昭 和 2 1 年 【hololiveERROR】
昭和20年、この島国に2つの太陽が落とされ、最後の戦争が幕を閉じた。
帝国は崩れ、雲の上に居た天皇は地上に降り立った。
…昭和21年。まだ日本中が混乱し、明日食べる食糧にも困っていた時代。そんな地獄絵図とは無縁な里山に、また別の混乱がおそうのであった…
まえがき
このhololiveERRORという物語には数え切れないほどの矛盾で構成されていると言っても過言ではないくらい矛盾に溢れています。以前から私は鉄オタ・地理オタの観点からその矛盾点を挙げていたのですが、今回は完全版にて明かされた新たな矛盾点についてお話したいと思います。それは…
『昭和21年』
です。
今までこの年代が「どのくらい昔なんだ?」と思ってた人は冒頭の文章を読んで「そんな昔だったん!?」と驚いたことでしょう。
そうなんです。太平洋戦争の終結が昭和20年の8月ですから、戦争がおわってから1年経ってません。(なんなら日本国憲法の発布が21年の11月ですから、地崩れが起きた時期の憲法は大日本帝国憲法でした。)
国内の食糧が不足し闇市が開かれたような混沌の時代です。ですが動画内では昭和21年当時ではありえない要素がちょくちょくあったので、その矛盾点を突きながら昭和21年について『戦後』という部分に焦点を当てて話していこうと思います。
『高等学校』という制度が存在しない
はい。いきなり前提クラッシャーですが、何を隠そう現在の高等学校という制度は昭和23年からのものです。当時も高校自体はあったのですが(旧制高等学校)、男子かつエリートしか通えませんでした。どれだけ『えりーと』でも女子なら通うことは出来ません。
どれくらいレベルが高いかというと、旧制高校の卒業証書さえあればどこかの帝大に入れる程のようで… 当然、人口が沢山いる所にしか置かれませんでした。
その代わりとして、女子は小学校を卒業すると『高等女学校』という所に行けました。ここは男子の高校はおろか、旧制中学校よりも設置されたと言います。それにはいくつかの理由があります。
まず、男子より進学率が高かったこと。なんでかというと、男子は小学校を卒業したら即戦力として百姓の労働力や兵役につくことがほとんどでした。しかし、この学校は「いい妻になる為の教育を受ける場所」で、女子は即戦力になる事を求められてなかったので進学率は高かったそうです。
そして旧制中学校は設置が(事実上)制限されていましたが、高等女学校は都道府県や市町村が自由に設置できたのが大きかったそう。
ですが高等女学校は「高女」と略されていたため、本当に昭和21年なら「青上高校」ではなく「青上高女」と呼ばれていたはずなので矛盾します。こればっかりは本当にどうしようもないので、TwitterのFFの言葉を引用したいと思います。
という訳で、このERRORばかりはどうしようも無いのでここからは『青上高校は高等女学校』として話を進めようと思います。
こうすると「青上高校、生徒が女子しか居ない問題」が解決することとなりました。彼女たちはあの校舎でよき妻になる為の勉強をしていた訳ですね。
しかしながら、子供を学校に通わせられる程余裕のある家庭はやはり多くないようで… いくら男子より多いといえど、女子の小学校からの進学率は15%前後だったそうです。そのため彼女たちの両親は全員金持ちということになります。戦後混乱の真っ只中なのに経済的に困窮している様子がないのも納得ですね。
裕福アピール大事
しかしながら、だとしても裕福過ぎないか!?となってしまうシーンも存在します。過去編の様々な描写の中で、個人的に「裕福だから」という理由で片付けられず『矛盾点』に昇格したシーンを2つ紹介します。
まずは、6話で時乃が青上神社を後にする時に立派な布製の傘をさしていましたシーンです。「ただ傘をさしているシーンのどこが矛盾なんだ!?」と思われるかもしれませんが、実は戦後間もない頃は布製の洋傘では無く紙製の和傘が主流でした。
Wikipediaには「洋傘は戦後著しい速度で普及」としか書かれていませんが、流石に昭和21年の7月時点ではまだ高級品だったと思われます。そのため壊れたり破れたりしたら、修理したりつぎはぎ等をして長く使っていましたことでしょう。
しかし時乃がさしていた傘からはボロっとした印象は感じません。何を買うにしても高かったこの時代に、生きる為に絶対必要ではない日用品を購入できる所に彼女の家の経済力がわかります。
ただ、もしかしたら原爆の被爆者から語られた『黒い雨(強い放射能を持つ雨)』に危機感を感じて新調した可能性もあります。どちらにせよ時乃の家が金持ちである事に変わりはありません。
また、ゲーム版で校舎に落ちていたペインティングナイフも気になります。これが誰の持ち物かは明言されていませんが、呪いの絵の作者である赤鐘まりの所持品だと考えてる人がほとんどかと思います。
実際高等女学校に図画の授業はあったようなので、戦後とはいえど絵を描くことは出来たかと思われます。
