【歌詞解釈方法論Part.1】フォニイで学ぶ歌詞解釈の方法 前編
こんにちは、ウーパールーパーです。いつもはカードゲーム関連の記事を上げているのですが、今回は歌詞解釈に関する記事を書きます。
というのも、以前友人の前で私が歌詞解釈を行ったことがあったのですが、それを聞いてぜひ自分でもやりたいと言われたのでその友人のために私が行っている内容をまとめようと思いました。
まず、私は特に文学専攻などではなく、本当にただ音楽が好きなだけです。特に思春期に良く聴いていたBUMP OF CHICKENの影響で歌詞に対する関心が非常に高く、高校生のころは授業中に一人で歌詞解釈をしていました。ですので、特に専門家というわけでもなく、自己流で身に着けた方法をここにまとめます。
何もなしで解説するのも難しいので、今回は「フォニイ」という楽曲を例に紹介していこうと思います。
ちなみにあくまで解釈なので、こじつけのような無理筋考察はあまりこの記事には出てきません。(多分…)
1. タイトルから想像を膨らませる
当たり前ですが曲のタイトルは重要です。タイトルはその曲を象徴するものであり、拘らないアーティストは殆どいないでしょう。
私は歌詞解釈をするときはいつもタイトルから始めてタイトルで終わります。
今回例に上げる「フォニイ」は非常にシンプルなタイトルですね。偽物という意味です。
一体何が偽物なのでしょうか。あるいは、偽物の何を表現したいのでしょうか。偽物を肯定したいのでしょうか、否定したいのでしょうか。
こういった作詞家の伝えたいことをタイトルから色々と想像します。このときが一番楽しいかもしれません。
また、あえて偽物や贋作といった日本語ではなく、カタカナでしかも英語を使っています。もしかしたらここにも意味があるかもしれません。
よくある手法ですが、我々が日本人である都合上、漢字は意味と音をどちらも明確にしてしまいます。逆にカタカナやひらがなで音だけを表現することで、掛詞にしたり意味をぼかしたりすることができます。
また、漢字よりは馴染のない英語にすることでわかりにくくしたり、漢字だと意味がずれてしまう場合にそれを修正したりできます。カタカナ英語などは最たる例で日本語にピッタリハマる言葉がなかったりします。
あえてひらがなやカタカナ、漢字、英語にしている場合はその意味を想像してみましょう。
題材のフォニイであれば、カタカナにすることで日本人にも英語話者にも意味が通じにくくなっているように思います。もしかして何かを隠したい(ぼかしたい)のか?あるいは音楽なので単純に響きの問題かもしれません。
そういった想像をひと通りメモに書きなぐってから歌詞を読み始めます。
2. 作者や主人公の最初の主張を読み解く
次からは順番に歌詞を追っていく作業に入るのですが、そのなかで意識していることは主人公や作者の主張を掴むことです。それは明確に出される場合もあれば言葉のニュアンスで示される場合もあります。
例題のフォニイはわかりやすく最初に打ち出してくれています。
今回のようにすぐには出てこない場合は、そのまま順番に読んでいって、見つかった時点で最初に戻ってその主張までを読み直します。歌詞の主人公のスタンスがわかるだけでかなり理解度があがるはずです。
では話を戻して、主張を見つけたら次に行うことはその真偽と裏返しを考えることです。
フォニイの主張は「嘘は綺麗」ということです。
これによってその裏返しである「真実は醜い」も隠れた主張です。
そして「嘘は綺麗」がもしも偽であるならば、裏返って「真実は綺麗」が主張ということになります。
おそらくこのいずれかが主題となって話が進んでいくことが想像できますね。
このように序盤の主張を理解することで今後の話の流れをパターン化して掴みやすくなるのでオススメです。
また、Antipathy worldからいがみあっている関係性が推察できます。果たしてこの世界が世の中を指すのか自分自身の中の世界を指すのかも要注目ですね。
3. 歌詞の中の違和感を探す
歌詞から雨の中濡れて傘をさす姿が思い浮かびます。このように情景を描きながら主張も伝える歌詞はとてもお洒落で楽しくなりますね。
ここでポイントになるのはやはり「心の裏面」でしょう。心の裏側、本音。嘘と対極に位置する言葉です。それが絶望の雨で濡れてしまっています。嫌なこと、辛いことがあれば心の裏面が濡れてしまうことはイメージできますが、それに対して「煩わしいわ」という言葉に少し違和感を感じます。
絶望の雨の中にいることに対して苛立ちを覚えている。無くはないですが、どこか他人事にも感じます。
もしかしたら絶望しているのは本人ではない可能性もありますね。雨という点も自分以外の要因ともとれます。
考え過ぎかもしれませんが、このように自分の感覚から少しずれた表現があれば要チェックです。
もちろん単純に雨で湿った前髪という表現に沿う形で煩わしさという言葉がでてきた可能性もありますし、うまくいかない苛立ちにも読めます。
4. 歌詞の対比を整理する
この対比構造は美しいですね。非常にポイントが高いです。個人的にこの曲のなかで一番好きなフレーズです。
言葉が枯れ切っているのに対して事実は熟れている。ここで、言葉=嘘、事実=真実と捉えると嘘と真実の話がこの中にも見られます。
この比喩から、最初に出てきた造花も含め、植物がこの曲のモチーフとして使われていることが見えてきますね。ここでひとつ疑問が生じます。嘘で出来た花=造花は枯れることはありません。なのになぜ言の葉は枯れてしまうのか?
