「タダの箱庭」本をつかった読書会の累計開催数が50回を超えました。
はじめに
5月から本格的にスタートした「タダの箱庭」本を使った読書会の累計開催数が50回を超えました。(累計参加者数は、44名。この記事を書いた時点で53回終了。)
節目だと感じているからか、何だか嬉しいww
そして、何となく折り返しという感覚があり、少なくとも100回まではやりたいと思っています。
参加費も設定していない中なぜ開催し続けることができているのか?
特に参加費を設定しているわけではない中、なぜ続けることができたのか?と言うと、1つには参加し続けてくれている人がいるから。その方々には感謝の気持ちでいっぱいです。また、毎回やるたびに発見があるし、プロセス自体も楽しいということもエネルギー源になっているでしょう。
他の理由は、
やっている方が私らしいというゾーンに今入っているから、とも言えます。これをやらなければ私ではない、というほどアイデンティティの拠り所にはなっていませんが、「やっている方が自然」という感覚が近いかもしれません。だから、続くというわけです。
「やったら○○が得られるから」という理由ではなく、結果の意図を持たずに、やりながら遅れて意味・意義が発見されていく、というプロセスはとても私好みです。
続けている中で何か変わったことがあるのか?
多くの気づきがあり、実際に今までと異なる行動を取ってみるというチャレンジにもつながっているのですが、振り返ってみるとこの本の読書会をやるだけではなく、同時期に行っている以下の取り組みも連動して気づき・学びにつながっていると気づきました。
(1)書籍『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』
こちらの書籍の中で、「所有」というテーマについて西洋人の捉えるそれと、ネイティブアメリカンの捉えるそれがそれぞれ詳しく書かれていることは、タダの箱庭で扱っている人とお金の関係に繋がる部分があり、それぞれの理解が深まっています。
(2)JUNKAN畑を行っているメンバーとの新しい貨幣システムについての対話
JUNKAN畑という、言わば自然農のような実践をプランター・畑問わず、取り組んでいる仲間と共に、新しいパラダイムのお金とは?貨幣とは?どう実験できるか?つくれるか?といったことを哲学・探究している中で、タダの箱庭の本でいう「市場規範」と「社会規範」では表現できない領域におけるやりとりなどについての解像度が高まっていきました。
市場規範でも、社会規範でも表現できないものをあえて記述してみるとしたら?
その結果、ずばり、以下のようなフレーズが浮かびました。
いずれも先の紹介した2つの場を共にしている方々との対話・ディスカッションを経て、浮かんだアイデアとなります。
このように、分けて捉えるレンズを仮置きしてみることができたおかげで、例えば、中心となる動詞は何になるか?などと、それぞれの解像度がアップしています。(現在進行系)
だからこそ、それを踏まえたチャレンジを設計することができ、実践してみることもできています。
このチャレンジとは別ですが、読書会を趣味と実験を兼ねてでスタートした後でこういったプロジェクトに参画し、計画を立てるなど俯瞰して捉えたり、非言語の言語化ができたこともよかったです。
上記の計画書を書いた約2ヶ月半後の経過報告書はこちら。
これからも続けていく中で検証したいと思っている仮説は当初と変わりません。
私自身、参加者にどんなことが起こるのか起こらないのか。引き続き、観察しつつ、取り組んでいきます。
さーて、100回終えた頃にはどんな景色が見えているのだろう〜!
楽しみ。