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女性研究者に学ぶ、信念を貫く生き方 〜リケジョな子育て Vol.6〜

noteマガジン『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』/第6号です。
このnoteマガジンでは、発行人・福所しのぶが日経xwoman Terraceブログに投稿したオピニオンのうち、「子育て・教育」テーマのものをピックアップしてお届けしています。

今回は2021年11月29日の同名タイトルの投稿から一部再編集してお届けします。元の投稿は、日経xwomanに掲載された記事『ノーベル賞受賞! 新型コロナワクチン開発 カリコ博士の激動人生』(下記リンク)を受けて、感じたことや気づきをシェアさせていただいたものです。

※以下の本文中、「参照記事」とあるのは上記リンクの記事を指します。


コロナウイルスワクチン開発の裏側に、カタリン・カリコ博士という女性研究者の尽力があったのをご存知の方も多いかと思います。

参照記事で紹介されているのは、そのカリコ博士の激動の人生。偉人・賢人の言葉には重みがあるものですが、何かを成し遂げた科学者のエピソードもまた、心に刺さるものです。

参照記事から感じたのは、カリコ博士は行動力、忍耐力、そして信念の人だ、ということ。

中でも特に心に響いたのが、ハンガリー出身のカリコ博士が、国からの研究資金がストップしたときに、アメリカに移住した話。当時、ハンガリーから国外に持ち出せるお金は100ドルである中、闇で得た1000ドルを隠して持ち出したそう。

それが今や大きな成果を手にして一躍有名な研究者に…となるとアメリカンドリーム的なのかと思いきや、その反対で移民であり女性というマイノリティの立場で冷遇されることも多かったそう。そんな中で20年以上くじけずに研究を続けて手にした成果だという…すごいメンタルの持ち主です。

ところで、私のことで恐縮ですが、生物工学(カリコ博士同様、DNAやRNAなど遺伝子を扱う分野です)を専攻していた大学院時代にアメリカのベンチャー企業でインターンとして実験にたずさわる機会がありました。それで、卒業後はアメリカや海外で研究員としてキャリアを踏み出そうかと考えた時期もありました。

ただ、私は小学校時代にアメリカで暮らしたことがあるのですが、それは人種差別の気配がまだ残っていた南部の州。1950~60年代の公民権運動の際にはマーチン・ルーサー・キング・Jr.牧師が活躍したような場所です。

楽しい思い出もたくさんありますが、アジア人であることから「中国人がいるよ!」と指さされたりするなど(日本人だってば…と思うけれど彼らに見分けはつきません)子供ながらに差別の名残を感じる経験もありました。

私が暮らしていたのは1980年代半ば。公民権運動が活発だった頃からすれば30年近くたっていたわけですが、社会の価値観が変わるには相当の時間が必要だったりするものです。

そんなことが脳裏をよぎり、「アジア人」で「女性」という2つのマイノリティを抱えながら研究の道を貫くのはさぞ厳しかろうと考えて、日本を拠点に外国とも渡り合える仕事として特許を扱う士業の道を選んだという経緯があります。

つまり、「白人」「男性」というマジョリティがひしめき合う中で職位・ポジションを競うよりも、技術の知識+日本の法律の専門家という彼らとは競わない土俵を選んだ方が活躍の道が開けそうだと考えたということです。

自分を活かせる場所を柔軟に探していくことも大切だと思う一方、自分が選ばなかった、カリコ博士のような信念を貫く生き方にも強くあこがれを感じます。

何か信念を持てるものに出会ったのなら、周りがどんな環境であってもやり通す、そんな強さがいずれ道を開くこともある。そんな強さ。

いや、むしろマイノリティだからこそ、「自分はこれが好き」「自分はこれがしたい」をきちんと持っていないと流される生き方になってしまうのかもしれません。

理系における女性、マネジメント層における女性もまだまだマイノリティ。信じた道を貫くもよし、柔軟に自分を活かせる場所を見つけるもよし。いずれにしても、自分はなぜこの道を選びたいのか、を意識しておくことが大切な気がしてなりません。

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