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種を蒔く人-1

人を閉ざすもの、人を生かす力

自分の命や寿命に関わる出来事があった。
以前にも火事に巻き込まれたり、くも膜下出血やさまざまな出来事で命を脅かされた。
今回は仕事が立ち行かなくなるかもしれない状況に追い込まれた。
いろんな出来事に会うたびに何とか生き延びて再び歩き始める。
今回の病気で一週間の入院を余儀なくされた。
入院している間、自由を奪われて毎日を悶々と過ごしていた。
その相部屋は重篤な患者が多くて、その中では私は比較的元気だったけれども、日が経つにつれて患者の数が減っていくのは、退院したのか?それとももっと重篤になって集中治療室に移ったのか?要らぬ憶測が頭の中をよぎった。

病院というのは病を治すための場所のはずだけれども、どうもそうは思えないような重苦しい空気が流れている。
人の心も体も生きるために「希望」や「目的」が必要なはずなのに、この病室にはそういう空気感が存在しない。

カーテン越しに看護師に八つ当たりする身動きのならない男性。
面会室で嘆く老女。
そんな中に自分も存在していると、もともと持っていた気力や人生への目的が見失われてしまう気がする。

今回の入院は降って湧いたような予期せぬものだった。
青天の霹靂といっても良い。

体への不安はずっと持ち合わせていたから、さまざまな事態を考えてそうならないように自分の体を気遣ってきた。
特にくも膜下出血の原因が高血圧と高血糖だと分かってからは食事内容に気を遣い、毎月専門医にかかりつけて血液検査をして医師から褒められるほど体調を維持していたつもりだった。

ところが医師から他の病院を受診してみませんか?と言われて検査を受けてみると
主治医が指摘してこなかった数値がとんでもないことになっていることが分かった。
その病院の医者から「あんた、とんでもない生活してたんやろ」と言われて、まずは心が傷ついた。
ここ数年、これほど節制して体調に気を遣ってきたことはない。

心の中で「あなたは僕の生活を見たことがあるのか?」と言いたいのを堪えはしたけれど、それでもいくつも納得のいかない思いが芽生えた。
主治医は生活習慣に対しては何も言わなかったし指導を受けた覚えもない。
遺伝的に血圧が高くなる家系であることは伝えていたが血圧をもう少し下げておくべきなのではなかったのか?
主治医医は「血糖値」のことばかり言っていたけれど、原因はそこではなかったのではないのか?
もともとどんぶり飯を食べるような大食漢ではないし、実際、検査・教育入院で出てきた食事量は普段食べている量より多かったほどだった。

そう考え始めるとこれまで受信した医者の指導や検査の方法がおかしく思えてきた。
いきなり結核の検査をしてくる家族経営の医者。
やたら注射と投薬を勧めてベンツで通う医者。
わずか1〜2分の問診で薬だけ出す医者。
うちは血液検査はほとんどしません、と言い切る医者。
あんな治療、僕は信用していません、という医者。

総合病院にも関わらずあることないこと勝手に人の生活を決めつける医者。

今回の病でこれまで出会った医者への不信感が溢れてきてしまった。

自分の命を預けるのに相応しい医者が見つかるんだろうか?
TV番組でコメンテーターが「医療ほど地域格差が出るものはないですから」と言っているのを思い出した。
良い医者は大都市に流れ、地方には良い医者はいないのか?
「良い医者」「悪い医者」の判断は人それぞれで、
優しくて患者の言うことを笑顔で聞いているのが良い医者で
頑固で患者を叱ってばかりいるのが悪い医者なのか?

そう考えると必ずしもそうじゃないと思えるけれど、
「患者が病気を恐れるほど脅す」のは患者の精神に悪影響があるし、
「患者の気持ちが安らいで」も病気の回復につながらないのでれば良い治療をしているとは言えない。

医者は客観的であるべきだと思う。
正確に正しく状況を説明して解決する方法を提示してほしい。
その上で自分の立場ではなく患者の立場の視点で説明するべきだと思う。

患者よりも医者自身の利益、不利益で語る医者をたくさん見てきた。
個人の開業医よりも総合病院の方が良いように思う。
もちろん個人の開業医でも優秀な医者はいると思うけれども、
どうしてもその医師の主観が入ってしまう。
総合病院のような大きな病院では複数の医者がお互いの言動に影響力があって主観が優先されることは少なくなると思う。(医療ドラマではよくあるけれど)

ここで医者の良し悪しを論じるつもりはないけれど、
人生の中でかなり大きな命に関わる事柄でこれほど他人の能力や考え方で振り回されたのは、今後の行動に大きな影響があることは確かだと感じる。

