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《論説アーカイブ + 》      東日本大震災月命日の供養  “名前”のある一人ひとりのいのち思う

  ※再び東日本大震災の話を投稿する。犠牲者数の大きな「数字」ではなく、顔と名前のある一人ひとりのいのち、という観点から。3月11日にもSNSで発信した事例だ。

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 東日本大震災から11日で12年3か月。被災地の寺院では、今春の十三回忌を過ぎても毎月命日ごとに深い祈りを捧げる僧侶たちがいる。岩手県陸前高田市の浄土宗荘厳寺では髙橋月麿住職が、全犠牲者の名前を半紙に毛筆で手書きし、それを本堂に掲げて全て読み上げるという供養をする。

 4年前から、この3月にも、4月以降も続けるのは、人々の悲しみに「節目」も「区切り」もないことを身に染みて心得ているからだ。

  震災8年後に青森から赴任し、地域や檀家の被災の事情を詳しくは知らなかった住職がそれを始めたきっかけは衝撃の体験だった。ある人が、震災後に市内の親戚を訪れたまたま物置小屋の裏を見たら、人形が落ちていた。だが1か月ほど経ってからまた訪れてもまだそこにある。よく見るとそれは小さな子供の遺体だった、という話を聞いたのだった。

  これを打ち明ける住職は、目に底なしの悲嘆を湛える。震災の悲惨さ、もたらした苦しみ悲しみのあまりの大きさを突きつけられ、胸が締め付けられた。そして犠牲者の無念や遺族の心が少しでも和らぐようにと考え抜いた末に、氏名を読み上げて弔うことを始めた。

  被災地各地には犠牲者名を刻んだ慰霊碑があるが、遺族からは「身内の名前が晒されている」と困惑の声も聞かれるため本堂でひっそり供養することにした。

  震災記録資料集などの犠牲者名簿を手掛かりに名前を書いていて、同じ姓が何人も続くと一家で亡くなった、若い女性と0歳児は母子だろうかと思いが浮かび、何日も筆が止まったという。声を挙げて氏名を読んでいても、名前が似ていて同じ歳の子供は双子の姉妹かなと思え、胸が詰まる。

  当初は、地元の陸前高田や大船渡周辺の2000人。そして、徐々に岩手県全体、宮城や福島にも広げ、今年には2万人以上になった。全部読み上げるのには4日もかかる。住職は「私個人のささやかな行い」と、誰も来なくても一人本堂で供養するが、どこかから話を聞いた各地の遺族らが寺を訪ねて来る。

  掲げた名簿に自分が亡くした肉親の名前があると指でなぞるようにし、ホッとした表情で安堵する人も多い。住職はそんな遺族にしっかり向き合い、「どんな方でしたか?」などとじっくり話を聴き、悲嘆を受け止める。

  「亡き人が生きていたことを証明するために、名前を声に出す。名前は、その人が生きた証です。一人ひとりのいのちを思うことが、今を生きる我々にできることです」という住職の向き合いに、宗教者としての感受性、いのちへの深い洞察力が強く感じられる。

  災害で亡くなった人々、戦争犠牲者、そして列車脱線や航空機墜落などの事故、「津久井やまゆり園」や「北新地クリニック放火」などをはじめとするいろんな事件でいのちを失った人たちは、決してその人数という“数字”で表されるべきものではない。一人ひとりに名前と顔が、そして生きてきた人生とがあった。

 #東日本大震災 #犠牲者供養 #陸前高田 #荘厳寺 #いのち


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