23.10.27- チョコチップパン

2023.10.27
口に出さなかった気持ちは存在しなかったことになるだろうか。では、言語化されずに消えた想いは。もしくは、言語化した後に、すぐ思い直して考えを改めたらとしたら。本当の気持ちなんて実は存在しなくて、何かを感じた瞬間の積み重ねだけがあり、積み重ねられた瞬間の多かった気持ちを、本心と名づけているのでは、などと考える。

この前、彼氏に自分のことが好きなのかを尋ねたら、そんなこと言われると改めて考えてしまうと言われた。元彼と別れ話になった時と、展開も台詞もほぼ一緒で、また同じことを繰り返していると思った。相手の気持ちが知りたくて不安になり、何とか絞り出した言葉が、相手に思考の言語化を促す。

自分は、なるべく波風を立てないように、その場の空気に合わせた発言をしようとする性分なので、吐いた言葉と心が一致していないことに罪悪感を抱くことがある。だからこそ、思考がそのまま言葉に漏れ出しているような人に惹かれる。絶対に言うべきでないことも、うっかりと話してしまうような純粋さ。

でも、思考が表に出る出ないというのは、もはや重要なことではないと分かった。相手が今どんなことを考えていて、自分がどんなことを考えていて、それを伝え合って確かめ合うのが、心から楽しいと思える関係性が結びたい。今の彼と、またそんなことができる日は来るだろうか。

2023.10.28
彼と神保町のラーメン二郎に行くが、臨時休業だったので、仕方なく別の店を探す。幸いにも二郎系の人気店が複数あったので、そのうちの一つの店に向かい、行列に並ぶ。

彼は今、仕事に追われてだいぶ心が参っているらしく、会話がすぐに途切れてしまう。笑顔もない。苦しいなら、自分を頼ってくれればいいのにと思う。会うことが、彼にとって何かプラスになっているのかすら、もはや分からない。ご飯を食べてすぐに解散したが、前のように「もっと一緒にいたい」という気持ちが薄れていることに気付いた。

昨日、彼と友達と三人で酒を飲んだ。彼がお手洗いに立っている間に友達から言われた言葉を反芻する。寄り掛かるものの数が多ければ負荷が分散される。あなたは彼に依存しすぎてるかもしれない、と。そもそも、自分は何かに寄り掛からずとも生きてこれたはずではなかったか。寄りかかることが愛なのだという概念をぶち壊したい。

夜。ちいかわの漫画を一気読みした。そういえば話の中にラーメン二郎を模した「郎」というラーメン屋が出てくる。彼はこれを読んで二郎に行きたがったのかなと思った。

ちいかわを読み進めると、チョコチップパンを牛乳に浸して食べる描写が出てきた。学生時代、大好きな友達が、放課後によく5本入りのスティックとリプトンの紙パックのミルクティーを飲んでいたのを思い出す。無性に食べたくなって、近くのコンビニで牛乳とチョコチップパンを買った。合わせて250円。安い。明日の朝ごはんに楽しみに取っておくことにした。

2023.10.29
朝。チョコチップパンをトースターで焼いて牛乳に浸して食べる。これだけでこんなにも満足できるなら、毎日食べたくなるような美味しさ。毎日食べたら飽きるのだろうが。

今日は髪を切ってから横浜でサニーデイ・サービスのライブに行く。バーバーの新しい担当の人はだいぶ若くて、タイプの顔ではないけど、気さくに話しかけてくるので感じがいい。

前に、理容師は歩合制で切った分だけお給料になるという話をしていたが、話していた通り彼はできるだけ予約を断らずに仕事をしているようで、前後どちらかには必ずお客さんがいて、それが終わるのを自分が待つか、次の人が待っているのを見ながら切り終えることになる。

今日は前の人の時間が長引いているようで、先にシャンプーを店長が担当することになった。彼は「お湯加減どうですか?」「力加減どうですか?」と尋ね、驚くほど丁寧にシャンプーをしてくれた。半分は時間稼ぎだろうが、それでも嬉しい。

シャンプーの最中、珍しく頭の左後ろが痒いなと思った。ただ痒いところはあまり擦られず、むずむずした感覚が続く。すると「お痒いところありませんか?」と尋ねられた。

まさに「左後ろ辺りが痒いです」と言いたいところだが、この言葉は「シャンプー終わりますね」と同義の、意味を持たない言葉だと認識している。「いただきます」と言った人に対して「何をいただくの?」と聞いたら不審がられるのと同じで、このタイミングで痒い部分を言い出すのは良くない気がして「大丈夫です」と即答してしまった。シャンプーが終わり、髪と顔を拭き終わっても、まだ前の人のセットは終わっていなかった。

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