「たかみな具合悪いんだから、ふざけんじゃねーぞ」
まず「ふざけんじゃねーぞ」が意味通りに(ふざけることを咎めるために)使われたことに驚く。「ふざけんじゃねーぞ」は不良が威嚇のためだけに使う言葉(オラ、この野郎など)として普及しているため、前に「たかみな具合悪いんだから」のような理由がつくことも珍しい。別に間違った使い方ではない(むしろ正しい)のだが、なんとなく全体としては違和感が残る。例えば「たかみな具合悪いんだから、ふざけないでよ」だったらすんなりと入ってくる。「はい、すみません」と言いやすい。しかし大島優子がわざわざ「ふざけんじゃねーぞ」を選択したことによって、「なんか今の変じゃなかった?」という微妙な空気が流れてしまう。大島優子が威厳を持たせるために咄嗟に「ふざけんじゃねーぞ」を選択したことは理解できるが、それが結果的に逆効果で違和感を残すことになってしまった。普段グループをまとめてくれているたかみなの具合が悪いことで人に怒りなれていない大島優子がその代わりを務めようとしたのだろうという深読みまでしてしまい、その健気さと不器用さに大島優子への何とも言えない愛情まで湧いてくる。僕はAKB48について詳しくない。このシーンを切り抜き動画で見ただけだから、前後を知らないし大島優子のこともたかみなのこともふざけていたメンバーのこともあまりよく知らない。だから深読みから憶測を書いてしまったことは誠に申し訳ない。でも僕が言いたいのは、この言葉にはこの言葉だけで充分にいろんな魅力があるということだ。僕はこの言葉とその親である大島優子のことを馬鹿にしているわけではない。むしろ尊敬している。実際今回この言葉に感じた面白みをまた言葉にしてみるという無粋なことに挑戦してみたが、その面白みが言葉になりきらないことをより一層思い知らされた。僕たちが言語も大島優子もたかみなも覚える前の胎児のときから面白いと感じていたような響きがこの「たかみな具合悪いんだから、ふざけんじゃねーぞ」にはある。僕もそんな言葉を生み出したい。