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腸閉塞体験記 4日目②

2025年1月10日(金)

回想:過去の手術②

2日目①に途中まで書いた過去の手術の記憶です。忘れる前に記録しておこうと思って書いています。

半年かけてダイエットする。当時の体重は確か78㎏ほど。MAX84㎏あったこともある私としては、低め安定していると思っていた時期だ。最低でも5㎏は落とさないと手術は難しいとのこと。
半年で5kgなんて簡単でしょ、と思われる方は多いと思う。1ヶ月あたり1㎏落とせば十分なんだから。しかしながら、それが出来る人は多分、太ってなどいない。

就活のためのダイエットは成功した訳ではなかったが、ジム通いで体力は付いたと思った私は、既に新しい仕事を始めていた。

長年接客・販売の仕事をしてきた私としては、本当は同じようなお店での仕事がしたかった。けれども世界はコロナ禍の真っ只中。人同士の接触を極力減らさなければならないという風潮の中、新たに接客の仕事に就くのは難しいと思われた。
そんな時、ポストに入っていた求人情報のチラシで、すぐ近所で清掃の仕事の募集があるのを見つけた。清掃なら人と直接接することは少ないだろう。シニア大歓迎というのも魅力的だ。

50代目前だった私は、次の仕事が最後の仕事になるかもしれないと考えていた。新しいことを覚えるのが難しくなってきている。60歳で定年退職になる仕事だと、10年後にまた仕事を探さないとならない。60歳の私に新しい仕事なんて覚えられるだろうか?それなら、高齢になっても続けられる仕事を今始めた方が、楽に働き続けられるのではないか?

自宅の掃除はキリがないので億劫だが、外での掃除は嫌いではない。
学生時代は、「大掃除の日」にテンション爆上がりする系の子どもだった(そんな子が他にもいるかは知らないが)。みんなが嫌がる学校のトイレ掃除も、水をザブザブ流してデッキブラシで擦るのが爽快で楽しかった。窓拭きなんてお楽しみイベントで、落ちるからもうやめて〜っ、と先生に叱られるくらい身を乗り出して必死に拭いた。

社会人になってからも、いろんな勤務先で掃除をよく褒められた。オフィスでは退勤前、お店では開店前、毎日最高の仕上がりを目指して掃除に励んだ。要領が良い訳ではないが、清掃なら根気よくやれる気がしていた。

実際、清掃の仕事はなかなか楽しかった。やればやっただけピカピカになる。勤務時間内に終わらせないといけないから、とことんこだわっていい訳ではないが、作業が捗った時は余った時間で普段より丁寧な仕事が出来る。
接触が制限されている時代だが、ご苦労さま、ありがとう、と声をかけてくださる方もたくさんいる。

仕事はなかなか楽しかったのだが、毎日、明日こそ辞めよう、それともいっそ、このまま死んでしまおうか、と思いながら退勤していた。職場での人間関係がうまくいかなかったのだ。
ボロボロの心で退勤しても、家に帰ったらなんとか修復できた。もう一日だけ行ってみよう。もう一日...

半年後、ヘルニアの手術が決まり、当分体を屈めて掃除することは出来ないからという理由で仕事を辞めた。ストレスのせいか、運動も食事制限もしていないのに、目標をほぼクリアしていた。

手術に不安が全く無い訳ではなかった。誰しもそうだろう。でも、自然に治ることはないらしい。腸が括られてしまう前に、腹を括るしかない。
当時大学生だった上の子が、家事は任せてと言ってくれた。家のことは心配ない。
こうして私は、腹壁瘢痕ヘルニアの手術(1回目)を受けた。

手術は無事終わり、痛みもほとんど無く、快適な入院生活を送っていた。コロナ対策で家族と面会することは出来なかったが、計画入院だったので、読みたい本などを用意して、静かな時間を楽しんでいた。

順調に回復し、傷口に貼られていた絆創膏が取り除かれた。シャワーを浴びに行った時、恐る恐る傷口を見てみた。きれいに縫い合わされた跡。あれっ?おへそが...無くなってる⁈

