筒井淳也氏著「未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由」を読了して

本稿では筒井淳也氏の著書について、筆者の考えを書いていきます。
当アカウントのほとんどが無職転生の話題になったので無職転生だけの投稿にすべきなんだろうなぁとも思うのですが、アカウント名をそのへんよく考えてないときに筆者の人格としての名称にしちゃったのと本稿と関連の記事を比較的早い時期に投稿したこともあったしで投稿してもいいのかなぁと思ったのですが、どっちがいいかわかんないですね。これなら荒川和久氏の本も書くべきなのか。まあ筆者の個人的な戯言はさておき。
別ページに関連記事(https://note.com/light_clover943/n/n8903f1d440e7)を投稿しておりますので、こちらもご参照ください。

まずは、筒井淳也氏の概要について。kindleの著者情報を参照しています。
昭和45年(1970年)生まれ。社会学者。計量社会学、家族社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程後期課程。
博士(社会学)。
立命館大学産業社会学部教授。
内閣府第4次少子化社会対策大綱のための検討会委員所属。
本書を読み取り上げようと思ったきっかけは検討会委員に所属されていたからです。

本書の要約

・育児支援政策は少子化対策になりえない

 著者は本書の中で育児支援政策は少子化対策にはならないと言っています。同意します。そもそもすでに子どもをもっている人に少子化対策として子育て支援政策をして、まだ子どもがいない人が子どもを持つようになる理屈を展開する子ども家庭庁が意味不明です。出産は有限です。状況を見て子を産むかどうか判断する夫婦もいるかもわかりませんが、それも長くて1、2年でしょう。基本子を成すために結婚します。住まいの自治体で子育ての環境が整っていればそのまま産むし、整っていないならば引っ越す、または夫婦のいずれかが面倒を見るしかないです。荒川和久氏のコラムも参考ください。

「結婚そのものが生まれなければ子どもは産まれない」が、かつてないほど婚難になった(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1e3587ba6a8dbd942fabae758f00133d67272bbe)

 なぜか少子化対策にならない政策を少子化対策と言い張り公金を出し、効果が出ないのは当たり前です。

地方の過疎化

 日本の地方から都市部へ人口の流入が顕著になりだしました。少子化の兆しが見え始めたのは1960年代にはじまり1970年代後半から団地などの流入した人の住まいを確保したり、1990年代にはそれが広く認識され始めました。これは要因が絞り切れませんが、地域での雇用の少なさで、被都市部地域でも工業地帯などで雇用があれば人口は維持できることが多いといいます。

 地方の過疎化は要因が多岐にわたり原因の究明は難しいというか、まあどだい無理な話でしょう。問題は日本国内全体で人口の維持が結局できていないということです。
 素人の筆者が考える点ですが、鉄道・新幹線・車など都市部へのアクセスが容易になったこと、水道や電気にとどまらずコンビニや外食・大型商業施設など年月とともに都市部のインフラが発展して地方とくらべ非常に住みやすくなったこと、都市部や工業地帯の雇用が地方とくらべ安定していること、趣味や娯楽の幅が増え「夢」というものに挑戦する文化・個人幸福主義が発展したこと、地方の雇用が乏しく農業が過酷でリスクが高いこと、日本国内の都市部と地方だけでなく国際社会に及んでいること。
挙げていくとキリがないですが、その家の子孫を繋いでいく地盤がもろくなってしまったというところでしょうか。

1990年代後半の団塊ジュニア世代で出生数が増えなかった

 団塊世代で人口が爆発的に増えその人口が出産の世代となるおよそ1970年代生まれの団塊ジュニア世代の出生数が団塊の世代ほど増えず、若年女性の人口が増えたのに出生率が低かったため、団塊ジュニアのジュニア世代で出生数が増えないなど、その後に出生数が伸びなかったということです。これは1989年からの金融政策の失敗により不景気となり結婚どころか定職に就くことも不透明であったときです。いわゆる「就職氷河期」という時代です。
 下で金融政策の失敗について私の所見を書きますが、一つ言えることはこの時代の為政者が失敗したために発生したので、この時代の人たちは当時の被害者であります。

