死ぬのが怖すぎて泣いちゃった話

物心ついてから号泣したことが3回ある。
一つは小学生の時に空手を辞めると先生に伝えた時。
まったく泣くつもりじゃなかったんだけども、先生と話しているうちに涙が出た。今にして思えば、真剣に取り組んできたものを初めて手放したんだと思う。
また一つは早稲田大学を受験する数日前。一人で勉強に集中できるわけでもないのに、塾にも行かず、結局プレッシャーで30分も机に向かえなくなっていった。自分のしょうもないプライドに負けた事に声を出して泣いた。
そしてもう一つが2022年、28歳のGWになる。
タイトルの通り、本当に簡単に言ってしまえば、死ぬのが怖すぎて泣いちゃったのである。
死ぬって言葉が意味を持ちすぎているけれど、前向きな話なので軽く聞いてほしい。
当時のゴールデンウィークは不完全燃焼だった。前年には長期の旅行に行ったけれど、その友達とは予定が合わず、祖母と、結婚の決まった友達に会う予定はあったが逆に言えばそれだけ。マッチングアプリを熱心にやっていたけれど思うように会うこともできず、ぽっかり予定が空いてしまっていた。

長期の休みで独りきりだと、大抵ろくでもない事を考える。
自分はこの先どうなるのか?
家族は老いていく。数少ない友達は結婚し、子供ができ、疎遠になる。今の自分には彼女もいない。いつか独りになる。
続けたいと思う趣味もない。いれるだけ今の会社にいる。ダラダラと動画を見て、明日が来るのを待っている。
何となく年を取る、そして死ぬ時の事を考える。

人は死ぬとどうなるのか?
大人になってからはじめて真剣に考えた。
行きついたのは、僕にとっての死は無だった。どうなるのか、と思う事も知覚できない無がいずれ訪れる。誰の元にも平等に。
とても怖い事に思えた。なぜみな平然と眠りにつけるのか急に分からなくなった。
寝る事すら怖くなり、死をどうすれば自然に受け入れる事ができるのか調べた。
でも納得する答えはなかった。
いずれ受け入れられるようになる。そんな内容ばかりで不安は収まらなかった。僕は今死にたくなかった。
いつかと言いながら何も為さず、次第に身体は古びていき、世の中に冷笑と遠慮を繰り返し、空っぽのまま独り無に帰る。
そんな未来が想像できた。
だから泣いた。このまま何もなく死んでいくことが怖すぎて泣いた。
客観的な一部の自分が引いていようと泣いた。他人の目よりも、自分のままでいることが大事だと思えたから、ひたすら泣いた。

その後から素直に生きたい思うようになった。
健康でいられる時間は短い。友達も家族も、今日会うのが最後かもしれない。今の自分は何がやりたい。それができるチャンスはもう二度と来ないかもしれない。
死ぬのは今でも怖い。
だからこそ心のままに、今を全力で楽しみたいのだ。


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