見出し画像

日常の中にある社会規範的行為について考えてみた〜「タダの箱庭」研究員プロジェクトの一環〜

昨日は1ヶ月に一度ある『ランサーズ主催の「新しい働き方LAB(略してあたラボ)」のタダの箱庭プロジェクトの定例会』の日。

その中で、1ヶ月過ごす中で市場規範だと思った行為、社会規範だと思った行為について振り返り、シェアをする時間がありました。

今回はそこで浮かんだ仮説について書きます。

これは社会規範ではないか?

話をしている中でふと、最近自分のとった”ある行為”が社会規範ではないか?と思えるものが浮かびました。

それは、先日記事に書いた「泥フェス」に参加した時のもの。

フェスでは多くの人が泥まみれになり、帰る前にシャワーを浴びてできる限り綺麗にしようとします。この泥がとても落ちにくいのです。私が並んでいた列は、シャワーの先端が固定されていないので片手で持ち、綺麗にしていく必要があります。有機農法の畑のため、シャンプー・石鹸の類を使用することは許されておらず、水シャワーで洗い落とすのです。これがなかなかむつかしい。

気づけば自然と、前後の人同士がシャワーを持ち合ったり、同性であれば背中をゴシゴシしたりと助け合うようになっていました。

私も気持ちよく私の前にいた男性側をサポートさせてもらったのですが、これはまさに社会規範だったのではないでしょうか。

また、この時に社会規範とみなせる行為の前提条件になりえそうなものが浮かびました。それは、あらかじめ用意していた行為ではなく、相手の状態を見て気がつく(思いつく)行為であるということ。言い換えれば、その時に発見されたものであるということです。

言い換えれば、善いことをするために助けて欲しい人を最初から探した上で
実際に為された行為ではないということです。(私の捉え方では、こちらも「交換」が先立っている上で市場規範と捉えられるのかなと思っています)

この時の私で言えば、私よりも数人前に並んでいた、とある女性がいいお節介として水をかけてあげたりしていたり、スタッフの方が待っている人も暑くないように冷水をかけてくれていたのですが、「私も誰かにする側をやろう!」と意図することはありませんでした。

ですが、ふと前にいる男性がこのままだと大変そうだなと思った瞬間、ふっと手伝おうと声をかけていた自分がいたのです。

そういう意味では、思いついた・発見した行為と言えそうです。

改めて、行動経済学の書籍上の社会規範とは?

ここで、書籍『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』から社会規範に関する記述を抜き出したものを並べてみます。

社会規範とは?

・友だち同士の頼みごと
・私たちの社交性や共同体の必要性と切っても切れない関係にある
・たいていほのぼのしている
・即座にお返しする必要はない
・社会的交流の特徴をもつ
・社会的交流においては、何かまずいことが起きても、相手方がそばにいて、自分を守り助けてくれると人々は信じている。契約書に明記されているわけではないが、必要なときにはお互いに面倒を見たり手を貸したりするのが一般的な義務だ
・一緒に何かをつくりあげる興奮
・社会規範が忠誠心を育てる(企業において)
・社会規範は人々を奮起させる。柔軟で、意識が高く、進んで仕事に取りかかるという、企業が今日必要としている従業員になろうと努力する気にさせる
・職業への誇りや義務感
・何かが社会のものになったとたん、わたしたちは社会規範の領域へといざなわれ、他者と共有するための決まりごとに従うようになる
・社会規範は人々に他者の幸福を思いださせ、その結果、利用できる資源に負担をかけすぎない程度まで消費を抑えさせる

実際の行為と定義的なものを照らし合わせてみる

これらを先のシャワーを手伝う話と照らし合わせていってみます。

・友だち同士の頼みごと
→確かに、行為の内容自体は、その感覚に似ているかもしれない。

・私たちの社交性や共同体の必要性と切っても切れない関係にある
→個人作業に集中していると生まれない。関わる余白があるからできたこと。

・たいていほのぼのしている
→ほのぼのしていた

・即座にお返しする必要はない
→それどころか、お返しを期待する人は全くいなかったように思うし、受けた分を次の人に、という効果はあったように思います。

・社会的交流の特徴をもつ
・社会的交流においては、何かまずいことが起きても、相手方がそばにいて、自分を守り助けてくれると人々は信じている。契約書に明記されているわけではないが、必要なときにはお互いに面倒を見たり手を貸したりするのが一般的な義務だ
→挨拶したり、雑談のきっかけになったりもするので、まさに交流といえる。

・一緒に何かをつくりあげる興奮
→一緒にその人が綺麗になる状態を目指すゲームという意味ではある意味、達成感をかんじられる行為かも。

・社会規範が忠誠心を育てる(企業において)
→忠誠心とは違うかもしれませんが、こういう助け合いが積み重なっていくと、こういうことを行うのがこのフェスだよね!というある種の文化形成につながっていくように思えますね。

・社会規範は人々を奮起させる。柔軟で、意識が高く、進んで仕事に取りかかるという、企業が今日必要としている従業員になろうと努力する気にさせる
・職業への誇りや義務感

→会社ではないですが、1つ前のコメントと同じく、このフェスの善いと感じることを守ろうとする働きは強くなるように思えます。

・何かが社会のものになったとたん、わたしたちは社会規範の領域へといざなわれ、他者と共有するための決まりごとに従うようになる
→他人との助け合うという意味での協力シーンは少なくとも私にとっては最後の五右衛門風呂に入る待ち時間以外はなかなかなかったが、もっと機会があれば、1つ前と同じような現象が起こりやすくなるように思える。

・社会規範は人々に他者の幸福を思いださせ、その結果、利用できる資源に負担をかけすぎない程度まで消費を抑えさせる
→当てはまっている気がする。助け合うことにより、洗い流す行為がスムーズになったり、助け合いの空気が待ち時間を無味乾燥なものにしていなかった気がする。

さいごに

上記の照らし合わせをやってみて、やはりこれは社会規範的行為だと捉えていいのではないか、と確信が強まりました。

また、今回の事例は、社会規範とは?の解像度が高まるだけではなく、どんな環境だとその人の社会規範的側面が引き出されやすくなるのか?というヒントも得られる素材だと思いましたね。

今回で言えば、軽やかにお節介をしてくださっていた女性と、みんなに水をかけてくれていたスタッフの親子の方々(お父さんと息子さん)が引き出されやすい、乗っかりやすい空気づくりをしてくれていたように思います。そう思うと、①スタッフのあり方②自分より先のユーザーの手本といった2つは大事な要素なのでしょう。

社会規範については過去にこちらの記事で考察を進めています。

ここに書いている内容との整合性や、以下の問いなどまだまだ考察の余地がたくさんです。引き続き楽しんでいきます〜!

Q自分のために浮かんだ行動は社会規範ではないのか?

Q対象が人間ではない行為は社会規範ではないのか?

Q人のお困りごとを助けることだけが社会規範なのか?

Q社会規範は市場規範を含んで超えているのかいないのか。

余談

今回紹介した書籍『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』をみる限りは、社会規範はお金が介在しないという前提があるのかもしれません。このあたりは行動経済学の用語を転用することの限界もあるのかなぁと思いつつ。

いいなと思ったら応援しよう!