その先には?
私は、中学校のころ、「将来、東大に行くんだ!」なんて頑張った。「正義感も強く!」なんて頑張った。そしてイジメを許さなかった。
中学校一年生の1学期末試験、社会科の試験でおめでたく学年1番の点数を採った。しかしながら教師の反応は酷かった。
「オメデトウ。もーいいや」。
英語の試験では残念ながら、トップクラスへと異動させられてしまった。
あとは夏休みの宿題の山。
厚さ1〜2センチはあろうテキストを、「全部やってきなさい」。「英文で自分の夢を綴ってきなさい」。東大行くためだ、頑張る。
――無理だった。
2年生に進級。数学除けばトップクラスの成績を得た。理科に至っては100点満点。頑張った。
不登校の生徒を「レギュラー」などと扱う悪ふざけなイジメ教師がいた。私はがんとした。その言い方は悪い。教師に対するアンケートが良いタイミングで配布されたので堂々と書き、訴えた。これにより、誰一人として、そのように不登校生を扱う者どもはいなくなった。
しかしながら体育教師からは平手打ちの体罰。誰も褒めてもくれない。
――もう限界。
不登校になってしまった。頑張ったのに。あんなに頑張ったのに。
度重なる教師からのパワハラ。
家庭環境も一変。両親は涙を流し、イライラする。
セオリー通り。
精神科に行く。
カウンセリング、クスリ。
あんなに頑張ったのが、何が東大行くためだだよ。
勉強も手につかない。家族はイライラ。友人はガン無視。
手首自傷症候群を繰り返し、深夜徘徊を繰り返し、別人格になった。あんなに頑張ったのに……。
幻覚・妄想も出る。独り言、独り笑い、自殺未遂……。
頑張ったから、結局、統合失調症になった。
もう一度問う。東大行くんだ、勉強頑張るんだ、イジメをなくすんだ、ほんと頑張った、十分頑張った。――
頑張れば、いいというもんじゃないんだ。私は頑張った先には、夢や希望はなかった。病気、障がい、決して洋々たるものではない。
頑張るのを、やめよう。頑張りが報われるのは、限られた人。表舞台に立てるのは一握の砂な人。自分なりでいいんだ。そんなことはないという広大無辺な人もいるだろうに、現実は無視するわけにはいかない。現実を頑張る。その程度にとどめよう。
イジメをなくすんだ、東大行くんだ、勉強頑張るんだ……ただの疲労要因にすぎない言い訳に終わった。
考えよう、果たしてその先には、何があるのか。それくらい余裕を持とう。重荷ばかり背負って疲れきっているのに、走ろうとして、何があるか?転ぶだけ、怪我、若しくは障がいを負うかも知れない。私が張本人であるから、いえる。
いいかい。頑張るのはやめよう。頑張ったところで全員が希望に行き着けるとは、限らないのだ。入学試験に合否があるように。
だからといって、ふざけろとはいっていない。頑張らないのと悪ふざけをするのとはまた全く意味が違う。
そこの課題を諸君に授けよう。