本人が決めるもの
あれ?シーンとしたぞ
昨日のミーティングでの出来事。一通り上司からの連絡事項や、とあるビジネスでどう工夫すれば良いか?など活発な意見交換が終わり、「人生の学び」へと話題が移った。
会社でも 人生の学び を推奨しておりそのようなプラットフォームを用意してくれている(コーチング、プレゼンテーション、ファシリテーション、コミュニケーション、起業、投資。。。無数にある)。要はその活用があまりできていない。という上司からの指摘があった時「シーーーーン」としたのだ。
ん?なんだこのシーーーンは。
このシーーーーンの仮説だが、
①何を学べばいいのか、分からない
②時間がない(仕事に追われている)
③学ぶ意味はなに?
このような事が想定される。ここの掘り下げ、解決をすっ飛ばし、「なので支店として「○○を学ぶ」ことに決めましたーーー」
でた!組織!金太郎飴!
違和感しかない
私、ちょっと待てーーーーーぇい!と思い、上記仮説を話したところ、「うん、うん」とうなずくみんな。
もうね、決められると「やらされ感」しか生まれないんですよ。
やらされ感→ストレス(最悪)→仕事もプライベートも不調
時間をかけて自分を見つめよう
時間に追われ自分のことを見つめる時間は皆無でしょう。でも生きてるなら「幸せに生きたい」きっと誰しもそう考える。
この自分の軸はブラさないことです。そうすれば、1週間に1時間、1日10分でもいいので時間を設けて自分と対話しましょう。
「わたしがワクワクするのはどんな時か?どんな行動の時か?」を一度過去を振り返ってみてください。