筆者の考える課題点で本書に書かれていないこと

 本書では筆者が考える課題点が書かれていないことが見受けられます。
①「減税」という財政政策がないこと
②金融政策の失敗に筆誅を加えていないこと
③「選択的非婚」以外の、「不本意未婚」者の多数が経済的に余裕がなく結婚以前の問題であること
 最終的になぜ若者が結婚しないかは③に帰結するわけですがその原因が①と②だと考えます。

減税という財政政策が書かれていないこと

 財政政策というと「これだけのお金をつかってこんな取り組みをします。目的はこの数値が伸びると考えられるからです」というように解釈されています。本来の目的は経済を安定させ自国の経済成長率をいかに伸ばし富国を図り国民をより豊かな生活にすることができるかということ。最近は色んな思惑がありますけど。例えば子どもの出生を上げる目的の少子化対策だったり、男女の平等を目的とした男女共同参画だったりですね。
 しかし財政政策というのは何も「新たな事業に着手する」だけではありません。「政府など公的機関がする必要がない、しないほうがいい」と判断した事業を整理し、国民からお金を取らない「減税」も大変立派で歴史的事実上、最も重要な財政政策です。むしろ減税が一番国民にとっても政治家にとっても、また役人にとっても本来は良いものと考えます。国民は自分が得た所得を自由に使える可処分所得が増え、市町村など国民に近い役人ほど減税したら仕事を手放すことで負担が減り、政治家も原則減税に成功すると国民からの支持率が高まるからです。

