「耐える」「我慢する」のはお好きですか?
勤労感謝の日ですね!ゆっくりとお過ごしでしょうか。
さてまた「重たいタイトル出しちゃって~」なんて思われそうですが、案外とお好きな方がいらっしゃいます。
あなたはいかがですか?
いやいや、そんなことないよ~~
と言いながらも、
3キロダイエットするためにアイスクリームを食べるの我慢しよう!
上司のパワハラ回避のための、冷静かつ嫌みな苦言の呈し方には耐えるしかない
なんて、ことはないでしょうか?
というのは、結構日常的に「耐える」「我慢する」ってやっているんじゃないかな、私たちってことです。
それってある意味当たり前。我慢しなきゃ社会生活を送れないってことですから。
「ここのバスの椅子に座りたいよ~~」
って叫んでいたら「あんた、3歳児?」(イマドキ3歳児もそんなこと言わないかも)ってことになります。
とはいえ、そればっかりでも、やっぱりちょっと苦しいし、人生も、メンタルも軸からずれていきます。
で、ここでちょっと質問!
「我慢」と「耐える」って同じでしょうか?
あ、ウィキとか調べないいいです。直感的に行きましょう。
よく言われるのが
「我慢」は「我」のためにする。耐えるは相手やあらがい難い何かのためにする。
「我慢」は期間限定、「耐える」は無期刑
なんて言われます。というか後者は私の感覚的意見なんですが(苦笑)
「お注射我慢しようね!」1分ほど
「この上司の下では、耐えるしかない」どちらかが異動になるまで
なんて感じしょうか。後者のほうが、ツライ!!
それでも、会社ならば異動もありますし、いざとなったら「退社」「転職」もアリです。
しかし、これが「家庭」ならばどうでしょうか。
「この夫のもとで、子どもが結婚するまで耐える」
なんていうのが、私の母でした。正直子どもの身としては
「私の結婚までの有期刑にされちゃったら、早く結婚するしかないじゃないの」
って、ありがた迷惑でしたが。。。これもツライです。
「耐える」って、「復讐」とニコイチです。
耐えるのは、たぶん相手になんらか期待していて、それを得られないから「耐えて」みせていることが多いような気がします。
「私がいなくなったら、どんな大変なことになるのか。いつか気づいて後悔するといいわ」
みたいな感じでしょうか。
そうすると、相手はどうなるかというと、そんな冷たい思いを自分がさせているから、行動を改めて、相手を温めようなんて思いません。
したとしても、一時的かな。ご機嫌とりみたく。
ウチの暴力父も、「あばれすぎたな~」なんて後は、母に結構良い服を買っていたりしました。母も案外を嬉しそうな顔をしていました。
それましたが、基本的にはもっと冷たくなります。相手も同じ感情を持ち出す(復讐)から。
自分の醸し出す(漏れ出す)感情=相手の行動 です。
だったら、さっさとその感情のありかを突き止めて、何とか解消する方向にもっていくのが得策だと思います。
離婚しよう!とかじゃないです。
「なんのために私は耐えているのか」
「耐えた先にどういう世界(家庭)を作りたいのか」
ということ。
そこには、自分が結婚や就職に抱いていた「夢」という創造や想像の世界が広がったりします。
現実は、想像ではない。現実は、子どものころからの創造物でもない。
いまの現実で、本当に耐えるべきは何か。
本当に変えることは何か。
そこを考えると、ちょっと楽になるかもしれません。
そしてお願いだから「子どものために」ってきれいな逃げ口実は創らないでほしい。
その子どもは、もれなく「両親の顔色」だけに過敏に反応して、結構ツライ無期刑を過ごすか、とっとと親を見捨てて出ていきますから。
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