あらゆる角度から〜生きる〜
この世の中、いろいろな不公平がある。
優等生だから、そうじゃないから。とか、
障がい者だから、定職に就いていないから、年収が一定以上じゃないから婚活アプリ使えない。とか、
高卒資格ないから。とか、
ただ単にブサイクだから。とか、
働きたくても、ドクターストップ。とか、
学校行けないから、学園祭や修学旅行やら参加もできない。みんなで楽しそうなのに。自分だけ……卒業式も出らんない。受験もできなかった。とか、……。
でも、思う。そういった人こそ、これから偉大になる人なんじゃないかな、と。
何の苦しみも強いられることもなく、つまづきもせず、高学歴になった。人をいじめる。これでは成功ではない。本末転倒な話である。
実は障害や苦しみや不幸は若い時に背負っておいた方が、背負った分かえって力は鍛えられるのだ。何にも背負った経験がないニンゲンが力を発揮するのは不可能だ。
若いころ、不公平なことに出会えるのは、無料で、人生の筋トレジムを受けられるということになる。苦しいことは、不公平なことは、だれだって文句を出したくなるけれども、未来がある、ということを思い出すと不思議と愚痴も文句も、選手宣誓?しているようになっている。
学校や、病気や、障がい、現代社会、そんなもんは、不愉快に不公平に感じたら、無視してその日その日をとにかく生きる。何故かって、そうするしかないのだから、生まれた以上。
でも、生きることを悪いことにつかっちゃだめだよ。それこそまさに不幸を増殖させてしまうし、何のためにも得にもならない。周りが悪かったからって自分も悪くなったら断じて駄目だ。絶対駄目だ。むしろ周りが悪かったからこそ自分は良ければ、ダイヤモンドのようにより一層きれいに輝けるのだから。
不公平だ、不公平だ、と現代社会をみれば嘆きどころは無数にあるのだから、嘆いてもキリがない。
ダイヤモンドな自分を生きましょう。別に特別なことをしなくても、ただ生きればいいのです。そうすれば自然に飛行機が離陸して、バカバカしい、不公平な現代社会、一切を下に見下ろしながら、また別の到着地点に着陸できるのだ。
その間になんだかんだ言って、不公平な学校や社会は自滅していくものです。
だから、自分は自分を信じ、なんだかんだただ生きていけば、どうにかなるものです。
信じられなくとも、まず、生まれたからには、生きなくてはいけないのだから、生きる。これは最優先事項ですから、生きてよ。