しかしながらペインティングナイフは金属製です。そう、戦時中の金属は金属類回収令によって全て回収されているのです。なのであのナイフは戦争が終わってから購入した新品と言うことになります。
そして回収した国内の金属は全部兵器に使ってしまったので、金属製品は高級品だったことでしょう。ましてや需要の薄い趣味道具ですから、国内の生産は無く輸入品の可能性もあります。明日生きるのが精一杯の時代で趣味にお金をかける事ができるのは本当に限られた人達だけですから、まりさんの家も相当な金持ちだということがわかります。
とは言ったもののまりがペインティングナイフを使用した描写はなく、ゲーム内で絵を描いていたのはまりではなく黒髪の子だったため、もしかしたら現代編の絵が好きなモブの所持品の可能性もあります。
真相はわかりませんが、私の考えとしては流石に金属製の趣味道具を昭和21年の7月に持つ事はかなり難しいと思うので現代編のモブの持ち物だと考えています。
追記(10/2) 先日他の方の考察を読みまして、この部分についての矛盾が解消出来たので追記させて頂きます。
詳しいことはその方の考察をご覧頂きたいのですが、ざっくり要点をまとめると
赤鐘まりは呪いの絵の製作者では無い(キャンバスは真っ白)
ゲーム版では『美術準備室の女生徒』という役が割り当てられていて、パレットナイフ(ペインティングナイフ)は彼女の持ち物
赤鐘まりも昭和21年に生きている
との事です。詳しくはこちら↓
いやぁ、完全にカバーのミスリードにまんまと引っかかっちゃいましたねw とはいえ殆どの方が引っかかってしまっているのではないでしょうか。
ここからは私のターンです。さてそうなると、この女生徒は昭和21年(1946年)から遡って何年前にあの絵をかいたのでしょうか?
実は高等女学校の制度が実施されている期間の中で日本が裕福だった時期は意外と限られます。
まず明治32年(1899年)に高等女学校令が公布されましたが、日本は明治28年日清戦争に勝利しており、清から獲た賠償金で日本は経済を大きく発展させました。この頃は間違いなく裕福で、女生徒が趣味にお金をかけることも容易かったことでしょう。この裕福な時代は、日露戦争が勃発する明治37年(1904年)まで続きました。
その後日本はロシアに戦勝するのですが、賠償金を獲ることが出来なかった為財政は大赤字となりました。
日本の経済がまた盛り上がってくるのは大正3年(1914年)、この時第一次世界大戦が勃発し日本も参戦することになります。開戦間もない頃こそ悪化する世界情勢の煽りをうけて日本経済も大混乱しましたが、しばらくすると戦場となっているヨーロッパ各国に代わって日本とアメリカが物資の生産国となります。これにより日本は明治〜昭和の期間の中で一番裕福な時期に突入しました。
これは第一次世界大戦が終結する大正7年(1918年)まで続きます。その後は要らなくなった軍用物資や生産工場がゴミとなってしまい反動不況が起こってしまいます。その後大正12年の関東大震災で経済に大打撃を受け、そのキズが癒えぬ間に世界恐慌が起きてトドメを刺されます。
こうして日本はとんでもなく貧乏になってしまい、それを打開する為に満州事変を起こし、それがきっかけとなって第二次世界大戦が始まってしまうのです。
そんな訳で、高等女学校が実施されていた期間の中で日本が裕福だった時期は明治32年〜明治37年の5年間と大正3年〜大正5年の4年間、合わせて9年のみという訳なのです。
最初の問いにこれを照らし合わせると、呪いの絵が描かれたのは47〜42年前又は32〜28年前となる訳です。破れずに保管できそう&学校の都市伝説になりそうという観点では丁度いい年数になりましたね。
もっとも高等女学校に通えたのは裕福な家庭の女子だけだったので、百姓が貧乏でも絵くらいなら描けた可能性はありますが… まぁ基本的にはお金に余裕があるタイミングじゃないと趣味に打ち込むことは難しいですし、日本全体が裕福な時期に描かれたと考えるのが妥当だとおもっています。
戦後を生き抜く少女達
ここまでは矛盾ばっかり指摘してきましたけど、ここからはケチを付けずに考察&解説パートです。
まず時乃と鈴のブレスレットちゃん(以降『鈴』ちゃん)がなんで青上町に引っ越してきたかという話ですが、やはり食糧を求めて来たと考えるのが妥当でしょう。
昭和20年は日本は大凶作、世界的にも食糧不足という時代でした。東京では大勢の人が餓死しましたし、闇市や買い出し列車などの光景は教科書やビデオで見た人も居るでしょう。
『時乃も鈴も学校に通ってるからお金持ちだ』ということは先程説明した通りですが、お金があっても食糧がない時代。きっとご両親は「東京に居ても少ない食糧を取り合うだけ」と決断したのでしょう。
そしてこの2人が来たタイミングも良かったのです。どういう事かというと、この頃アメリカから食糧が届き始めており配給の量が増えたのです。(21年2月に米軍の食糧が日本に送られ、それを皮切りに各国から食糧が送られたとされている。)
