誰かのコピーになるために生きているのはない。自分の人生を生きよう
SNSを見ていると、自分ではない誰かになろうとしている人が非常に多いと感じましたので、今日はその話をしようと思います。
私の感じたことは、「あなたはそのままで充分に素敵だと思う」ということです。
SNSでは誰かのコピーになろうとしている人が多い
SNSをやっていると、誰かのコピーになろうとしている人があちらこちらで見かけます。
確かにビジネスで成功するなら誰かを真似た方がいいとはよく聞きますし、実際にその通りなのだと思います。
ただ、そんなにうまくいくものだろうか?と思う自分もいる。
たとえばX(旧Twitter)の投稿を見ていると、とってもキラキラしていている投稿が多いですよね。キラキラ投稿をするユーザーは「◯◯万円稼ぎました」とかそういうことを自ら言っちゃっています。
私は母親から人前でお金の話題だけは絶対に言ってはいけないと言われて育ちましたので、平然とお金の話題をするXの界隈には違和感があります。
さて、そのキラキラユーザーのコピーをすれば、自分もいつかはあの人のようになれるのでは?と希望を持つのではないでしょうか。
しかし、その話は真実なのか?嘘の情報で溢れるネット上では、まずはここから疑っていかなければならないと思う。
その人が自身のマネタイズのために嘘の実績を言っていることだってあるかもしれない。
だからこそ、本当か嘘かわからない情報を真実だと捉えるのは早計だと思うんですよね。
仮にそれが真実だったとしても、その人と自分は別人であるということをしっかりと頭に入れておきたい。たどってきた人生が違うし、置かれている環境も違う。成功しているのは見えない部分でベースとなるスキルや経験があるのかもしれない。
だからSNSの他人の成功談に再現性があるとは私はとても思えない。そういうキラキラユーザーを真似てもうまくいかないと思うし、自分の商材を売るために読み手に希望を持たせていることだと思うから、結局は自分に配られたカードで戦うしかないような気がするんです。
話は変わるけど、コピペで「真似」タイズしてるブロガーって最低よね
Googleで検索すると、有名ブロガーの記事をそっくりそのままコピペしている記事を見かけることがあります。私はそういう書き手を見ると、やっている事がダサすぎると思います。
他人のブログ記事のコピペをして、恥ずかしいと思わないのかな?と。
さも自分の作品のようにしれっと世に出しているけど、バレないと思ってやっているんですね、きっと。たまたま私は元記事を読んだことがあり、その記事を読んだ時にはすぐにパクリ記事だとわかりました。
私が見たコピペサイト運営者は、確かライターかブログか何かのコンサルと名乗っていました。ただ、法律に違反する人に何を教わることがあるのでしょう?先生と名乗るなら、著作権を勉強してから出直した方がいい。コピペブログ運営者は、要するに自分の頭で考えることを放棄しているんですよね。それでも「稼ぐ」という大きな目的があるから、それを達成するためには手段を選ばないのでしょう。
私の中でのブログの位置づけは自分の人生=ブログだと思っています。ですから人の文章つまり他人の人生をまるごとコピペし、自分のブログに貼りつけているなんてどういう神経の持ち主なんだろう?真似された人の気持ちを考えたことがあるのか?と思うんです。コピペ常習犯はその方がどれだけ頭に汗をかいて記事を書いたのか、そういう背景がわからないのでしょうね。
私はそういう人は「人に与えず奪うだけ」の、いわゆるテイカー気質だと思います。
あの人に負けたくないという嫉妬心が、間違えた方向に行くと思う
SNSをやっていると自分を見失う時があるでしょう。それもそのはず、SNSは競争心を煽る世界だからですよね。「◯◯で成果出しました!」「〇〇で評価されました!」などユーザー自らアピールしちゃっているんですもの…また、そういうポストが「すごーい」って称賛されている。考えてみると変な世界ですよね。ストレス溜まるのもムリはありません。
で、ここであの人には絶対に負けない!私も頑張るぞー!って考えるのは危険です。それだと競争に参加してしまうことになります。
「誰かに注目されたい」「認められたい」そういう気持ちにとらわれてしまうと、虚構の自分を作り上げてしまうんですよね。それが落とし穴ではないかと私は思っています。
他人に評価されることが基準となっているので自分をどう見せるのかにこだわります。するといつの間にか承認欲求モンスターになり、自分を見失うことになり兼ねません。
他人の真似はやめよう
成功者のやっていることをまるごと真似してしまうと、Google検索の金太郎飴的な記事のように、SNSの投稿もアイコンは違えど、どのアカウントも同じにしか見えないんです。
人生の目標って誰かの二番煎じになることなのでしょうか?
