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意識研が主催する「仏教意識対談」に参加してきました。
はじめに
先日、いのちの祭り2024で知り合った方にお誘いいただいて、意識研という団体が主催するイベントにいってきました。
意識研とは?
意識の究極問題を問い、広く語り合う文化を日本に巻き起こすために、必要な諸活動を行う
意識のほかにも、宇宙、言語、時間など、多くの究極問題が考えられるが、まず最初に意識を取り上げ、究極問題を語り合う文化を日本に定着させるためのモデルケースとする
究極問題を語り合うことは、実利的な関心を離れて、精神本来の自由な境地に立ち帰ることであり、そのような精神の自由の確立を最終的な目的とする
今回のイベント「仏教意識対談」の概要
今回の内容は、「仏教意識対談」というもので以下のようなことを意図されて開催されました。
メインスピーカーとして藤田一照さん(曹洞宗僧侶)に登壇していただき、対談相手として下西風澄さん(独立研究者)に登壇していただきます。
一照さんからは、禅は意識をどうとらえているのか、禅が育てようとしているのはどのような意識の状態なのか、日常生活でのありかたや修行方法(坐禅)、そしてそれらと死の関係について話していただきます。
それに対して、下西さんからは、人類の長い歴史の中で、私たちが心や意識の概念を作り続けてきた物語を語っていただきます。
おふたりは、現在、エヴァン・トンプソンの『Why I Am Not a Buddhist』の監訳を共同で進められています。それらも踏まえて、身体性や、主体性、志向性、クオリアといった観点から禅における意識、日常生活におけるあり方、死についての考察を深めていただく予定です。
スピーカーのお2人のプロフィールはこちら。
藤田一照さんの経歴
1954年、愛媛県生まれ。灘高校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し現在も、坐禅の研究・指導にあたっている。2010年より2018年までサンフランシスコの曹洞宗国際センター所長。Starbucks、Facebook、Salesforceなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導する。著作に『現代坐禅講義 – 只管打坐への道』『現代「只管打坐」講義』など、共著に『アップデートする仏教』、『安泰寺禅僧対談』、『禅の教室』など、訳書に『禅への鍵』、『禅マインド ビギナーズ・マインド』など
下西風澄さんの経歴
1986年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。哲学と文学を中心に執筆。著書に『生成と消滅の精神史─終わらない心を生きる』(文藝春秋)。論文に「フッサールの表象概念の多様性と機能」(『現象学年報』第33号)、「生命と意識の行為論:フランシスコ・ヴァレラのエナクティブ主義と現象学」(『情報学研究』No.89)など。執筆に「生まれ消える心 ─ 傷・データ・過去」(『新潮』2023.5)、「演技する精神へ ─ 個・ネット・場」(『文學界』2023.6)、「青空を見つめて死なない」(『ユリイカ』2024.4)ほか。
第一部は一照さんからのプレゼンテーション
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下西さんの発表を行い、最後に二人の対談及びQAコーナーがありました。
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感想についてですが、正直、新しく知る単語も情報量も多かったですし、私としても頑張って理解しようとしても、自分の思考の枠組みで理解しようとしてしまい本質を掴めないと思っているので、そのまま受け取ろうと場に居るをしていたこともあって、これという感想を書けそうにありません(笑)ただ、アカデミックな方向からの話であっても、自身の体験と共通するものがあるなぁと感じましたし、「意識とは?」といったテーマ自体を考えるのが久しぶりだったので、そういう点でもいい時間になりました。
印象に残ったことを少し
一照さんの発表については配布資料から印象に残ったところを紹介します。
座禅とは、何を調えるのか?
調身(姿勢)・調息(呼吸)・調心(心の状態)
→姿勢を調えると呼吸が調う。呼吸が調うと心が調う。
こちらを聴いて、以前武道家の方と一緒に仕事をしていた際に、心技体という言葉があるが、現代人は昔と違って体が疎かになっているので、体から始めないといけない。だから、体心技の順番が大切だと言われていたことを思い出しました。
余談ですが、昨今、「自分らしさ」というキーワードも多数でてきますが、思考で捉える自分らしさと、体が脱力した状態で捉えるそれは大きく違うように思ったりしています。私は後者が重要であり、そのためには「脱力」に至れること、体へのアプローチが必須だと捉えています。
どう調えるのか?
自我意識主導か自然(仏)主導か。
身心の自己調整能(仏性 般若)の発揮の邪魔をしない
「自分が調える」ではなく「自ずから調う」
The less we do, the deeper we see.(自分がやることをより少なくすればするほど、より深いものが見えてくる)
①ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、(身心から緊張・収縮(身構え、心構え)を手放す(release)こと)
②仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、
( 2はいのちの働きとして自ずから起ってくる変化を迎え入れる(receive)こと)
③ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。( 1と2がもたらしてくれるものを味わい愉しみ感謝する(appreciate)こと)
(道元『正法眼蔵 生死』)
先に話したことと同様に、思考優位・身体感覚が衰えているように思える都市部の多くの人にとっては「自ずから調う」が起こっていることに気がつくために、ある種、そこに降りていくために自我意識を主導し、5感を開く・脱力する・身体感覚優位へ導くといったアプローチが重要なのではないかと思っています。
ちょうど最近書いたこちらの記事や、
1年ほど前に書いたこちらの記事の内容は通ずるものがあるかと思います。
実際に一照さんはからだほぐしのミニワークを行なったので、人によっては座禅の前段としてそういうフェーズが必要なのではないかと思われます。
さいごに
伝えていただいた情報の5%くらいしか共有できていませんが、ご了承ください。開催報告レポートを出していただけるようなので私もそこで復習したいと思います。