 すでに本書の所感のなかでも、著者の結論と同様『「子どもが生まれたあとの子育て支援の充実」は「結婚し子が生まれたあとの支援の充実であって、そも肝心の結婚が出来ない世の中で出生を押し上げる少子化対策たりえない』と筆者も考えていますので大いに同意します。
 「子どもが生まれたら支援は充実してますよ」と言われても「いやその前に子どもを育てるお金どころか自分が生きていくので精いっぱい」「稼ぎが足りるか不安で知りもしない結婚する相手を考えてもいられない」ということです。ではなぜ金銭的困窮になっているのか。
 財務省が公表している「国民負担率の推移」を引用します。
 財政赤字を含む国民負担率は見なくていいです。発想自体が間違いである健全財政を何が何でも訴え「だから増税しかない」という結論にしたいだけで意味ないので。
 ここ最近は45%以上とられていますし50%に届こうという年もあります。自分が稼いだお金の半分が、税金として取られているわけです。
 昭和50年(1975年)のころは25%程度です。今の半分ほどです。大体高度経済成長期はこのあたりまでです。成長しているときは低税率なんですよ。それともう一つの大きな要因は昭和48年(1973年)まで固定相場制で1ドル360円で、今から見れば超円安でした。輸出してモノを売れば売るほど儲かった時代でした。じゃあかといって当時に戻ったらそれでいいのかといわれればそういうわけでもないですが。
 この当時を生きていた人のほうが自分や家族が生活費として自由に使えるお金=可処分所得が多いわけですから状況が違います。累進課税があるので単純計算できませんが今と昔で年収300万円の場合、可処分所得は今は150万円、昭和50年では225万円です。これだけのひらきがあります。
 さすがにすぐにできないでしょうが、世界一位の経済大国であるアメリカは32%程度です。日本と15%の開きがあります。インドやチャイナはよくわかりませんが経済成長している国はおよそ相対的に低税率でもあります。発展途上国かどうかは議論がでてくるでしょうが、少なくともアメリカは長らく経済大国であり続けているのは、国民負担率が低い、規制緩和を行っているからです。移民を受け入れ様々な人材を輩出する土壌があることもあるでしょうが、それも元をたどれば先進国の中で税率が圧倒的に低い、規制緩和も必要に合わせ実行されてきた挑戦しやすい土壌があるからです。2016年にドナルド・トランプが当選したのも、米国民から減税と規制緩和を謳う公約を立てた候補であったからであり、当選するやわずか任期2年ほどでやれることをだいたいやり切った強烈な実行力と推進力をもった人物だからでした。日本ではそういった背景がいつも消されてポリティカルコレクトネス=政治的妥当性の悪しざまばかりメディアで報道されていました。ただし毀誉褒貶が著しく分かれる人物であることは間違いありません。またトランプが尊敬しているといわれるレーガノミクスといわれた経済政策を行ったロナルド・レーガン大統領は米ソ冷戦が激化する中、勝ち残るためには富国強兵だとし、減税を実行、供給を刺激し「税収を上げ(増税ではない)」、その経済成長で軍事費を増大、敵国ソ連を疲れ果てさせて崩壊させることになりました。
 経済成長するためには減税を行うことが手っ取り早いです。アメリカとまでいかなくても10%くらいは段階的に減らせないものかと。そうしたらそれだけで年収300万円の人の可処分所得が30万円も増えます。よくいわれるのは、「じゃあ財源はどこ」といわれるんですが、この反論自体増税原理主義者がいうものなので気が引けるのですが「本当にこの事業を政府や自治体がすべきことなのか」といった疑問のある事業や、「結局その事業を官僚が行っても資金配分ができず高額な箱物、補助される高額な公金で運営される団体など無用なものが増える」ことから、「政府や国が団体に補助金を出すのではなく減税して、その余剰から団体の理念に賛同する国民が自由意志でその団体の活動に支援する」ほうがいいのではないかと考えます。一つめや二つめは、本来政治家が「国民のためひいては国家のため」と官僚に命令すれば財務省主計局の課長クラスが処理する仕事です。
 また「規制」というのも、企業に重くのしかかり、果ては消費者の負担になります。規制が新設するとその規制にかからないように企業が努力するわけですが、規制を侵すかわからないグレーゾーンがあったり、古くからあるもはや生きた化石になった規制と抵触したりで複雑になると、判断する側の高級官僚が強くなります。それが天下りの要因となり企業の相談役として役職を得て規制のお目こぼしやアドバイスという形で高給をもらうのです。これが消費者の負担になるというわけです。
 「公金チューチュー」というワードが主にネット上で広まりましたが、大きな政府になればなるほど、やることが多くなって現場の役人ではさばききれなくなったり目が行き届かなくなります。それを補うために外注して、中には相場がわからないものも多々ありますから言い値となったりで税負担が増し国民が苦しむことになります。今や無数の団体が存在しています。検索サイト「judgit(ジャジット)」から様々な事業・団体を検索できます。
 また今は賦課金という「国民負担率に入らない税金ではないけど税金のように強制的に取られるもの」もあります。再エネ賦課金とか、GX賦課金という他国であれば「炭素税」といわねばならないものが税でなく賦課金と誤魔化されます。これも国民負担率が高くなり政府が批判に晒される中、苦し紛れに小細工を練ったものです。国民負担率に入っていますが社会保障「費」も税金ではないように錯覚しますけど事実税金ですし他国ではTaxですので社会保障「税」とすべきものです。
 国民負担率の高い国、特に欧州、北欧ですがそういった国は出生率も低いです。税負担が比較的軽い国で出生率が高い国、低い国がありますが、別の要因、政策や統治体制などもあるので、税負担が軽いから子どもが望めるかといえば必ずしもそうではないですが、税負担が重い国で子どもが増えている国がさてどれだけあるのかというのは考えるべきところかと思います。

