外見至上主義に押し潰される夜
つらい。
アラサーという歳柄にもむなしく、iPhoneのスクリーンタイムを設定しSNSの閲覧時間に制限をつけるも秒で上限を越えてしまい安易にロックを外しTikTokを眺める日々。
いわゆるリアコというポジションでジャニーズを推し始めてしまい、理屈では分かっているものの推しに本当に出会える世界線ではない社会に生きていることに虚しさと悲しみと絶望を覚える。
Twitterでひとつでも整形のツイートにいいねを押すとTLには似通ったものたちが上から流れてくる。
外見が良ければどうにもこうにも画面ひとつで少なからず稼げる可能性が高くなったこの時代に、絶妙なカーストにいる人類は行き場がないのである。
髪と顔面にちょっと時間をかければ「それなりに」「悪くない」と自分で思えるほどの見た目にはなれるのだから。
だからといって推しにリアルで出会える可能性は程遠い。。のは分かっているようでわかっていない。分かろうともしていない。
好きという感情を思い出させてくれた人物をそう簡単に手放せるわけがないのだ。
右も左もわからないうちに感情の赴くままに結婚した知り合い以上友達未満の美人な知人をとても羨ましく思う。
嫌でも道理が身についてしまった30代はどうにもこうにも生きづらいのである。
だから私は諦めない。
推しと結婚するのだ。
推しなら許される。
そう、何より自分自身が外見至上主義になってしまったからこそ、それがつらくもあり目の前に押し付けられている側面と愛そうとしているのだ。
まんまと乗っかってやろうじゃないか。
外見至上主義に。
そして、覆してやるんだ。
外見が良いやつが、外見で選ぶという世界線を。