ともかく、大きなネガティブな渦が命さえ巻き込んでうねっている。

明日への視線

命に関係するような出来事さえ、人は心の中で咀嚼しはじめる。
医者からまるで引導を渡されるかのように体調の異変を聞かされて1ヶ月ぐらいはこれからのことを考えると言うよりも、どうやって幕引きをするかの方に思考を引きづられて精神的に陰鬱な状態になった。
建設的な思考になかなかなれずに塞ぎ込んでいたといっても良い。

大きなこととしては、法人化したばかりの事業を継続するべきなのか、それとも閉じてしまうべきなのか?という葛藤。
体調のことが発覚する前は新しく販売店を開設する予定で、すでに施工業者との打ち合わせを進めている最中だった。
それなりに資金が必要であれこれと金策やら商圏の分析をしていた。

まずはこの新規事業に関してはリスクを排除するために諦めざるおえなくなった。
ここまで事業を育てるために事業資金を銀行などの融資で賄ってきた。
もしも入院や治療に今後資金が必要ならば、一番問題になるのはこの負債だった。

最悪、もしも自分自身がいなくなった時に、事業は継続され利益を生み出していくことができるのか?
生きながらえたとして、治療を続けるのならば治療費を払い続けることはできるのか?
まだ体が動いて事業を続けられるのはあとどれくらいの時間なのか?

これまでもそうだったけれど、とんでもない窮地に追い込まれるとまずはその窮地からどうやって抜け出せるのかを考えてきたし、この時も同じように思考が働いた。
窮地から脱する時に必要なのは窮地に陥る前の状態に戻すことではなく、窮地に陥る前よりも良い状態に引き上げることだと思っている。
なぜなら窮地に陥ったのには理由があって、窮地に陥る直前の状況はそういうリスクをはらんでいると考えるからだ。
だから窮地を脱した時には以前より良い状態で、より強い環境にならなくてはならいと思っている。

健康を取り戻すことが難しい状況で、以前よりも健康になることは難しいが、以前と同等以上に動ける状態をつくることは可能なのだろうか?

自分自身の健康状態を以前に近い状態に戻せるとしても、以前よりも強靭になることはできない。
それでも可能なことを探っていったなら、支えがなくなったら壊れてしまうような今の私たちの事業体をより強靭に、さらに堅固にすることはできるのではないか?という思いだった。
現在の健康状態に加えて私たちの年齢のことも考えると、私たちがいなくなった時に組織として自立して継続的に成長する組織にしておくことが必要だと考えた。

そのために必要なことは、
●企業としての組織を固める。
●強い財務体制をつくる。
●仕入れと生産の適性は管理を行う。
●顧客層のコミュニティーを作り上げるブランド力をつける。
●外部に企業を成長させるサポート体制を構築する。

少なくともこれら5つの項目を短期間に作り上げる必要があった。
そしてこれらの体制を継続して継承できる人材の育成が必要だった。

これまでの企業のように10年以上かけて体制を整えるような悠長なことは出来ない。少なくとも5年以内にこれらの体制を整える必要があった。
経験上、優秀な人材がいれば3年目からその能力を引き出すことができることがわかっている。
あとは、それらの人材の中に連帯感が生まれお互いにフォローし合える組織を作らなくてはならない。

組織である前にチームを作り、それらのチームが協力し合える体制作りが必要だった。

まずは今の自分たちの立ち位置を確認し、現在のリスクをできる限り軽減し、修正するべきものを修正して環境を整えることに早急に着手しなければならなかった。

芽生える

最初に着手したのは会社が抱えている負債だった。
マイナスからのスタートだった私たちは最初持続化補助金の申請によって業務用ガスオーブンを手に入れた。
それまで家庭用電気オーブンを使用していた頃からこの設備を使い始めて生産性が飛躍的にアップした。

私たちの事業で最初の失敗は私たちにとってのお客様が住む商圏でお店の場所を選ぶのではなく、私たちが投資できる金額に見合った不動産物件を探すことから始めたことだった。
私たちが出店できる物件のあった商圏は駅から離れていて駐車場もなく、しかも周辺の住人は高齢化が進んでいた。

今から思えばどうしてそんな場所を選んだのか?
今なら決して選ばない場所だった。
自分たちのブランドと商圏、そこに住む人々の嗜好性はとても大切だと学習してきた。
でも、この商圏の悪さが私たちに「駅ナカ」という新たな商圏に飛び出すきっかけを与えた。

「駅ナカ」という商圏の規模や特性を知らなかった私たちは、ダイレクトに駅ナカマーケットを管理している会社を探し出して直接声をかけた。
幸運なことに駅ナカマーケットの管理会社の担当者と話をしてわかったことは、
●駅ナカは沿線や場所にもよるが1日あたりの売上が10万円以上になること
●駅ナカマーケットでは商品の欠品は許されないこと
●駅ナカでの催事は沿線により7日間あるいは14日間であること
●催事への出店時期は管理会社との相談によって決めること
●駅ナカ催事は時期によって場所の争奪戦になること
などだった。

