『秘密』 上
「絶対誰にも言うなよ。」
パイセンは、そう言った。テープ回してないやろなあ!?とは言わなかった。そして書くなよ!?とも言わなかった。
「まあ、匿名で書くんはええわ…。」
内心びっくりしたが、それ以上にこの後どんな話が聞けるのか、不思議と既視感を感じる状況の中、心は冷静に張り詰めていた。
パイセンは、何でも話を聞いてくれる人だった。マウントはおろか、ジャッジメントする事すら全くなかった。それだけではない、僕に影響される人だった。
僕が初めて正社員として会社に勤めて、半年後パイセンと会った時、パイセンはスーツを着ていた。
「いや、なんかな、規則正しい生活ってええなあと思って…。とりあえずある程度決まった時間に起きて、スーツに着替えるねん、平日は」
パイセンは働く必要がないらしかった。大金持ちの隠し子だということだった。そう言えばそう言われた時も誰にも言うなよ、と確認されてから言われた。
「経済的な保証は一生されてるねん。ただ、目立ったらあかんねん。」
パイセンにはキョウダイが何十人といるが、会ったことはないらしい。大概海外で生活していて、匿名でやれる、インターネットを使った仕事をしているらしい。
「有名になる事が大金持ちになる事とある程度結びついてるんやけど、有名の度合いを超えると、引き摺り下ろされる力が働くらしいわ。」
「ウチらキョウダイが、あの人の子供って明るみに出たら、あの人は一瞬で干されるわな。」
会った事もないキョウダイと自分を合わせてウチらと呼ぶ、パイセンをとても切なく感じた。
そして次の瞬間パイセンが言った事がずっと心から離れないでいる。
「人目に付かずに、出来る仕事があることは誰にとっても最良な状態なのかも知れない。」
僕は今日、パイセンに相談しに来ていた。
5回目の転職でまたブラック企業を引き当てた僕は、話を聞いて欲しかった。そしてパイセンに知り合いの会社の経営者か採用担当者がいたら紹介してくれないか、聞こうと思っていた。
「先ず俺が知り合いを紹介した場合のリスクって何やと思う?」
「僕がもし続かんかったらって事ですか…?」
「ああそれな、それもあるな。」
「僕が仕事上迷惑をかけてまう可能性…」
「いやちゃう、それは紹介とは関係ない。1番のリスクは、この紹介がうまくいって、定年まで続ける事…。独立したいって言うてたやん?」
忘れていた。
確かに僕は独立したかった。
具体的に何をするかのイメージは崩れ去っていたが。
「それは今となっては別問題です。なんてゆうか…優先順位はブラックじゃない企業で働きたい、です。独立はそれからもう一回考えます」
「ふ〜ん、そっか…。勤めながら独立目指せる仕事は?」
約2年働いた現場の仕事を思い出していた。
「ベストと言えばベストなんですけど…。搾取される可能性が上がりそうな気がして。やりたい事が出てくれば、それでもやるかも知れませんが…。」
「勤めながら、独立してる仕事は?」
…何でしょう?歩合制?完全歩合制?
それなあ、それは雇う側のサヤドリやからなあとパイセンは言い、続けた。
「…絶対誰にも言うなよ。…まあ、匿名で書くんはええわ。」