そもそも「会話」は成り立っていないの視点から、あの人を見ると
あなたは会話をするのが好きですか?
誰との会話が楽しいですか?
Aさんとは会話が弾むのに、Bさんとは、なんだか弾まないなあ。ぎこちないんだよね
ということはありませんか?
私は、時々あります。
例えば、夕食の一品がお豆腐だったとします。
夫に「ねえ、このお豆腐ってどう?」
「別に、豆腐だよね」
えー!それだけ???
娘に「ねえ、このお豆腐ってどう?」
「美味しい!大豆の甘味がするね」
そうそう、その反応欲しいのよ。ちょっとお高い豆腐なのよ。
というような感じです。
ここには2点のすれ違いがあります。
1「どう」ってどうよ?
どうって、大きな質問ですね。何を聞いているのかも、めちゃくちゃ曖昧。
「美味しいと思う?」「いつものとは、味が違う?」
と聴けば、味を見るために夫ももう一口食べて感想をいうかもしれない。
でも、娘は「どう?」=「味はどうだろう?美味しいかな?」を、私が使う言葉の中で経験しているので、そういう応答が返ってくる。
つまりは、曖昧な問いをして、ドストライクな返答を待っている。曖昧でも、「相手が察知してくれるだろう」いや、「察知すべきである」みたいな前提に立つと、
「この人とは、会話が続かないわ」
となります。
2「豆腐って」どうよ?
そもそも、豆腐の味にこだわるかこだわらないかの差があります。
例えば、外国人の方は、「あんこ」の味も、ただ「甘い!」だけで、あずきの香りがいいとか、触感がどうとか、あまり関心がないというか、評価が難しいと聞いたことがあります。
豆腐もそうです。
豆腐が美味しいか、美味しくないか。
例えば、二つの別の豆腐を食卓にのせて、比較するとどうでしょう?
「あー、左側の方が甘みも口触りもいいけど、右側のはイマイチだね」
と、どちらが美味しいか分かり易いです。
つまりは、比較する=他のモノがあって、初めて美味しいかどうかの、判断が出来ます。
いやー、別にひとつでもわかるよ!
って場合もあります。
そんな時は、過去に食べた豆腐をいくつか思い出し、それと無意識に比較して「美味い」かイマイチか判断がつく。
これまでとの関係性の中で、決められる
とも言えます。
だから外国人の方は、あんこの経験や比較値の経験も少ないからわかんないかも、です。
今までの経験という歴史が、たった今の言葉や振る舞いを決めている。
なので、歴史=背景が違う人とは、
・言葉の意味やそこの奥で言いたいこと
・言ってもらいたいこと
も違っているので、「ストライクゾーン」に入ることも難しいです。
だからこそ、言葉の輪郭とその背景を注意深く探ることが大切。
それで、やっと会話はなりたつのですね。
でもそんなこと、日常生活でできないわ~~がフツーです。
しかし、お仕事関係の人とのお付き合いや、フリーランスでは請負時に、この辺りが曖昧だとわだかまりが残ります。しっかりと、その内容を受け取り、返すことが必要です。
面倒くさい人だな~~。それは当然。
だからこそ、丁寧に言葉をたぐる。その営みが、あなたも相手も「賢く」します。
↑さあ、食べ比べ!どっちが美味しいかな♪
https://note.com/lifeworklabo/n/nb0a55a02b21f
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