その中でも私たちにとってハードルが高かったのは、
1日10万円を14日間ということはその二週間の間140万円分の商品を用意する必要があるということだった。
そのために私たちはさらなる設備投資と人員の確保が必要だった。

私たちは設備投資のためにこれまでに申請したことのない金額の融資の申請をした。
初めて「経営計画書」をつくり「原価計算」をして「返済計画」を考えた。
とても通らないだろうと考えていた融資は通り、私たちはこれまでにない設備投資をした。業務用オーブンと業務用の大型冷凍冷蔵庫を導入し、これまでの5倍の生産能力を手に入れた。これまで2人で行ってきた生産は三人に増えた。
わずかその2ヶ月後、私たちは駅ナカの催事場に立っていた。

催事に出るためにその場で配るショップカードを刷り、ポスターや腰巻きを印刷し、商品カタログを作った。
商品は飛ぶように売れ、あれほど準備していたにも関わらず会期途中で在庫がなくなり、その後は前日の夜に焼いた商品を翌朝に、朝から焼いた商品を夕方の持って行く自転車操業の状況になった。
催事が終わって気がつけば3ヶ月分の売り上げをわずか一週間で稼ぎ出していた。

ここからしばらく私たちはさらに人員を強化し「駅ナカ」に特化して出店を重ねるようになった。
次第に「製造チーム」と派遣を含めた「販売チーム」の二つの歯車が噛み合い始めたかに見えた。

変貌する

マーケットは常に変貌している。
日本にインバウンド客が押し寄せ始めた直後に世界中を感染症が襲い、人々の生活は大きく変わった。
人混みを避け、海外旅行を敬遠し、満員電車に乗るのをやめた。
パソコンを使ったリモートワークが増え、人は会社に出社している時間が減り、家の中にいる機会が増えた。

コロナ感染症の蔓延は人の生活に打撃を与えたと感じている人は多いかもしれない。しかしその反面、人は家族や近しい人の側にいる時間が長くなった。
家に帰らない時間が多く家族と疎遠になっていた時代では見失っていた人tのつながりが深くなった。
反面、学校に通っている学生は友人とつるむ時間が短くなって、人とのコミュニケーションが拙くなった。

私たちにもその影響は色濃く表れた。
「飲みにケーション」と言われたアフターファイブの集団での飲み会はすっかりなりをひそめ、19時にもなるといそいそと家路についた。
これまで私たちが催事を行なっていた「駅ナカ」は20時には人影がなくなり、コロナが終息した後は以前のような賑やかさが戻ると信じていた企業は思わぬ肩透かしを喰らった。

企業は自分たちが予測している現象を常に過小評価する。
9割の顧客が戻ると計算すると実は7割しか戻ってはこない。
半年後に増えると思っていても実際に顧客が戻るのは10ヶ月後になる。
それでも自分たちの予測が間違ってはいなかったと証明しようと躍起になる。
巨大企業であればあるほど対応は遅くなり、行動が後手後手になる。

動きの素早い中小企業にはそのことはチャンスでもあるのだけれど、小さな企業には素早く動くための資本が足りていない。
それでも少ない資本で頭を使い何とか動かなくてはならない。
しかし早まって政府のばら撒きや付け焼き刃の融資に手を出すと痛い焦げ付きに陥ってしまう。

顧客が正しく理解し、正常な反応をするのならば、反応の遅い企業を相手にするのではなく正しく反応するエンドユーザーを相手にする方が良い。
消費者は馬鹿ではない。
情報が溢れ、その速度が企業よりも早いのであれば、それをいち早く手にするエンドユーザーこそが消費の主体となる。
すでに成長を遂げた大企業であっても成長を始める当初はエンドユーザーが最も大切な顧客だったはずだろう。
成長の過程で他の企業との関係、公共事業体との関係、国の思惑などさまざまな状況がいつの間にか複雑に絡み合い本来の方向性とは違った選択をしなくてはならなくなったのだろう。
その中で「エンドユーザー」という焦点がぼやけ視界の中心から外れてきたのだと思う。
「エンドユーザー」から得られている事業利益を何か他のものと錯覚して見当違いのサービスを提供し始める。

コロナ感染症の蔓延は市場の原理さえも洗浄し初期状態に再起動させた。
だから現在の市場の状態は「変貌」ではなく「回帰」に近いのだと思う。さらに市場は巨大な中央への集約は崩れ、分裂細分化された。都市構造そのものさえいくつかの塊に分解され構造そのものがこれまでとは違った形になっている。

