見出し画像

親の頭を持って靴を履く子に驚いた話。~何歳までそれをするの?~

私は、小学校で指導教諭をしています。

教師と保護者の2つ視点から、
『家庭でもできる教育の一工夫』を発信
しています。

親の頭を持って靴を履くなんて!!

先日、姉家族と川遊びに行きました。
とても楽しく3時間ぐらいノンストップで遊ぶことができました。

人気のスポットで多くの人が来る場所でした。

私たちが遊んでいると、先に帰っていく家族もあります。

その中に、高学年ぐらいの男の子のいる家族がいました。
(体の大きさや一緒に遊んでいる友達との様子を見て。)

「そろそろ帰るよ~。」と
帰りの用意をし始めたのですが、

着替えを1から手取り足取り親がフォローするのです。
子どもは、それが当たり前のようにふるまっている。

さらに、靴を履くときには、親が片方ずつ履かせてあげる…
その時に、子どもは親の頭を持ち、バランスを取っていました

すごく驚きました。

フォローしすぎる親に対しても
当たり前のようにふるまう子に対しても。

自分のことは自分でする。

この切り替えって何歳ぐらいからすればいいのでしょうか。

・荷物をもってあげる。
・着替えの補助
・食事の準備、片付け補助
・何かのの準備

…これって意外と難しく、
小さいころの延長で親がずっとフォローをしてしまうってこともあるのではないでしょうか。

子育てで、難しいのは、
【手の離し方】なんですよね。

「子育て四訓」というアメリカ先住民の言い伝えがあります。

 乳児はしっかり肌を離すな
幼児は肌を離せ、手を離すな
少年は手を離せ、目を離すな
青年は目を離せ、心を離すな 

というものです。

理屈は分かります。
でも、この肌を話す時期、手を放す時期って子どもによって違うんですよね。

しかも、〇〇はよくできるから手を離してもいいけど、
△△はまだ親のフォローがいる。

という感じで、全てを一斉に!とはいかないものです。

だからこそ、親にとっては、難しいのだと思います。

ただ、少しずつ子どもにさせていくという習慣を身に付けたいものです。

「自分のことは、自分でしてごらん。」

こういう声掛けを繰り返し繰り返しして、子どもが自分のことを自分でするチャンスを身に付けさせたいものです。

もちろん、あとからフォローすることもあるでしょう。
ただ、
「やったね。自分でできたね。」と
自分でできた体験をどんどん増やしていきたいものです。

余談ですが…

私も我が子が小さいときに、何気に
「〇〇ちゃん、~~~。」と
我が子を【ちゃん付け】で呼んでいたところを

叔母から
「我が子を【ちゃん付け】で呼んじゃうよね~。」と
ツッコミを入れられて
「はっ!!」と気が付いたことがあります。

自分では何気ない言い方でしたが、
周りから見ると違和感を感じたのです。

それに気づいてから、改めて考えると
やっぱり我が子のことを
【ちゃん付け】するのは…と思い、
そこからやめることにしました。
(子どもが中学生になったときのことを想像し、
 我が子のことを【ちゃん付け】しているパパっておかしいよな。と改めて思ったからです。)

自分の言動って自分では気づきにくいですよね。

【手を離す=愛してない】じゃない。

手をかけることは、愛ではありません。
甘やかしです。

子どもが心配なのは分かりますが、
18歳の我が子を想像したときに、
いつまでにどんなことができていれば…と想像してみると
〇〇ぐらいは、自分でできていてほしい。と
考えることができるのではないでしょうか。

せめて、
着替え、準備。

これは自分でできる習慣を
早く身に付けさせたいと思います。

「自分のことは、自分でしてごらん。」

と見守る時間を増やしてみてはどうでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集