金融政策の失敗に筆誅を加えていないこと

 上の団塊ジュニアのジュニア世代がなぜ出生率が上がらなかったかです。「失われた30年」という平成元年(1989年)ころからの日銀の金融引き締めに端を発したデフレ経済による景気の悪化です。実際に社会が景気が悪いと感じ出すのは数年先です。
 日本以外の国は正統派経済学の見地からマイルドインフレ、だいたい年率2%を超える程度のインフレ率が、「物価の安定」と「雇用の最適化(完全失業率の最小化)」から適切であるといわれます。ふつう先進国といわれる国では「加熱しすぎたインフレを冷ますための緊縮(デフレ)政策」をすることはあれど「デフレにするための政策」をとることはありません。インフレには行き過ぎたインフレ、景気を好調させる適切なインフレのいわゆる「悪いインフレ」「良いインフレ」がありますが、物価高0%以下のデフレ状態は総じて経済が良くなることはありません。アメリカではコロナ禍に見舞われた際、過剰な緩和(インフレ)政策を行いました。現在でも上記2つの目的よりまだ高いインフレ状態で、米国民には少々苦しい状態ですが、裏を返せば「デフレになるより多少過剰なインフレのほうがまだマシ」という判断でもあります。というか失われた30年も回復しようと思えばできるはずのデフレで苦しんでいる日本人が多少インフレしているアメリカをインフレで苦しそうと思うのがそもそもおかしい話なのですが。今はコストプッシュインフレで物価高2%程度ですが、デフレを30年続けている国のデフレマインドというのは、抜け出すのに時間がかかります。それでも減税をすればもっと早くなるのですが。財務省の青木主計局長も、「消費税減税は物価を押し下げる効果がある」ことは否定できないと言っているんですがねえ。ずっと議員への「ご説明」で「押し上げる」と説明しているのか言い間違えてましたが。
 アメリカ以外のEU各国もコロナ禍でデフレの恐れがあるので減税などのインフレを刺激する政策を打ち出しています。やりすぎの例は減税をすでに行い、さらにロシアのウクライナ侵略に影響されるエネルギー価格高騰への控除に止まらず、高いインフレの中さらなる減税を行なおうとしたイギリスのリズ・トラス元首相です。バランスの取れない歳出入はインフレの過熱を呼び混乱を招くためです。
 日本は30年、物価の安定のためにお札を刷らない金融引き締めをしたことでインフレ率0%均衡という物価の安定をしました。しかしこれはもう一つの目的「雇用の最適化」を考えていません。事実日本は30年不景気で雇用が安定しませんでしたし、ワークシェアリングなどの弥縫策で限られたパイを奪い合う、泣く泣く分け合うことになり年収が減ることになりました。特にひどかったのが2008年4月から2012年で、日本銀行総裁があろうことか首相の要請にまともに取り合わなかったような異常な事態でした。第二次安倍政権で、異次元の金融緩和を実施し、雇用は劇的に改善されました。平均年収が下がったとかいわれますが新規雇用された数が大きく増え初任給を得た人が大勢いたのですから当然です。それだけの効果が金融政策にはあるのです。たしかに、異次元の金融緩和はデメリットも大きいです。それが要因で立ち回りに苦労する事業があるのもたしかです。そういう人は「金融緩和を止めろ!」といいますが、他に何もせず止めたらまた不景気になるのです。その人たちが言うべきは「(金融緩和を止めるために)減税しろ!)」と言うべきなのです。
 昭和4年(1929年)に起こった世界大恐慌で、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会。日本の日本銀行と同じ役割の機関。)が金融政策を適切に行わなかったことが明らかになっています。日本の2008年4月から2012年までの日本銀行が同じ愚行をおかしているのと同様、デフレになることがわかっているのにインフレを刺激する対策を行わなかった結果、ニューディール政策などの政府主導の小手先で対応し、米国民はフランクリン・ルーズベルト民主党に自由を差し出したことになりました。ちなみに当時の日本では、大恐慌時に井上準之助という大蔵大臣が、金解禁という金保有量しかお札を刷れないゴリゴリのデフレ政策を行い日本全土を地獄に叩き落してしまい困窮した農村では身売りが横行しました。その後大蔵大臣に就任した高橋是清という不況乗り切りの名人といわれた人が金解禁を即座に解除、お札を刷りまくる金融緩和を行い、日本は世界で一番早く大恐慌から回復した国でした。なぜ井上準之助がそんなことをしたのか。金解禁をなにがなんでもやりたかったからとしかわかっていないようです。金解禁をしても俺ならこの不況を乗り切ることができるはずだと思っていたとか。手段を目的化しています。
 別の視点で擁護することになりますが批判するにも方向性を間違えてはいけませんのでこれは言っておかなければなりませんが、日本銀行官僚の、目的に対する技術的調整力は非常に優秀です。ただ目的を「物価高0%にする」というのが正統派経済学の見地から間違っているだけで。時折、異常なインフレをする国が散見されますが、自国通貨がないまたは自国通貨が自国内ですら信用されていない、日本では想像を絶する政府の腐敗であったり国政が不安定などで年率3ケタ以上(中には5ケタ以上も)のハイパーインフレを起こす国もあります。そこまでいかなくとも、2%を目指したつもりが5%~になったり、突然大手の会社の倒産で雇用の悪化やデフレの恐れを解消するため、国民がデフレマインドをまず持たないようにさせるため過剰気味なインフレ政策を実施して振れ幅が大きくなったりと調整は非常に難しいです。経済評論家の中でハイパーインフレガーという人もいますが、(そうするよう命ぜられれば官僚もできなくはないですが)これまで堅実に調整していた官僚が、0%均衡を維持していたのにインフレになったら目標値を維持できずハイパーインフレにしてしまうような手腕だと言っていることになります。

