種を蒔く人-6

自分の実力

自分が仕事が出来るとは思ったことがありません。
誰かと自分を比べても自分の方が優れているとは思えない。
でも、誰かを見た時にこの人はもっと出来るのになぜそうしないんだろう?と思ったことは何度もあります。
明らかにその人に出来ることなのにやろうとしないのはなぜでしょう?
でも、精神的に打ちのめされた経験がある人の場合は同じ出来事はトラウマになるかもしれません。
でもほとんどの人は「まだやったことのない」ことに対して億劫になっているように見えます。

もともと日本人は同調圧力の強い民族だけれど、
人との協調性を考えるあまり「人と違っている」ことが悪いように感じてしまう人が多いように思えます。
学校や進学の時に試験があって良い点数を取らなければ「落伍者」のレッテルを貼られます。
興味があることもないことも同じように優秀であるべきだと考えられているようです。社会の中で自分がどのような地位にいるか?何が優秀であるかを判断の基準にしているけれども、地位や肩書きがなくても優秀な人は多く存在しています。

自分たちが生きてゆくのに必要な能力について学習する機会に恵まれなかったり、その能力を評価するための基準やシステムが欠落している中で、才能を評価されないまま埋もれている人材はたくさんいるのではないでしょうか?
そういう人たちを発掘して能力を導き出すためには新しい教育のシステムが必要なのだと考えています。
あるいはその人の優れた面を評価して、足りない部分をサポートする人物がいたならそのチームは華々しい成績を収められるかも知れません。
そして、本当に評価されるべきなのは、彼らの力を導き出しサポートしている人たちの方なのだと考えています。

困難な環境や障害に出会ったとき、本当に必要なのは「学習」ではなく「学び」で、「知識」ではなく「知恵」なのだと思います。
学習によって得られた知識だけでは乗り越えられない困難が人生の中で何度か起こります。それは自分の頭の中で知識がそれぞれ単独に存在していてお互いのつながりや関係性を認識できていないからで、本当に困難に直面した時には頭の中でそれらの知識を総動員してあらゆるシュミレーションを試みます。

最初どうにもつながらなかった知識はほんの小さなきっかけで繋がり始めます。
どうにも解決方法の見つからなかった困難な状況にうっすらと打開するための糸口が見え始めます。
本当にそれが正解なのか?それとも無駄なことなのかは「実行」でしか証明できません。

「実行」することによって得られた結果が「成功」であっても「失敗」であってもその体験そのものが「知恵」となり、その経験の積み重ねが「学び」そのものになってゆきます。
それは単に頭の中のシュミレーションではなく「体験」こそが「学び」と「知恵」につながっていることを表しています。
そして多くの「困難」とそれを解決するための「実行」を積み重ねて「経験」し続けた人だけが本当の実力を身につけることができるのだと思います。
ただし経験は継続してゆくものであって自分で自分の実力を判断することはできません。「困難」にはあらゆる種類があり、あらゆる条件。あらゆる環境の全てを体験することは不可能だからです。
ただ、その度ごとの「困難」の傾向や方向を探り「予測」することはできます。
それが唯一「やったことのない体験」への恐怖を克服する方法なのでしょう。

土・水・太陽

私たちの事業にはそれぞれ特性があります。
「衣」「食」「住」という暮らしに関わるサービスの提供。

一つ目は「食」を暮らしの中でどう捉えて提供してゆくか?を追求してゆく事業。
二つ目は「住」に関わる暮らしに必要な「ものづくり」に関わり、暮らしに必要なものを作り、提供してゆく事業。
三つ目は前述の二つとは異なり「暮らし」よりも大きな括りとして「産業」や「社会」での生産性や必要とされる方向性を共に考え実行する事業。

もともと私がやりたかった三つ目の事業を作ってゆくために先の二つの事業は必要不可欠なものでしたし、その先の二つが成立することそのものが三つ目の事業を実証するためのシュミレーションであり、そこで実績を出すことが三つ目の事業に信用度をあげることにつながっています。