再構築ではない

都市構造や市場の変貌は再構築されない。
大都市の中心部は急激に再開発を進めている。しかし以前のような全ての力を中心部に集めるような力学は崩壊し元の姿には戻せないのではないか?
現在進められている再開発は無理やり以前の中央集約された構造を再現しようとしているように見える。

家族との時間や仕事に縛られない時間を何のために使うのか?
恐ろしい感染症で家族を失った人々。
時間と自由がその手に戻ったとしてもその時に失ったものを取り戻せるわけではない。
生産性を上げよ。
国力を取り戻せ。
負債にまみれた国家の声やこれまで生活を支える報酬を与えてきた企業の声よりも
もっと大切なものがあるのではないか?
多くの人がそれに気づき始めている。

私たちがこの手に取り戻したいものは高い収益性や豊かな暮らしではなく、
自分らしく生きるための心の豊かさなのではないのだろうか?

「おいしい、やさしい暮らし、あります」
という私たちのテーマと
「自分らしい暮らしを、つくる」
という目標は、あのパンデミックの後際立って力を増したように思える。

全てを中央に集権した構造ではなく、
そこに暮らす人々のもとに力の流れができるように新しい構造は新たに作られるべきなのだろう。

私たちが各地の駅ナカで出店を続けていると、都心ではなく地方のベッドタウンでの催事の方が効果が現れ始めた。
奇しくもパンデミックの後その傾向は顕著になっていった。

駅ナカで広範囲な地域に催事出店することで私たちは主催している企業よりも早く、そしてその変化を肌身で体感することができた。
全ての物事には理由がある。
私たちが駅中に進出したのはこの変化を感じるための宿命だったのかもしれない。

「死」を意識するような体調の変化は決して心身ともに悪影響を与えるものなのだろうけれど、それがもしも次のステップに進むための強いベクトルを与えたのならそれも宿命なのかもしれない。
思えばこれまでも命に関わる「うつ病」「火災」「くも膜下出血」などの大きな出来事は、最初は私を困惑させ方向転換を余儀なくさせる出来事だったけれど、八方塞がりの状況になっても「諦めない気持ち」はゆっくりと頭をもたげて再び動き出そうとする。

イメージする未来の微かな形が徐々に浮かび上がって、思いも寄らない早さと力で目の前の壁を打ち壊そうとし始める。
前に手にれた形は自分の手で壊し、新しい形を作り上げてゆく。
それは決して楽しいことだとは限らないけれど、次の形が浮かび上がるまではなぜか頑張ることが出来る。

そう、これは再構築ではない。
新しい形を作り上げるのだ。

新しいカタチ

再構築ではないといったが、これまでの経験や情報が必要だった。
自分自身の寿命はそんなに長くないという前提で何ができでどこまでのことが出来るのだろうか?
自分自身の寿命に限りがありますと告知された時に人はどんな反応をするのだろう?
嘆き悲しみ、自暴自棄になるのだろうか?
無気力になり抜け殻のようになるのだろうか?
家族のために残りの人生を精一杯生きるのだろうか?

それまでの人生をどうやって過ごしてきたのかでその人の反応や考え方は違うのだろうと思う。

私は「戦う人」ではない。
窮地に追い込まれて頑張っていると、周囲の人に「戦っている」と誤解される。

幼い頃から人と競い合うのが嫌いだった。
誰かと比べられ欠点を指摘されるのはもっと嫌だった。
何かで争って負けて反骨心を燃え立たせることもなかった。

ただ何かを諦めて、そこで立ち止まることはもっと嫌だった。

だから弱々しくても足を引きずっても、ただ前に進んだ。
足元にまとわりつくような荒野や引き摺り込まれそうな沼地を歩いてゆくと
そのさきに微かな光を感じることができた。
命の限界を示されてもまだ進んでいると今もまた微かな光を感じることができる。

終わりはない。
見届けることなどできない。
そんなことはわかっているけれど、消し飛ぶような未来であってもその舞い上がるようなカケラに一粒を残したいと思っている自分がいる。

残されたチカラ

最後の力を振り絞る。とよく言うけれど、
その振り絞った後に何も残らないことを望むわけじゃない。

「繋ぐ」
それを最後に残したいと思う。
何を繋ぐのか?誰に繋ぐのか?
そんなことは分かりはしない。
でも、ほんの少しの熱さだけを残しゆきたいと思う。

熱さに触れた者が自分で判断すれば良い。
熱さが思いに「繋ぐ」火種になる。

火種を入れた小さな箱をまず残す。
年が明ける頃に今ある箱と離れたところに新しい箱が生まれる。
思いは放射状に繋がってゆく。

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