【小説】猫の知らせ
「うぜえんだよ、あんこ」
「ちょっとちょっとちょっと」
浜松京子は言い捨てると、衣装ケース2台を持って家を飛び出した。半分以上感情任せだったから、行く宛もなかつたのだが。
京子は新幹線に乗り換えて、京都府に来た。観光目的だった。旅館の「広龍庵」に行くと「生八ツ橋」がテーブルに用意されてある。
「ああ、これおいしいんですよね!」
女将は京都弁で、
「さようでございます。本店では高級品を是非お味わいいただけますようご用意させていただきました」
「へえー」
「では、またなにかございましたら、なんなりと、お言いつけございまし」
そろりそろりと女将は部屋をあとにした。
京子は観光することにした。
まずは鹿苑寺だ。金閣寺の名で通っている寺である。京子は自前の小型デジタルカメラでパシャリと撮った。入場券を見て驚いた。御札なのである。
「雪積もったら幻想的だろうなぁ」感歎する京子。
さらに二条城や龍安寺にも行った。
八坂神社でお参りしたあとまた旅館に戻ってきた。
女将が言う。
「明日はどちらにゆかれはりますか?」
京子は
「明日は、清水寺に行こうかと」
「そうではりますか。ひょっとすると……」
「えっ何ではりますか?」
「いやぁ、空耳がしはるもので、『猫』『猫』ってお客はんが来られた途端聞こえるのどす。猫が待っておられはるかもしられんのどす」
京子は何が何だか判らない。
「猫……ですか」
京子は幼少を思い出した。
家の近くの踏切に、子猫が轢かれそうになってミイミイうずくまって鳴いていた。カンカンカンカン警報音が鳴り出す。ミイーミイ!……京子は、
「あ、危ない!」
カンカンカンカン……
間一髪、助かった。
「もう、こんな所にいたらだめじゃない……あたしも足すりむいちゃったよぉ」
子猫は相変わらずミイミイ言いながらペロペロ京子の足の傷を舐めだした。
「あら、あなたも脚怪我してるのね」……
ふと我に返る京子。
「猫がいるんですか?」
「わてにもよくわからんさかいに、明日清水寺で探さはるとええんどすえか」
翌日、天気は快晴な初夏の陽射しがジリジリと肌にくる。
京子は清水寺に出向いた。
女将がこれ持っていきいと和傘を貸してくれた、日傘代わりだ。
京子は必死に猫を探す。何かに取り憑かれたように。と、黒い野良猫が、京子の前を横切った。
「あれだったのかな、うーん、きっと違うわ」また探す。
「はあ、はあ」京子の額には汗がほろりほろりと転がり落ちる、気温にして30℃くらいあっただろうか。
「きっと、きっと見つけるからね」
気付くと和傘をどこかに置いてきてしまったらしい。どうりで暑苦しい、余計に。
京子は、椅子代わりに、置き石みたいなものに腰を掛けた。はあ、とため息をつく。あまり暑さのなか必死に猫を探したため、意識は朦朧としている。
すると、「ミャオ」と声が聞こえる。
京子はふと我に返る。涼しい。
「ハッ」
「気付いたかい」
「はい」
初老の男性が声をかけた。
「あんたが気絶さしてるもんだったからよ、連れてきてやったんよ」
「は、猫、だ」
「猫?おお、可愛いだろう。危ないところを拾ってもってきた子猫なんだよ」
子猫は京子の膝にぴょんと乗った。ミャオミャオ鳴いていた。
「あの!この子猫、私にくださりませんか!?」
「ああ、わしも面倒見切れんからな、ええよ」……
「女将さん、この猫のことかな、空耳って」
「私にもよくわかりませんが、あなたのために許可取りはります。その猫と一緒にお泊まりなはれ」……
京子は子猫との生活を始める。寝るときには背中に乗ってもらいマッサージ。
一緒に居間に並んでホラー番組観たり。楽しい。……
ある晩、京子は夢を見た。母、秋子が出できた。
「京ちゃん、ホットケーキ、おいしい?今度、作り方教えてあげるからね」
明くる晩も「京ちゃん、きょうはドーナツ一緒に作りましょ」
また明くる晩も「ナイスボール、京ちゃんキャッチボールもじょうずじょうず」
「お夕飯何か食べたい?一緒に作ろうか」
ここまでは良かった。しかしだんだん悪夢も見るようになる。
「京子!ご親戚の前でちゃんとしてなきゃ駄目でしょ!」バチンと頬を平手打ち。
「京子!あなたはたくさん勉強して偉くならなければいけないの!何このテストの点数は!」……
「ごめんなさい……ごめんなさい」
ばっと目を覚ました。
「はあ、はあ」汗だくの額、首。
「何よ、何だってんだよ!あの母親」
ミイミイと子猫が鳴いている。
「もしかして、あんた?あなた、あんこなの?だとしたら、要らない……。あんたなんか目の前から消えて」
京子は人間が変わったように子猫の肩をつかんで旅館の部屋の窓から
「さようなら」
といって、言い捨ててほっぽりだした。……
その後、京子は京都を出た。しかし、直後あの広龍庵の女将から京子のスマホに電話がかかってきた。
「京子はんでございまはるか」
「はい」
「あの子猫、子猫が、か、カラスに……」
「はあ」
「カラスに、ぐちゃぐちゃにされてまはります」
「はあ、それがなにか」
「えっ、だって京子はん、あんなに可愛がられてはりましたやないですか」
「もう、もう関係ないんです、連絡するのも控えてください、さよなら……」
京子はイライラした心持ちで電話を切った。と、立て続けに今度は父、一夫から電話がかかってきた。
「今度は何よ」と電話に出る。
「はい」
「もしもし、京子か!?」
「はい何よ、父さん」
「母さんがな、死んだんだ」
「え?」――
秋子は両手首から両腕をズタズタに切り裂き、カーテンレールにロープを吊り下げ、首をくくった状態で見つかったという。
遺書もあった。
――「京子、こんな母親でごめんなさい。あの世に行き、地獄に行き、罪を償います。だから、だから、お許しください」文の末尾には血を指で押し付けた跡があった。
京子は
「んっとに世話の焼ける母親なんだから……死んで、死んで、罪償えたらみんな苦労しないよ!何なのよ最期まで自分勝手に終わらせちゃって」
――葬儀が終わり、墓石に手を合わせると、京子は急いで京都の旅館に向かった。真っ黒な喪服で。……
「女将さん!あの猫どうした?」
「ああ、京子はん。猫のご遺体、相当殺られはっており、あまりに無惨だったからペット葬儀屋にご供養お願いしはりました」
「お墓は?手を合わせたいの!」……
その夜、京子は夢を見た。秋子が笑顔で手を振ってどんどん遠ざかってゆく夢を。
「ふー、これでよかった、のよね……」
朝起きると、猫なのか、なんなのか、なにかの影が横切った。
「きっと、よかったのよ」