三つ目の事業を良く「コンサルティング」と同義で捉える方がいますが、誰かを「指導する」とか企業を「支援する」なんて上からの視点では考えていません。
なぜなら私たち自身がまだ成長の過程にあって、なんら実績を残せていないからです。しかしだからこそ共に考えながらより良い方法を導きがせるかもしれません。
多くの経営者が相談する相手が不在で困っていることを、私たちはすでに経験してきました。
だから私たちに出来ることは「共に学び」「共に考え」「共に歩む」ことだけです。
ただ少ないながらわずかな経験で得た知識や、私たちにヒントをくれる公的組織や助成してもらうための場所などについてはお話しできます。
ただしそこに行く勇気や踏み出してきっかけを作るのは自分自身でしかないという前提になります。

これらの事業が成立するための土壌が「環境」。
つまり時代背景や世の中の動き、社会の状況であり、これらがマーケット(市場環境)を形づくる土台となっています。
「環境」は刻々と変化し、自然環境、災害、感染症、国同士の力関係など多くの要素で変化し続けます。これらの環境が最も影響を与えるのは「住」の項目。
つまり人々の生活様式に大きな影響を与えます。
働く場所、働く時間、休息の仕方、住居の環境、それらに伴う影響を受ける文化の様式など。
コロナ感染症が蔓延する以前、蔓延した後では人々の生活様式は大きく変わりました。また「地球温暖化」もまた人の生活様式、仕事の仕方にも大きな影響を与えています。
ウクライナ、ガザでの戦闘も遠い国ですが大きな影響を与えつつあります。

「食」は人間が生き物である限り逃れられない要素であり、前述の環境が悪化すれば「食環境」も同様に悪化します。
ただ生きてゆくためには「食」は切り離して考えられない要素であり、
環境や暮らしに余裕があれば「食」の文化は大きく花開き、その追求は止まることを知りません。
「好況」「不況」を繰り返すたびに「食」の文化は変化を続けます。
それは食する「材料」のみならず「作法」や加工技術にも影響を与えます。
またこれからの地球温暖化や気象災害はこの「材料」に大きな影響を与え、いかに食糧を安定して供給できるかは重要な問題点となりつつあります。
また「食」そのものが人間の「健康」に与える影響は大きく、よりパーソナライズしたサービスの提供が求められる時代がやってきます。

「住」は人の人口の変化によって状況が変わります。
自然環境を守りながら個々の住環境を快適にしてゆくことが要求されるでしょう。
夏の暑さ、冬の積雪、乾燥、高温多湿といった様々な環境の中で快適に暮らすための工夫や技術が必要となり、また「住居価値」をどのように維持し続けるかも課題となります。
その中で「睡眠」は注目されるべきカテゴリーとなってゆくでしょう。

「衣」はファッション性よりも機能性がより重視されることになるかも知れません。それは前述の「住環境」が今後より厳しくなる可能性が高く、気候の変動や環境の変化に柔軟に対応出来、健康を守ることのできる機能が求められるからです。
さらにその上で個々のファッション性をどのように表現できるかが大切になります。
ファッション性の背景にはそれぞれの人の持つパーソナリティーや生き方がより重要視されるようになるかも知れません。
「衣服」を超えたライフスタイルそのものをファッションに組み込む必要があります。 
「衣」「食」「住」は事業を育てるための「土」「水」「太陽」であり、この三つが揃わなくては事業は成長していかないのです。

強靭さと柔軟さ

時代の変化がこれほど目まぐるしい時代はこれまでなかったでしょう。
戦後の復興期でさえ社会のベクトルは拡大と成長に向いていましたが、
現在私たちが置かれている状況はどちらを向いているのかが判別できなほど状況が激しく変化しています。
その中で成長を目指すのはその激しい変化を読み取る力が必要です。
ほぼ半年ごとに方向性を変化させていかないとこの時代を乗り越えることは難しいでしょう。

経営には常に短期の変化と長期の成長を読み取る力が必要になります。
長期の成長を読むのが得意だったはずの大企業がそれを読みきれず、読み間違う時代が来ています。実際に経営が困難になっている大企業がいくつかあり、
おそらくこの2~3年の間に大型倒産が始まるでしょう。
環境と社会情勢はこれからしばらくは落ち着かない状況が続きます。
企業にとって急激な変化は耐える時期であり、いかに事業を衰えさせることなく継続し維持し続けることができるか?それは「事業」「経営」の基本に立ち帰り、
企業としての強靭さを見直す時期でもあります。