動揺しながら思い返してみた。手術前に受けた説明で聞いていたかなぁ?聞いたような気もする。私のことだ、治るならなんだっていいと気にも留めなかったのだろう。実際最初は驚いたが、もうどうということはない。

その後お会いした時に部長先生は、傷跡見た?びっくりしたやろ〜、でもおへその所、少し窪ませといたから、とおっしゃって朗らかに笑った。確かに、遠目から見たらおへそっぽい窪みがある。気を遣ってくださってありがとうございます、先生。お腹見せファッションなんてするはずないから必要はないけど。

退院する際の注意事項として、この病気はとても再発しやすいと聞いた。3割くらいの人が再発するらしい。手術で弱った腹壁は、簡単にまた穴が開いてしまう。4回も5回も再発を繰り返す人もいるそうだ。
再発を予防するには、とにかく腹圧をかけないこと。重い荷物を持ったり腹筋運動したりはもちろん、食べ過ぎも腹圧がかかるから絶対にしないように!

退院後しばらくはこまめに、徐々に間隔を開けて、部長先生の検診を受けた。経過は順調だった。死にたくなるほど嫌だった職場には、もう行かなくていい。しっかり治して、ちゃんと動ける自信が付いたらまた新しい仕事を探そう。

半年後、コロナの警戒レベルはかなり低くなってきていた。感染症対策は人々の日常となり、接触を避けながらも活動は制限しない、そんな社会に変化していた。前の業種とは違うが、接客・販売の仕事が見つかり、私は再び働き始めた。

16:00頃 家族が面会に来る

LINEで頼んでおいた部屋着のベストを持ってきてくれた。良かった、これで売店にも行ける。外来の患者さんも、面会のご家族さんも立ち寄る売店に、パジャマ1枚では行きにくい。
談話室に移動する。今日はずいぶん賑わっている。
外はかなり寒いらしい。この周辺でも、午後に雪がちらついていたそうだ。確かに、雨音を聞いた覚えは無いが、地面が濡れている。
談話室のテレビから流れてくるニュースを見ながら、世間話を交わす。30分はあっという間だ。道路の凍結に十分注意して、と念を押して家族を見送る。

2年前の冬の朝、私は自転車で出勤途中に転倒して負傷した。自転車ごときれいに真横に滑って倒れたため、外傷は腕の擦り傷だけだったが、反対側から来た車に危うく接触するところだった。

前日に雪が降り、積もりはしなかったものの道路が濡れていたのを知っていた。凍結の恐れがあったため、いつも通勤に使う人通りの少ない狭く急な坂道を避け、遠回りになるが、比較的平坦で広い道路を走っていた。緩やかなカーブを曲がろうとした瞬間、コントロールを失い転倒した。

接触寸前で停車した車の運転手さんが心配そうに、大丈夫ですか?と声をかけてくれた。大丈夫です!と答えて、車の前に倒れていた自転車を起こして道路の端に停める。自分の体と荷物、自転車をざっと点検する。多分大丈夫だ。早めに家を出たので、まだ仕事に間に合いそうだ。さっきより慎重に、スピードを落としながら出勤した。

17:00頃 売店に買い物に行く

パジャマの上にベストを着て、靴下とスニーカーを履いて下の階へ。この病院の売店は大手のコンビニエンスストアだ。小さい店舗ながらもコンビニPBのスイーツやパン、お弁当やお菓子、飲料などが所狭しと並んでいる。見たら食べたくなるので見ないようにして、医療雑貨コーナーに向かう。
3枚入りの紙パンツと...そう言えば爪楊枝とか欲しかったなぁ。糸楊枝にしよう。まだシャワーは出来ないが、出来るようになった時のためにシャンプーセットも買っておこう。ついでにお水も買っておこう。
数日ぶりの買い物に心が弾む。
家族に頼んでドラッグストアで買ってもらった方が安上がりだろうなぁ、と一瞬迷うが、今は自分で出来ることは自分でやりたい。