ひとつめは、言葉=嘘という解釈が誤っているという仮説。
もう一つは、言の葉を紡いでいるのは造花ではない=総てが嘘ではない、という仮説です。
総てが嘘の造花であれば言の葉が枯れることもなかったのに、私はそうではない。
ここで、1の項目で予想した展開のひとつ、「真実は醜い」という方向に話が進んでいくことがわかります。
そして同時にここでいう真実=本当のあたしであることも見えてきますね。
特に矛盾点も見当たらないのでこの仮説を採用して読み進めます。
さらに、ここで2で私が設定した主張が正しくなかったこともわかりました。
正しくは、「総てが嘘であれば綺麗」で、その裏返しは「真実が含まれると醜い」でしたね。テストだとバツになっていました。反省です。
続いて、歌詞は事の実があたしに熟れている、と続きます。「熟れている」という表現には2つの意味を想起させます。
一つは充実していること、もう一つは腐り落ちる前だということ。今回は両方正解に思えます。この文才、惚れ惚れしますね。少ない言葉で多くの意味を持たせるのは、スピッツファンの私には大好物です。本当のあたしがどんどん大きくなって、腐り落ちてしまいそう。隠すための言葉も枯れ落ちてしまった。醜い私が顔を出していく絶望が伝わります。
もう一つの違和感として、熟れるという事象は自己完結的なのに、「あたしに」という言葉が入っていることです。
2の項目であったとおり違和感は拾っておきましょう。
考えられる案の一つは、掛詞になっていることです。例えば、売れている、憂いているなどと掛けていれば、「あたしに」という言葉が入っていても意味が繋がります。ただ、ここまでで推察できそうなものはないのでこの案は保留です。個人的には憂いている説は好きです。
もう一つの案は、本当のあたしが熟れることで、嘘を混ぜたあたしに「お前は造花ではない」と突きつけているという解釈です。本当のあたしがあくまで勝手に熟れることで、まるであたしに何かを突きつけてくる、あたしを責め立ててくる、その被害者意識が「あたしに」という部分に現れている説です。本当のあたしがあたしであるだけで、それがあたしを追い詰めて肥大化して腐っていく。
ちなみにこれは、2の項目で少し触れた言葉のニュアンスから主人公の感情や主張が読み取る作業ですね。少し飛躍していますが、大きくは外れていないでしょう。
まだサビにも入っていないのに3000文字を超えて絶望の雨が私に降ってきています。…頑張ります。
5. カメラの切り替わりとカメラワークを読む
特徴的な部分として、絵画と書いてメイクと読ませています。
このことから自分にメイクをして自分を着飾ると同時に自画像を描く描写を重ねていることがわかります。
ここで描かれている嘘(自画像)は、これまでの話の流れから造花であることが推測できます。
鏡に映る自分から、嘘だらけの完璧な自分を描く。そしてそれがメイクであることから顔に貼り付けて周りに見せるものであることもわかります。
この表現も非常に美しくて、メイクと自画像を重ねて読ませる理由がよくわかりますね。
メイクだけにしてしまうと、人に見せるための仮面という要素ばかりが目立ちます。逆に自画像だけであれば極めて内向的で自分の理想を追い求める姿だけがクローズアップされてしまいます。
そうではなく、あたしの理想を描いてそれを顔に貼り付けて周りに振りまく姿をワンフレーズで描くためにこの歌詞はこのように読ませているのでしょう。これだけで非常に言葉を大事にされている方だというのが垣間見えますね。
そして自らを見失った、ということから自分の理想を演じるうちに自分自身を見失ってしまっていることもわかります。
さて、メイクをするとともに曲の展開も歌詞の展開も大きく変わります。
この部分は明らかに空気が変わり、異様に明るくなっています。何故か?
