祐天寺にゃむ、◯◯◯◯◯説。そして、、、
祐天寺にゃむ、元アイドル説
上記のトンデモ説に至ったきっかけ、
それは『Quaerere Lumina』の幕間映像です。
「3回に分けられた幕間映像のうち、2回目以降が『人形』としてではなく演じているメンバー自身の心情ではないか」という考察は有名です。
(↓こちらの記事でも言及されています。)
その考察を前提とした時、にゃむさんの過去が見えてきました。
まずは、2回目の幕間映像のセリフから見てみます。
「首輪(=捕らえて離さないもの)」にたとえられていて「自慢」できるものでもあることから「きらきら光る操り糸」はその時々の流行りや話題を、
「パペット」はそれに左右されている人々や世間を指していると推測できます(人形としてのパペットがドールと違って「動かして遊ぶもの」であることから「自分の意思を持たずひたすら迎合する」ニュアンスを含んでいます)。
それらに対して「バカみたい」「その目は節穴?」と軽蔑しながらも、「それが幸せでいるコツだよね」「現実に立ち向かうなんてコスパ悪すぎ」とどこか冷めたような態度も見せています。
3回目の幕間映像でも、にゃむさんの過去を読み解く手がかりがありました。
流行や話題に振り回される世間に対して、というより「『話題だから』という理由だけで自分以外の誰かを好きになり、やがて自分から離れていく誰か」に対する根深い諦めが読み取れます。
そこで、にゃむさんには
動画投稿者「にゃむち」になる前に、表舞台で持て囃され、すぐに飽きられてしまった過去があるのではないかと考えました。
真っ先に思い浮かんだのがアイドル、それも大人数のアイドルグループの一人でした。
推し変や推し増しなど、ふとしたきっかけで「アタシを好きだって言いながら、他の誰かに夢中」になる状況が簡単に起きてしまう場所に身を置いていたからこそ、流行に振り回される世間や自分から離れていく誰かに対して軽蔑や諦めの感情を抱くようになったのではないでしょうか。
今のにゃむさんがソロで活動しているのも「グループだと自分一人を見てもらえないから」という意思の現れかもしれません。
しかし、にゃむさんの今の肩書である動画投稿者も人気商売です。
ソロで活躍できるようになり、人気が再生回数として明確になったとはいえ、ファンが「他の誰かに夢中に」なるリスクは変わらず付き纏います。
さらに、人気維持のために自らも流行りに乗るという、屈辱的なことにも手を付けねばなりません。
この時の祥子ちゃんの言葉は、にゃむさん自身が感じていた動画投稿者としての限界を指していたのではないでしょうか。
探し求めている「光」とは
少し視点を変えます。
動画投稿者になった時、おそらく彼女はビジュアルやキャラ、さらには名前もガラリと変えていたと思われます。
特に「祐天寺にゃむ」という名前や「にゃむち」という愛称にはこだわりがあるのか、アニメ劇中でいくつか言及がありました。
祥子ちゃんとのカフェでのシーンでは、途中まで単に「にゃむ」と名乗っていたにもかかわらず、
Ave Mujicaへの加入を決めた時にわざわざフルネームを伝えていましたし、
第13話では
自分で付けた「こ」のニックネームに沿って「にゃむこ」と呼ばれたのを「にゃむち」と訂正していました。
「祐天寺にゃむ」は自分で付けた名前、ビジュアルやキャラも含めて全て自分が望んで決めたもの。
だからこそ、大事な場面ではちゃんと呼んでほしい、勝手に弄られたくない。
そんな意思の表れのように感じました。
自分が望んだ「祐天寺にゃむ」の姿で、他の誰かに目移りされることなくずっと自分を見て愛されること。
それが今のにゃむさんが探し求める「光」なのではないでしょうか。
終わりに
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
『BanG Dream! Ave Mujica』まであと半年。
まだまだにゃむさんのことが考えられる喜びを噛み締めつつ、本記事を書きました(結果、かなり暴走した内容になってしまいましたが)。
放送を待つ間にもAve Mujicaのライブはあります。
それを観ればまた別の見方が出てくるはず。
とりあえず今は、我が家にやってきたにゃむさんを愛でようと思います。
改めて、本記事を読んでくださり、ありがとうございました!
#Ave Mujica
#祐天寺にゃむ
#アモーリス