18:00頃 夕食

夜担当の看護師さんが来られて、体温と血圧を測定。平熱で、血圧も130台とのこと。良かった。血糖値も問題無し。

今回も全粥だ。まぁでも、私はご飯は柔らかめが好きだ。全く問題ない。豚肉、久しぶりだなぁ。あっさりしていて美味しい。柚子の酸味、大根おろしの辛味と苦味、我が家では味わえない味覚だ。味に彩りがあって楽しい。

私には子どもが3人いる。上から真ん中までは7歳、真ん中から下までは6歳離れている。20年近く、我が家には常に乳幼児がいたということになる。料理が苦手で要領も悪い私に、個々に合わせた食事を用意することなど出来ない。20年間、幼児が喜ぶメニューだけが食卓に並び続けた。
バラエティに乏しい食卓で育った子どもたちは、すっかり子ども舌になってしまった。酸味も苦味も辛味も苦手だ。それでも大学生になり外食が増えると、新しい味覚に出会い苦手は減ってきたらしい。既に社会人である上の子は、辛味だけはまだ苦手だが、酸味や苦味は楽しめるようになったそうだ。

残念なのは夫だ。夫の両親が40代になる頃に生まれた夫は、とても大事に可愛がられて育ったそうだ。優しいお母さんは、息子が嫌がった食べ物は二度と食べさせなかったらしい。大好きなお料理だけが20数年、食卓に並び続けた。
慎重でこだわりの強い夫は、大人になってからも未知の食べ物に挑戦することはなかったそうだ。50歳を過ぎた今も変わらない。辛味はお父さんの晩酌のつまみを分けてもらううちに克服したそうだが、酸味と苦味のあるものはほとんど食べられないままだ。

下の子ももう中学生だ。子ども向けメニューは卒業させてあげないといけないと思ってはいるが、うちにはまだ子どもがいる。夫だ。夫が食べない料理を作るのはどう考えても無駄だ。結婚する前に、この食生活は一生変えるつもりはない、と宣言されている。それを承知して結婚したのだ。今さら変えられない。下の子も数年後には未知の味に出会い、豊かな味覚の世界へと巣立っていくだろう。性格が夫に似ているので心配ではあるが...

味わい豊かなお料理を楽しくいただき、完食。ご馳走様でした。
食器を返却して、お箸セットを洗って、さっさと歯磨きを済ませる。買ってきたばかりの糸楊枝で仕上げ。ベッドに戻る。

テレビを付けて番組表をチェックする。あまり興味の惹かれるものが無かった。夜のニュースだけ見て、その後はスマホ作業などして過ごす。

21:20頃 寝る前の習慣

今日も忘れず英語学習をしよう。談話室には...よし、誰もいない。
アプリを開いてレッスンを始める。2レッスンをノーミスでクリアすると報酬があるらしい。順調に正解を重ねていく。あれっ、ハンバーガーのスペルってどうだっけ?あぁ、やっぱり違うか...
1レッスン目はミスが出たが、その後の2レッスンをノーミスでクリアして終了。

もう少し時間があるな。音楽を聴こう。音楽アプリを開いて、一番上のプレイリストを眺める。よし、今夜はこの曲を聴こう。
「満ちてゆく/藤井 風」。静かなピアノソロに続いて、低くそっと囁くような歌声が流れてくる。ゆっくり息を吐き、目を閉じて耳を傾ける。穏やかな時間。心が満たされてゆく。

22:00  消灯時間

廊下のトイレに寄ってベッドに戻る。看護師さんが患者さんたちに声をかけていく。消灯。お休みなさい。

今回はほとんど回想になってしまいましたね。病気と関係ないことも多くて、闘病期と思って読まれた方、ごめんなさい!タイトルに偽りありになってしまうでしょうか...。しかしながら、入院中って自分と対話する時間が多くて、過去を振り返ることがどうしても増えてしまうのです。ご了承ください。それでも最後までお付き合いいただいた方がいらっしゃいましたら、どうもありがとうございます。気が向かれましたら、また続きもご覧ください。

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