もちろんカメラが切り替わって「造花のメイクをしたあたしの視点」だからですね。ここまでとは違う、嘘で塗り固められたあたし視点に変わっています。
軽快にダンスを踊り、ことさらに明るい「あたし」が、謎々を数えて遊びましょう、と語りかけています。
その謎として提示されているのは「何故此処で踊っているでしょう」という内容です。
軽快なダンスを踊りミステリアスな雰囲気を演じているものの、ここでも元の自分が顔を出しており、この質問はそのまま自問自答です。
仮面を被り、ことさらに明るく演じ、「あたし」は何がしたいのか?
サビです。一度周りから見えている嘘の自分を見せた後、もう一度「あたし」の心の中にフォーカスが当たります。このように歌詞の中のカメラワークを意識することは非常に重要です。ぱっと読んだだけでは矛盾していたり、話が繋がっていなかったりする場合はカメラが切り替わっていることを疑ってみると読みやすくなります。
さらにカメラワークを意識することで、頭の中に映像が流れやすくなります。
私はこのサビを聴くときはいつも、仮面舞踏会の会場でダンスを踊る主人公を中心としてカメラがグルグル回りながら主人公を映す映像をイメージしています。そういった華やかな映像と音楽とは裏腹に、主人公の心のうちの悲痛な独白が聴こえてきます。非常にアニメチックでいい演出だなあといつも思います。(頭の中の話ですが)
6. サビを読む
サビは曲で最も盛り上がる部分であり、最も繰り返し歌われる部分です。
当然、歌詞においても重要な部分が当てられるケースが多く、主人公の心情の切り替わりや決意、あるいは主張をダイレクトに伝えてくることが多いです。
メロからずっと繰り返し歌ってきた、理想のあたし(造花)と現実のあたしのギャップ。自分自身がメイクをして造花を演じることで、おそらく周りからは称賛されることも多くあったでしょう。それでも現実のあたしは違う。周りの評価と自分の理想と自意識との乖離が爆発する場面、それがサビの最初に「簡単なこともわからないわ あたしって何だっけ」という悲痛な叫びです。
さらに続いて、「あたし」が何なのか?ということすらも消えていくと歌っています。ここは比喩表現が多く、中々解釈が難しい場面です。
キーワードは「夜」と「愛」です。これだけ聞くと恋愛の話に思えます。ただ、ここまで一切恋愛の話が出てきていなかったので少し判断に悩みますね。シンプルに読むと、恋人の手に絆されて(何も考えられなくなって)、消えてしまうとも読めます。「愛のように消える」ということからその恋愛がうまくいかなかったこともわかります。
その仮説を採用するならば、「さようならも言えぬ儘 泣いたフォニイ」と繋がるのも自然です。
失恋したときに、もしあたしが造花であれば言えたはずの「さようなら」も言えずに泣いてしまった「あたし」は紛い物(フォニイ)でしかない。
ここで初めてフォニイというタイトルの意味が明かされます。
造花(フォニイ)を目指して、それになりきれないあたしこそが紛い物(フォニイ)である
造花とあたしの2つの意味を持たせたタイトルだったんですね。理想のあたしと現実のあたし、そのどちらも表現した言葉が「フォニイ」という言葉であり、まさに自分自身を示した言葉だったのです。お見事と言う他無いです。天才です。
続く「嘘に絡まっているあたしはフォニイ」もまさにその現状のまま身動きを取れずに絶望しているあたしを表現していますね。
もうひとつの案としては、夜の手が造花(もう一人のあたし)の手であると読むのも面白そうです。自分が何者かという悩みすら理想のあたしの手によって消えていく。理想のあたしと本当のあたしを切り離すための「さようなら」も言えないまま、造花になりきることもできず、嘘に絡まっているあたし。
この解釈も中々捨て難いですね。皆さんはどちらが好みでしょうか?それとも全く別の解釈をしているでしょうか?
このさきどちらが正しかったか明らかになるのかならないのか、非常に楽しみです。
7. Part.1まとめ
あまりに長くなりそうなので今回はここまでとします。
次回は2番以降と、解釈に悩んだときのTipsなどを書こうと思います。多分Part.2で終わるはず…
それにしてもフォニイは本当にいい題材ですね。実は自分のモチベーションのために、今まで歌詞解釈したことがない曲を選んでリアルタイムで解釈しながら記事を書いているのですが、面白くて筆がめちゃくちゃ進みました。2番以降の解釈をするのが楽しみです。(もちろん曲は好きで知っていますが、歌詞解釈しようと思って読まないと中々隅々まで意識しないので)
音楽はいつだってただ聴いているだけで最高ですが、この記事を読んで歌詞解釈の面白さを知らないままだなんて勿体無い!と思って頂ければ幸いです。