この困難な時間を超えたその後の安定はどこへ着地するのか?
それを見据えて準備をすることが長期の成長へと企業を導く道筋になります。
時代が複雑になると考える要素も絡み合って未来を見通すのはより難しくなります。
逆に細部の変化にとらわれず基本の条件だけをよく見て考えることが大切になります。企業そのものも小さな変化ばかりに気を取られると大局を見失います。

分断や戦争、紛争はダイレクトに社会へ影響を与えますが、
その分断や対立が恒久的に続くのではないとすると、その揺り戻しのことを考えておく必要があるでしょう。
コロナ禍の時にその状況は最初短期間に収束すると考えられていましたし、
その状況が長引いた時にもいずれ収束すれば以前のような状況に戻ると思われていました。
しかし実際にはコロナ禍によって社会自体の歪みや本当に人々が望んでいる生活の姿が浮き彫りになり、好景気の陰で霞んでいた多くの問題点が炙り出されてきました。現在の分断も社会や国家とそこに住む人たちの貧富や環境の格差から生まれているように思います。

資本主義はそれぞれの国家や地域が資源や自然環境に恵まれた状態で発展してきましたが、資源が枯渇し自然環境が悪化すれば地域での経済的な格差は広がってゆきます。
悪化しているそのことだけを注視し背景にある資源エネルギーや環境から目を逸らすといつまでも状況は好転しないのに、その原因を作っているのが自分たちと対極にいる人間の問題だとすり替えて、自分たち自身もその原因の一部であることを否定したとしても格差は縮まらないし問題も解決しないのです。

思想や思惑に流されず、自分自身の価値観を正しく持って全ての情報を一旦咀嚼し正しい情報から状況を見極める力が必要になります。
目の前の利益に飛びつかず大局を見据えて誤った選択をせず、選択した方向性を素早い行動で実現できる優秀なスタッフと組織力を育てなくてはなりません。

新しい展開ではなく根源としての活動

代理店の担当者の言葉に惑わされて、
本来の相手であるエンドユーザーの姿が見えなくなる。
以前、デザイン事務所を経営していた時に経験したことを、現在の菓子店でも経験しました。
B to Bの仕事で起こりがちな出来事。

大企業は総じて身近な社会の変化への対応が遅れます。

現場の声が経営者のところに届くのに時間がかかる。
部下の提案が上司のところで保留され、止まってしまう。
自分たちの業績の悪化は自分たちのせいではなく下請けや子会社のせいにする。
現場に足を運ばず詳細に目が届かず原因を理解するまでに時間がかかる。

コロナ以後の社会の変化はまさしくそういう企業の暗部を曝け出しました。
人々の生活習慣は変化し、仕事ではリモートワークが増え、
家にいながら家族と過ごす時間が増えた時、感染症から逃れる苦しさよりも
身近な人と暮らすことの大切さを自覚し、
上司や同僚と過ごすアフターファイブの時間よりも家族との時間を優先するために何よりも家路に急ぎ、車やファッションにかける贅沢よりも
自分らしさや暮らしを豊かにする時間への投資を選ぶようになりました。

仕事の効率化を優先しDXを進めようとする国政に反して
物の手触りや優しさ、美しさに価値観を求め、丁寧に暮らすことの精神性を優先し始めています。

「利益」を求めるあまり人の精神性に対する配慮を怠ってきた企業の姿勢が露呈し、「資本」=「豊かさ」ではないという深い価値観をこの国の人々は学習し始めています。
それは資本主義が生んだ格差の中で一見豊かに見える人々が必ずしも「幸せ」ではないという事実を見てきたからではないでしょうか?

「食べること」「心の豊かさや自由を知ること」「幸せに暮らすこと」。
本来人が求める根源的な感覚を提供することで私たちは対価を得てきました。
それをもう一度思い出して事業が継続し、少しづつ成長し、
それでも事業の根底から目指すべき「幸福」の定義を見つめ直す必要があると考えています。


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