波乱万丈な僕がタルト専門店の店主になって再びクリエイターを目指す理由-13
「なぜ、革鞄なのか?」
いくつか理由があった。うつ病の時に何度も頭の中をよぎった幼い頃のミシンのイメージ。自分の手から直接お客様に渡し、そこに他人の思惑が入らずしがらみも無いこと。そしてうつ病で深く物事を考えられなくなっていても、手作業をこなすことで頭の中を真っ白にできること。
幼い頃に足踏みミシンを触ったことはあっても、実際にミシンを使いこなせるわけじゃない。母親が室内用のカーテンを縫うのを内職にしていたので、家の中にはいつも布キレがあった。でも「革」を扱うのは初めてでどこで買えば良いか、革の種類や「革」と「皮」がどう違うのか?どんな道具が必要なのか?何も知らずにいた。「革鞄」がどれだけハードルが高いのかもわからないズブの素人を育ててくれる先生が必要だった。ネットで調べたりしながら、遠くまで革鞄の専門店や教室を探しては出掛けて話を聞いた。その頃はまだ「革ブーム」と呼ばれる時代じゃなく、なかなか教えてもらえる先生は見つからなかった。
半ば諦め気味で、革関係のお店が多くあると言われる「大国町」あたりを歩きながらめぼしい店を見つけては入って話を聞いた。東京の「浅草」、「栃木」、大阪の「大国町」、神戸の「長田」、「姫路」。革の加工業者が多くいるエリアだとしばらく経ってから知った。当てもなく歩いているとネットで見覚えのあるお店の前に行き着いていた。他の店はいわゆる卸業者で一般の人には小売をしていないが、その店は小綺麗できちんと商品が仕分けして並べられていた。段ボールごと雑然と置かれている他の店とは明らかに違った。フラフラとその店に入り込んだ。
奥から店主らしき男性が出てきた。「何かお探しですか?」「いえ、革の縫製を教えてくれるところはないかと探していて…」そうですか、知っているところもないことはないけれど…」店主と話しているとお店の奥の方にいたお客さんらしき男性が「僕、知ってますよ」「?」そう言って近づいてきて、そのお店の店の端に無造作に置いてある名刺を勝手に取ると、僕に手渡した。そこには「O.L.A.」と書かれていた。「でもここってプロを目指す人だけの教室で、しかも今満席だったと思う」この人はそこの関係者なんだろうか?「場所は書かれているから一度行ってみたら?でも今日はもう店じまいしてるかな?」住所はそこから電車で一駅だけの程近い場所だった。
店じまいしていても良いから場所だけ確認するつもりで訪ねる事にした。繁華街から一本横道に入った小さな雑居ビルの4階に「O.L.A.」はあった。「大阪レザーアート」。部屋の中で小さな音が聞こえていて人の気配があった。ノックすると「はい?誰?」なんだかそっけない声がした。ドアを開けて入ると壮年の白髪に髭を生やした男性が立っていた。眼光が鋭くて気難しそうな顔に気後れしそうになったが僕は「実は」と切り出した。前職を辞めたこと、うつ病になったこと、革の縫製を覚えたいこと、全部正直に話した。
「そうだな、とりあえず一つ作ってみたらどうですか?」思いもしない前向きな返事が返ってきた。「実は生徒で一人入院した子がいて1ヶ月だけ教室に空きがあります。1ヶ月あれば鞄一つぐらい出来るでしょう」とても出来るとは思わなかったけれど、とにかく何かを始めるしか方法はなかった。デザイナーを辞めて収入がなかった僕には僅かな貯金が残っているだけだった。「もし来られるのなら、来週から毎週水曜日の夜19時のクラスが空いているから来てください。道具類はここにあるものをお貸しします。あと材料の革も少しだけありますから君に販売してあげます。その後のことはまたこれから考えましょう」
こうして僕は革教室に通い出した。