されることに。2003年6月結婚披露宴が松江のホテルで開かれました。そしてそこになぜか私と母も招待されています。
この時奥さんの貴美ちゃんと初めて会います。なんてきれいな人かしら、女優さんみたい、と思ったのを覚えています。それから何がどうしてこんなに仲良くなったのか、正直覚えていません。(ごめんなさいm(__)m)
闘病記にも何度も登場する鳥取大学病院の隣にある多目的ホールは、貴美ちゃんがうちにきて呟いた一言から、できたといっても過言ではない。
「良成さんの夢は、錦織監督の映画がいつでもみられる所をつくることなの。」その言葉を聞いた瞬間、主人から聞いていた話とマッチングしたの。私の頭の中で、ビンゴー!ってね。
そして帰ってきた主人を捕まえて、一気に弾丸トーク。主人も「おっ、それいいね。」と乗ってきた。それからは話が進み、あれよあれよと言う間に錦織監督が音響設備を監修した4K対応映写機や200インチ大型スクリーンなどを完備した、映画を上映したり、コンサートをしたりすることのできる多目的ホールが、完成しました。
もちろん上映する映画は、錦織良成監督の作品を中心に、監督が選んだ作品を上映する、「錦織良成劇場」の完成です。貴美ちゃんの夢が叶いました。「夢は叶う」by 『白い船』
そんなこんなで、白い船でつながったわけです。そののち私が商工会議所女性会に入会した時に仲良くなった清水さんが、ご実家が錦織監督のご近所で幼なじみと知り、貴美ちゃんと三人でよく女子会をするようになりました。
そして月日は経ち、錦織監督の温めてきた映画「高津川」が完成します。私と清水さんで応援団を結成しようと会を開きました。
今思い出すと、この頃から症状は、出ていました。何の障害物もない、平らな所や畳の上で、突然何の前触れもなく、透明人間に膝カックンされたみたいにがくんとなって後ろにドーンと尻もちをつくんです。ほとんど無抵抗状態なので、尻もちの衝撃は、頭まで響きます。この日も畳の部屋でしたが、お喋りをしてたらいきなり尻もちを搗きます。一体何が起こったのか自分でも説明できない状態でした。
「高津川」は、4回見ましたが、見れば見るほど、監督の想いの深さが伝わってきます。最初のナレーション「毎日を何気なく過ごしていると足元にある小さな幸せに気づかないものだ」。
この言葉に私は今の自分の姿を重ね合わせ、その通りだとしみじみ痛感させられました。歩く、食べる、話す、文字を書く、歌う、踊る、出来て当たり前のことが出来なくなった時に初めて感じる、あー私は幸せに過ごさせてもらっていたんだわー、という感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
錦織監督の普通に過ごせることに感謝しよう、というテーマも込められた、映画「高津川」。私は4回観ていつも同じ場面で号泣してしまいます。セリフもシーンもみんなわかっているのにですよ。こんなに人のハートをビンビン感動させる錦織監督は、すごい人です。👏
そんな方と気楽にお話させていただけることに、またまた感謝。
とにかく皆さん、ぜひご覧ください。心のデトックスができますよ。清い涙と共に。
「高津川」のイベントにはほとんど行きました。
2018年7月8日
2022.4.16.『2月に開設した当院ゲストハウス棟のこけら落としイベントとして、2022年4月16日(土)~18日(月)の3日間にわたり、病院職員や入院患者さんを対象に錦織良成監督作品『白い船』の上映会を開催しました。
会場であるゲストハウス棟多目的ホールは、錦織監督がプロデュースし、映画試写室と同等の映像・音響が楽しめるつくりとなっています。
初日の4月16日には、錦織監督をお招きし、上映後に当院広報誌『カニジル』編集長でノンフィクション作家の田崎健太氏、原田 省病院長とのトークショーを行いました』鳥取大学医学部附属病院ホームページより
ちょうど?入院していたので、監督と貴美ちゃんに会いに行きました。
最近では、2022年6月の島根県商工会議所女性会連合会総会・資質向上研修会(こちらの会長ももれなくついてきますので、4年間務めました。)
で、田部会頭と対談していただきました。
2022年10月15日原田美穂子プロデュース「祐貴のお嫁ちゃんの瑶子さんを勝手に自慢しちゃうよ」お披露目会にもご夫婦でご招待させていただきました。
こうして長ーいお付き合いをさせていただいています。難病になってからも、変わらぬ広くてお優しい御心で見守って下さり応援して下さっています。うちまで訪ねてきて下さり息子さんの弾かれるピアノ(ショパンの革命)の動画を見せていただいたら、なぜかしら涙がボロボロ流れ落ち止まらなくなってしまいました。高校生の奏でるピアノの調べは、まるでがんばれーと叫んでいるような魂のこもった音でした。一心不乱に弾く姿に、感動のしっぱなしでした。
この闘病記も読んでくださり、奥さんの貴美ちゃんより頂いたライン。監督が、【言葉を綴られていることに驚き、頑張っていらっしゃるお姿に感動していました。いつも、絶対に良くなるよ‼︎と話しています。】と。ありがたくて胸が熱くなりました。
これからもずーっと応援し続けます。錦織良成監督の次回作を楽しみにしています。
私、映画を見て恥ずかしいくらいに号泣して、嗚咽が漏れそうで、必死にこらえていましたが、今は声でないんで思いっきり泣けるわ、と変なことにほっとする美穂子であった。
完