私は文章を書く人とは絵を書く人や芸術を生み出す人と同様に「クリエイター」だと思っています。だからこそ「独創性」にこだわる必要があると思います。
個人的にはもっと自分の考えを尊重したいと思っていますし、頭に汗をかきながら自分流を貫き通したいです。
今後のGoogleのアップデートでは、そういう個人の「独創性」が評価されていく流れになると予想しています。
もし、自分のコンテンツに価値を持たせたいなら、他人のモノマネは今すぐに辞めた方がいいような気がする。
あと真似する人は真似される人の気持ちに対して鈍感だという印象があります。
真似する人は学びになって良いかもしれません。しかし真似されるのは誰でも嫌なものです。真似される人はそこまでの作品を作り上げるために、努力を重ねてきていることを頭に入れておくといいかもしれない。
だから真似るが正義だとか、真似る側が正論のように振りかざすことは絶対にしないでください。
これは真似された人にしかわからない感情です。
真似するのは、相手が真似してもいいよ、と言ってきた時だけにしてほしい。
今後は自分の頭に汗をかき、自分で答えを導いていくことが大事なのかもしれない
話は変わりますが、私の子どもは4月から中学校に入学します。
先月、入学説明会があり、その際に中学校の先生が、生徒たちが学びに対して受け身であるとおっしゃっていたのが印象に残りました。
コロナ禍の際に自宅学習することになった時、先生や学校からの課題がないと生徒たちが何をしていいのかわからないということがあったそうです。
要するに、学生たちは学びに対して主体的ではなく受動的であるということです。
これは私たち大人にも同じことが言えるのではないでしょうか。
今後はAIなどの先端技術が急速に進化し、社会は変わっていくと言われています。
ただ、世の中が具体的にどう変わるのかは、私のような一般市民には見えません。
学校側の説明を聞いてもよくわかっていない印象でした。
多分、今のところは答えがないんですよね。学生さんが今まで勉強していたことは不要になるかもしれないし、しばらくは従来通りなのかもしれない。
そういう時代を迎えるからこそ、自分の頭で考える癖は、身に付けたいですね。自分のやるべき事や人生の答えは他人の中にあるのではなく、自分の中にしかない。
本当に大切なのはSNSといった仮想世界ではなく現実世界。周りに目を向けよう
SNSをしていて嫉妬心が芽生え、対抗意識を燃やして誰かになろうとしているぐらいなら、いっそSNSから離れましょう。競争から一抜けした方が幸せですよ。
SNSといった仮想の世界ではなく、それよりリアルな世界に目を向けた方がいいです。
会ったこともない他人に目を向けるよりも、身近にいる大切な人に目を向けた方が幸せだと思うんですよね。それが現実を生きるということではないでしょうか。
子育ての真っ最中なら、子どもと遊んであげることや話を聞いてあげること。私も子育て中の主婦ですが、小さい頃の子育てってまさに今しかできないことなんですよね。とくに幼少期のお子さんとのふれあい遊びは大事です。私は息子の外遊びにとことん付き合ったことが確実に未来につながっていると思っています。息子は今では生き物が大好き。それが将来の仕事につながるかもしれない、そう考えると未来は明るいです。
私は子どもが幼少期の頃に在宅ワークをはじめましたが、その時に下の娘にかまってあげられなかったことを今はとても後悔しています。
大切な時期の子育て、子どもに背を向けパソコンに向かって作業するべきか。子どもがかまってほしいというサインを出しているのにもかかわらず、自分のビジネスを育てるために子どもの欲求を無視するのか。
選ぶのは自分自身です。それが自分の頭で考えることだと思います。
今しかできないことを精一杯やることは誰のモノマネでもないし、それが自分の人生を形作るのだと思います。