「選択的非婚」以外の、「不本意未婚」者の多数が経済的に余裕がなく結婚以前の問題であること

 明治から昭和中期にかけては皆婚時代があり、昭和後期以降恋愛至上主義なる言葉も出てきて、価値観が変わったかのようになりました。
 事実、皆婚は今やなくなりどの都道府県、市区町村でも子どもが少なくなっています。また少子化の要因は大きくは少母化ではないかといわれてきています。少母化というと母は女性だけなので女性のせいなのかというとそうではありません。
 ちなみに、江戸時代では日本は平和な世の中を謳歌しており都市部では基本的に自由恋愛だったようです。ただ、人口の9割が農民で、農村では家屋や田畑の継承がありますから、家の継承者はほぼ皆婚でありました。子に恵まれなかったら血縁者から養子をもらうなどしています。その村や近隣の村で養子や入り婿・嫁入りを除いて、家を継承することはないだろうと思われた子から一人前になったら自分の力で暮らしていくようになり都市部などに移住して暮らしていたと思います。江戸時代の人口動態の推移の図を見ていてもごく緩やかな右肩の横ばいのようになっており、今と違い江戸時代は母の数が農村で確保されていたということでしょう。
 しかし今は、婚姻数減=母となる女性が少なくなった、ということでしょうか。
 原因は、自由恋愛でもあるでしょうが、上記の経済政策の失敗だと考えられます。経済政策の失敗は、デフレにより景気が悪化し、年収が上がらないどころか真綿で首を絞められるかのようにジワジワ下がっていき、女性側も子を成せば自由に身動きが取れなくなりますから夫の収入を気にするのは自然なことで、男性もこの年収ではまだ一人前ではないと思ってしまう。ゆえに年収が下がっていくような国にしてしまったことが原因です。
 一気に状況が変化したような状態であれば男女とも意識が変わるので齟齬も起きにくいと思われます。自民党の笹川尭元衆議院議員は世の男性に「少子化は男の責任だ。もっとしっかりしろ」と叱咤しています。(https://www.asahi.com/articles/ASS772JH1S77UTFK00GM.html)
 笹川氏は昭和5年(1935年)生まれで戦前に生まれ戦中後を経験された方です。現在は不景気の時期もあったとはいえ、配給制で食べるものも工夫しなければならないような戦中後と比べれば笹川氏を頭ごなしに批判はできません。(どういう食生活だったかは調べてみてください。日々安価で自分が食べたいと思うおいしいものを食べられる現在からは耐え難いものです。)しかし、1989年以降の日本ではどれだけ頑張ってもデフレ経済の元では年収は上がらず下がる一方でした。女性は親世代からの暮らしを知っており、戦争などの非日常的な劇的な変化があったわけでもない。ただ景気が悪いという実感はある平和な世の中で「自分がこれまで育ってきた環境と同程度の暮らしを自分の子どもにも」と思うのも自然のことなので、緊縮政策下で男女間の思惑の齟齬が埋められないままでした。原因は政治家が、経済が重要であるとみることができず、国民に飯すら食わせられなくなったからですし、その政治家を輩出した国民側にも責任はあります。
 当の笹川氏は1963年にご長男に恵まれておられますが、1960年から池田勇人が首相になり「所得倍増計画」が行われておりました。「10年で所得を2倍にする」を公約に8年で達成。経済学者で元日銀副総裁の岩田規久男先生が学生時代であった当時「まさかそんなことができるのか」と半信半疑であったと書かれていますので、当初はたしかにそうだったのでしょう。しかし年を経るごとに日本に活気が戻ってきたのは肌身で感じられたことでしょう。笹川氏がご子息に恵まれたのはそういう時代でした。あなたが衆議院議員で政策に携わる一員という立場に立つこととなった後、我々に叱咤するのなら、がんばったらがんばった分の見返りが返ってくる世の中を構築して「せめて国民に飯を食わせられるくらいの経済の知識を得てから言ってくれ」ということです。笹川氏一人の責任ではありませんが、ド素人だけど日本を良くしたいからせめて実績ある経済学者の本は読んでおこうという筆者程度のマクロ経済の知識をお持ちであれば「緊縮政策を20年以上も続けてしまい若い皆さんに苦労をかけてしまって申し訳ない」という言葉が、筆者が笹川氏の立場なら言うべきことです。2009年に落選されていますので参加できないでしょうが、2012年に松原仁衆議院議員が会長を務めた「デフレ脱却議連」が立ち上がって超党派となり、金子洋一、山本幸三、渡辺喜美、中川秀直といった議員の方々が正統派経済学に則った提言書を出し、奇しくも直後の安倍政権で実施されましたが、仮に議員であったならあなたはこれに参画しようという意思はあったのでしょうか。

