かんしょうする(10/21)
こんにちは!七草です。
絵や文字を書きたい気持ちと、勉強したい=沢山インプットしたい気持ちが噛み合ってくれなくて苦しんでいる毎日です。
大学の勉強は難しいし、頭が足りなさすぎて宿題もまともにこなせないので勉強をとりあえず頑張ろうとしています。
今日のタイトルは「かんしょうする」
「かんしょう」と聞いてどのように漢字変換されましたか?
私は理系学生ですから「緩衝」が咄嗟に出てきます(し、最近は緩衝に苦しめられてますからこのタイトルにしたというのもあります。)。
他にも、「鑑賞」や「干渉」「完勝」「感傷」「環礁」なんかもあります。
そんな多数意味のある「かんしょう」ですが、今回は「干渉」と「鑑賞」、「緩衝」にスポットを当てます。
「干渉」と「鑑賞」というのは、良くも悪くも「自分を何かしらの外的な影響を与えるもの」です。
そして「緩衝」は、それらを相殺します。
私は、高校で初めて「緩衝液」を習ったとき、私が緩衝液になれたならどれほど良かったろうかと思いました。羨ましかったのです。
緩衝液は、pHの変化を小さくするものです。言い換えれば、溶液内のイオン環境をある程度そのままに保ってくれる。
私もこんな風に、どんなことがあっても揺らがないで、傷つかないでいられたら、と何度も思っていました。
最近は緩衝液ばかり扱っていますから、そのことを思い出して懐かしく、確かになぁと思ったりなんなり
私は「鑑賞」は大好きですし、「干渉」は嫌いです。
でも「緩衝」液のようになってしまったら、確かに「干渉」の嫌悪感から逃れられるかもしれないけれど、貴重な「鑑賞」すら心に響かなくなってしまうのだろうなと、思います。
人間としてちゃんと生きることの難しさに脱帽する日々です。
鑑賞したものの美しさや穢さを心に留められることと、心の強かさを持ち合わせるのはもしかすると難しいのかもしれない、なんて思いました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。七草でした。