そうすると引っ越し組も農家側も心の余裕ができますから、貯蔵してある食糧を割と分けて貰えたんじゃないかと思います。引っ越し組はお金は沢山持ってますから、農家達も配給切符を沢山買えて主食の量も増えたのでwin-winだったのではないでしょうか。
とはいえ、この頃は食糧だけでなくメンタルの部分でも立ち直りかけという状況でした。というのも、やはり彼女達を含めた日本国民は『敗戦』という現実と「アメリカに何されるんだろう…」という恐怖に怯え続けている訳です。実際この時の沖縄はアメリカ領ですし、(ホントは手取り足取り面倒を見てくれただけなのですが(諸説))「日本はアメリカの操り人形なんだ!」という杞憂民の声にも不安を煽られた事でしょう。
しかし彼女たちはそんな辛い現実をなんとか生きるために、皆で生きる楽しみを見出すことを選びました。7話にはその全てが詰まっています。
まずは七星が時乃を映画に誘うシーン。このシーンでは「映画の後にみんなでお食事でもいかがかしら?」的なことを言っていました。
実は、当時の映画は『娯楽の王様』と称されるほど大衆的なものでした。テレビすらなかったこの時代では、戦後の混沌で貯まるストレスを発散できる場所は映画くらいだったのです。なんでも月2で行くのは普通だったとか。
次に「お食事」ですが、これは外食のことではないでしょう。だって食糧は配給制ですから、自分の家にある食糧以外を食べることはできません。とはいえ古河家の倉庫にも食糧は無いでしょう。となると各々が自分の家から少ない食糧を七星の家に持ち寄って料理し、それを食べながら様々な思いを共有したのではないでしょうか。
これだけ娯楽に乏しかった時代ですから、「肝試しをしよう」という流れになるのも当然でしょう。彼女達は食糧も娯楽も少ない中でなんとか楽しみを見つけて戦後の混乱を生き抜こうとしたのです。
…普通にこの話の続きが見たいんだけど。歩香を中心にみんなで暖かい声を掛け合って、少しずつ生活が元に戻ってきて、25年頃から経済が動き出して木材の需要が急増して『頑張って生きてりゃ良い事もあるEND』が見たいんですけど。カバーさーーん!!
四宮教授の長い長い研究期間
そもそも何で私がこの『昭和21年』に突っかかっているのかと言うと、地すべりや公害が全国的な問題になったのが昭和30年代の後半だからなのです。
事故が起きた昭和21年から数えても地すべりの対策工事などが行われ始めるのは3〜5年後で、公害に至っては『公害』という単語が生まれてくるのが17〜19年後・国による公害対策基本法が制定されるのは昭和42年まで先になります。
つまりは四宮桜が環境科学者を志してから「呪いの正体は公害だった」という結論を出すまで少なくとも20年が経過していることになりますし、その頃には地すべりの根本的な解決法が確立されていることにもなります。
そうなると彼女の使命である「地すべりを起こさないようにする」は果たされますし、公害の対策を考えることに集中すればいい事になってしまうのですが…自分の命と引き換えに両方の解決を達成した彼女は、まさに「ずっとあの日に囚われていた」のですね。
気になる点がもう1つ。それは彼女が女性研究者である事です。どういう事かと言うと、日本では戦時中までは『女性は家事、男性は労働』というのが普通だった上に、女性に参政権(選挙権)が与えられたのが昭和21年だったというレベルで女性が社会で活躍出来るようになるのが遅かったのです。彼女が研究者になったのは大体昭和25〜30年頃だと思いますが、それでもまだ『女性は家事』という意識が強かった頃に研究者になれた事が本当に凄いと思うのです。彼女が活躍する姿に憧れを抱く人も居たのではないでしょうか?
さいごに
いかがでしたでしょうか。いつも通り勢いに任せた文章ですが、過去編の時代が皆さんの思った以上に昔だったことは伝わったかと思います。
とはいえTwitterで一通り調べても昭和21年に突っかかっている人間は私だけのようで、この考察も「本当にここまでする意味あるのかな…」とおもってしまいましたが、そらちゃんが公式配信で言ってくれた「皆が思い思いに作品を考察して、それでも作品が盛り上がると思う」という言葉が私の背中を押してくれました。
とはいえ完成がめちゃくちゃ遅れてしまった為どれだけの人が見てくれてるかわかりませんが、あなたが私の記事を見つけ出してここまでお付き合い頂いた事を心より感謝しております。本当にありがとうございます!!
余談にはなりますが、この記事を書いていくうちにERRORがなかった世界線の過去編が普通に見たくなったので、書くものが無くなったら書いていきたいと思いますw
0話だけは早めに書いて失踪しないようにしたいのでしばしお待ちを!
…その前に地附山の記事も書かなきゃなぁ
ってな訳で次の記事でお会いしましょう!
それでは。
画像引用
https://youtube.com/playlist?list=PL1NeGg1woXqmjylfq2x5E8dA2TUvQcK26