実は結婚したい比率は変わっていない

 荒川和久氏によれば、結婚に前向きな若年層は平成4年(1992年)当時と2令和3年(2021年)で変わっていないといいます。
「若者が結婚離れしているのではない」そもそも結婚に前向きな若者は昔も今も5割程度(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0c5ffef096f613d63431ca20211031a49ab70a49

 これは結構意外ではあったのですが、バブルの残り香の最後のほうが残っていた当時と現在とで結婚の意欲が変わっていません。問題は結婚したくてもできない人が大勢いることです。
 皆婚時代のすさまじいところは、どの世代にも10~15%はいる異性に興味がない層、いわゆる性同一性障害の人たちがいるのですが、そういった境遇の人たちも結婚していた(させられていたともいうべきでしょうか)ことです。まあ、江戸幕府での将軍の中にも女性に興味のない将軍もいたようで、それでもやはり政治の安定、ひいては国民の平和の安寧のためにも側近が説得や工夫もしていましたが。
 今の日本の価値観でよほどのことがない限りさすがに皆婚は難しいでしょうが、結婚を考えていてもお金に余裕がない人の収入を上げ、行動を促して成婚させることはできるのではないでしょうか。結婚した夫婦が子どもを産む数はおよそ2前後と、1980年から大きく減っていないといいます。

「少子化ではなく少母化」婚姻減が生み出す少子化加速の負のスパイラル(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/845eadf6710f54d7e9ba298eec7e1ddd84a730a8

