ゆらぎのとき、ほどける場所
みなさま、こんにちは。福所しのぶです。
今回は、womanプロティアンが運営するnoteマガジン『ウープロWalker』への寄稿です。riekoうさママさんからバトンを受け取り、投稿させていただいています。
前回のriekoうさママさんの記事はこちら。
身近な人が笑顔になる、輝いて見える、そんな瞬間の観察から「好き」が与えてくれる強さを改めて実感する素敵な記事でした。
私も最近の出来事を通して、行動することと緩むことのバランスについてちょっとした気づきがあったので、シェアしたいと思います。
では、どうぞ!
よく、ドラマなどで伏線回収ってあるじゃないですか。
何気なく挿入されているエピソードに、「あれはその後どうなるの?」とか、「そこで繋がったかぁ!」とか。
最近では『虎に翼』にハマりました。あのドラマも現代につながる様々な社会問題に一石投じているというか、伏線が多かったですよね。伏線が巧妙に張り巡らされているドラマほど、面白かったり次が気になったり。
そして、人生にも伏線回収ってあると思うんですよね。
というのは、思えば私の紆余曲折キャリアは高校時代から。
高校入学当時は、翻訳や通訳など、英語使った仕事をしたいと思っていました。でも、英語教育に強い高校に入ってみたら周囲の英語力に圧倒されてしまい、これではとても太刀打ちできないと理系に転向しました。
大学では研究者を目指して博士課程まで進学したものの、時は就職氷河期まっただ中。任期つきの研究職を転々とするよりも腰を据えて働きたい気持ちが勝り、特許事務所の門をたたいて弁理士を目指すことにしたのです。
その頃は、「ヒトゲノムプロジェクト」で各国がしのぎを削っていて、遺伝子関係の案件が増えていたのです。その技術を理解できる人材を確保したいという特許事務所のニーズと、大学院時代の専門とがマッチした、というわけです。
しかも特許の世界は思いのほかグローバル。武器になるほどではないと思っていた英語も、科学分野との掛け合わせで再び強みの一つに返り咲いたのです。
つまり、一旦は挫折したかに思えた英語や研究も、弁理士という形ですべてつながったというわけです。どこにつながるかわからなくても、いずれどこかで伏線回収の時がくる、と信じる原体験になっています。
そして、現在。
長らく天職だと思っていた特許の仕事ですが、突然の難病の自己免疫疾患発症の転機に、以前のように第一線に立つことが難しくなってしまいました。そして、これまでの経験が誰かの役に立てば、と始めたのがキャリアに関する発信です。
一方でなんとなくですが、今は眠らせている弁理士としてのスキルも、スパイラル状に1周回って、前とは違うけれど統合された何かにつながったりはしないだろうか…。今年はそんなことを考えています。
どうつながるかは、もはやロールモデルもない領域で、まったくの手探り。経験的に、ドラマと違って「狙って」張った伏線はあまりいい展開にならないことが多いので、手探りの時ほど「これ、面白そう」という感覚を大切にしたいと思っています。
(狙う場合もありますが、それはどちらかというと結果を織り込んだ「計画」に近いときと考えていて、私の中では区別しています)。
そんな中、アンテナにピピっと反応した一つが、今年新規開講された日経BPさん主催の「女性社外取締役育成塾」。眠らせているものも含めてヒントがありそうな気がして、気づけば参加を決めていました。
そんな感じで、意気揚々と飛び込んでみたのですが…。
実は、今の活動とも、はたまた前職とも違う土俵に立ち入った感が否めません(苦笑)。
例えば、社外取締役というと弁護士やMBAを取得して仕事をしてきた方はニーズにマッチしやすそうな雰囲気を感じます。弁理士となるとスイートスポットを外しているかも…と微妙なアウェイ感。
そもそもヒント探しで飛び込んでいるのだから、焦らず急がず、知見を広げることに集中すればいい。わかっている、わかっているのだ…。と言い聞かせつつも、どこかで弱音を吐きたくもなってきます。
womanプロティアンの『私を語る会』に久々に参加したのはそんなときでした。
メンバーとの近況報告が楽しみな会なので、弱音を吐くなんて思ってもみなかったのですが、ある時ふと「福所さんは行動力でどんな悩みも乗り越えちゃいそう」という感じのことを言ってくださる方がいらして、思わず
「そんなことないですよー(テヘッ)」と返した、そのときでした。
私の中の何かがふっと緩んだというか、鎧が脱げたというか、心の底からこの場があってよかったなーと感じたのです。
ちょっと不思議なのですが、単に愚痴を吐き出して楽になったという感じともちょっと違うのです。弱さをさらけだしたら、内なる自分が「うまくいっても、いかなくても、それでいいんだよ」とOKを出してきたかのような。
弱音は吐いてはいけないと頑張っているのなら、逆説的ですが、弱さを見せられる場がある方がむしろ強く踏み出すことにつながるかも、と腑に落ちた瞬間でした。