福祉依存症という病
以前に下の記事でも書いたように5年前、私は最初の就労移行支援事業所に通所していました(今通っているのは2度目)。そのときに自業自得な行いのせいで散々な目に合ったことも書きました。
自分でも忘れかけていたのですが、事業所を退所することになる前の数か月間、私は事業所の支援スタッフたちを恨んでいました。
通っている事業所に勝手に愛想を尽かして、途中から事業所を変更するつもりで2,3の事業所で見学と面談までしていました。それらの事業所の面談で私が訴えていたのは、いかに利用している事業所が利用者の就職という結果責任に対して、無責任なのかという不満の爆発でした。
私の陳情を聞かされていたスタッフの方々はさぞ困惑したことでしょう。
こいつを入れると後々、面倒だと不安に思われたかもしれません。
今では就労移行支援のスタッフに利用者の就職(内定)に対する結果責任はない(努力義務しかない)ことを理解しているし、当時の私の怒りがいつまでも内定がもらえないことによる劣等感から来るものだったことも分かるのですが、劣等感に頭のてっぺんから足の先まで充たされた人間は、そんなことに気付きません。というより、気付いたら死にたくなるので、責任転嫁の矛先を必死に探すわけです。
上記の出来事とほぼ同じような時期だったと思うのですが、一時期、私は障碍当事者同士による集まりのピアサポートの会によく顔を出していました。
そこで運悪く怪しげな宗教法人のスカウトと面会させられたりもしたんですが、それはさておき、私が参加した、あるピアサポートでこんなこともありました。
私はその会に初めて参加したのですが、いくつかのグループに分かれて話し合うというシチェーションで、私は自分からどのグループにも参加できず、
部屋にぽつんと一人状態になりました(ASDのあるあるですね)。そういう
状態で1時間くらいが経った頃、私は猛烈な怒りを感じて会を途中で退席しました(これもASDのあるある・・ですかね?)。
家に帰ってから、私は自分が受けた「仕打ち」があまりにひどいと思ったので、会のブログの問合せフォームに「会で喋るのに慣れていないASDの障碍者に対して、あんたらのサポートの無さはあまりにも冷たい。」みたいな
恨み言を書き連ねて送りました。
これに対して会のスタッフは「利用者さんが御自分の意思で会話に加わりたいという、自発性を尊重したから・・うんぬん」という返事を送ってくださったんですが、劣等感あふれまくりの当時の私は当然、納得しません。
「そちらの団体の主旨は理解しました。でも、やっぱり冷たいと思います。」という捨て台詞を送って、二度とその会には参加しませんでした。
今では、私はこういう自分の態度や行動がつくづく愚かだったと思います。
何故なら、軽度な精神障害を理由にして「自分の適応不全を認めない」権利を堂々と主張しているからです。自分の力の無さの言い訳を権利の問題へと
巧妙にすり替えている。私が自分でも怖いな、と思うのは、これがはるか昔の自分のことではなく、わずか数年前の自分の精神状態だということです。
この後、タイトルに関する私なりの回答を書こうと思ったのですが、何だか長文になりそうなので、続きは次回の投稿へと引き継ぎます。