 とはいえ、最近自治体で公的な結婚相談所を実施するというような試みが見受けられます。これは絶対やめたほうがいいです。こういうのが「公金チューチュー」に繋がっていくわけです。今でも民間の結婚相談所はピンキリありますが真剣に取り組まれている相談所もありますし、やはり相談所であっても男女の仲を取り持つには、仲人のこれまでの恋愛経験から伝授するテクニックやアドバイス、着眼点などもありましょう。それがお堅い役人にできるはずもありませんし、じゃあ外注したとしたら民間でできているのにそれこそ無駄だし非現実な注文を相談所につけて失敗するのがオチです。公金で運営するとなると中には自身の価値を見誤っている人がいたりするのをいなすのも難しいし、そういう人に余計な公金が使われることになります。マッチングアプリではそも恋愛強者の草刈り場で、既婚者の不倫、結婚を考えていない快楽層がいる問題があり、独身であることを公的に証明する証明書が用意できるのは利点ではありますが、それも真面目な民間結婚相談所ではもはや普通です。どこがそうなのかは自分のことなので自分で情報収集して審美眼を養うしかありません。
 まあここまでにしておいて、余計なことをやるなら減税して若者の可処分所得を増やし、男性のデート代の余裕やせめて税金をできるだけ取らないようにして女性の求める収入に近づけるようにする、結婚を考えるような可処分所得の収入を若者が得ることができ、将来年収が上がっていく明るい未来が想像できるような社会構築をするのが先です。
 そこから先は、本人の気持ちや行動、家族や親しい人次第です。経済的理由の言い訳を吐けないようにすれば多少は違ってくるのではないでしょうか。

どういう社会をつくりたいのか

 本書の中に、著者がテレビに出演された際、他の出演者から「結局我々がどういう国をつくりたいのかの話になるのではないか、それに応じて必要な対策も違ってくるのでは」という問いが投げかけられたそうです。
 ひとまず少子化については、現時点で出生数が増加したり、ましてや人口増になる未来はまだありません。どうしても人口は減っていきます。人口動態の推移はどう好転してもしばらくは減っていきます。しかし今後は、そこに生きる日本人の意識如何で変わります。どうなるかよりどうするか、です。
 著者は少子化を前提として、その影響を和らげることを優先すべきだというのが考えであるようです。
 筆者は「天皇を中心とする日本人による日本人のための日本国」にしたいと思っています。アメリカでは南方から不法移民が流入して治安が悪かったり、ロシアがウクライナに攻めたり、台湾が中国の影響力工作に晒され続けたり、アフリカでは内紛が絶えない国が続く中、日本人が日本人を産み育て、万世一系の天皇が統治する日本人のための国であり続けたいと思っています。そのためには他国から侵略されない、影響力工作に負けない国力が必要で、相対する国との比較もありますが侵略を受けないようにしなければならないくらいの人口がいるでしょう。問いを投げかけた他の出演者は、きっとこういう回答がほしかったのではないかと思います。もし筆者のいう日本国でなく、ただ単に人口を維持したいだけならそれこそ移民を大勢受け入れ、いろんな国籍の人が入り混じる国にもなるでしょう。いや、経済が良くならないなら外国人の人たちから移住先にも見られなくなるんじゃないかな。もうそういう兆しもまざまざと見えているし。
 しかし日本は明治維新で亡国の危機から奇跡の復活を成し遂げ、その子孫である我々ができないことはありません。100年先の日本人の子孫に日本国を守り続けたぞと、胸を張って言えるように。

参考文献

・経済学者でない著者が一般人に向け「経済学をなぜ学ぶ必要があるのか」の哲学
倉山満「これからの時代に生き残るための経済学」
倉山満「嘘だらけの池田勇人」

・一般人が学ぶべき経済学のおおよその通史
柿埜真吾「本当に役立つ経済学全史」

・経済学の初歩
永濱利廣「日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか」
野口旭「ゼロからわかる経済の基本」

・大著
岩田規久男「資本主義経済の未来」

・財務省(大蔵省)のはなしや寄り道
倉山満「財務省の近現代史」
岩田規久男「経済学の道しるべ」

荒川和久「結婚滅亡」
山田昌弘「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか」


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