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寝言って、面白いですね🌈



自分でも聞けない、覚えていないのに、傍に寝ている人には聞かれてしまうという
「ヤバイ」
という一面ももちながら、暖かい思いが湧き出る垣間見れる瞬間という側面もあります。

先日、夫の寝言を初めて聴くタイミングに出逢いました。
「お母さん」

静やかながら、はっきりとそう言っていました。
どういう場面なのか、何を思っていたのか、分からないです。
後で聞くのも野暮だなと思い、ナイショにしています。
あの穏やかで、優しいお義母さんを思い出していたのかな。

とはいえ、実父はまあ、寝言の多い人でした。


静かにというより、はっきりと叫ぶように言うので、
「なのごとか」
と知らない人は思うくらい。家族は慣れたものでしたが(苦笑)

「お前のせいやろ!」
というような罵声も多く言葉もありましたが、一番多かったのが
「おかあさん」

放っておくと、何度もいうので、母や私が
「はいはい~」
というと、寝言が静まりました。

50歳過ぎても、70歳になっても、祖母があの世にいった後も
この寝言は続きました。

「おかあさん、どこ? どこにいるんや?」


やっかましい!おばあちゃんはあの世ですよ。
と、ひとりごちたりしましたが
本当に、母親を探している幼い子の姿が見えるようで、ふと切なくなりました。

父は、4,5歳の頃、実父がなくなり実母(祖母)は弟だけ連れて実家に帰ったとそうです。
跡取りとして庄屋(昭和ですね)に残され、厳しい祖母(私からいうと曾祖母)に育てられたそうです。
ずっとずっと、言えなかった母への思慕。
寂しい思いは、砂時計をひっくりかえしてもまた沈殿するように、心の中に消えることなく残っていたのでしょう。

母親に愛されたかったんだろう。甘えたかったんだろう。
寝言って、叶えられなかった思いの片端を言葉にするのでしょうか。

いつも怒鳴って、酒飲んで、文句ばかりいう父のあのすがるような
「おかあさん、どこ?」

その声は、今もありありと思い出します。

それから私も結婚し、私にも2人の娘ができました。
孫たちを見て、と真剣に言っている姿をみて、笑えたときがありました。

「ええなあ、お母さんにだっこされて」



その娘(父からすると孫)たちが、恐れなくあれこれと父と語らうようになって、だんだんと「お母さん」が少なくなってきたようにも思います。

愛情を「受け取る」以上に、愛情を「与える」対象ができることは強いと感じた出来事です。

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