『当事者』ではない自分にできること。
こんにちは。物語のアトリエの安藤陽子です。ライターとして働きながら、ひとり出版社を立ち上げて絵本の制作に取り組んでいます。
第1弾の企画テーマは、「ユニバーサルツーリズム」(高齢や障がい等の有無に関わらず、すべての人が安心して楽しめる旅行)。著者は、車いすユーザーの夫・寺田ユースケさんと共にYouTubeチャンネル「多様性バラエティ寺田家TV」を運営しつつ、インクルーシブな社会に向けた講演やコラボイベントを全国各地で開催している寺田真弓さんです。
出版企画を立ち上げて以来、真弓さんと、何度となく話し合っていることがあります。それは、
という問いです。私自身、この問いを小学生のころに抱いて、中学・高校・大学にいたるまで細く長く考えてきたので、今回はそのことを書いてみたいと思います。
動けない・話せない家族と暮らす友人の存在
小学校にあがってから、近所のSちゃんとたびたび遊ぶようになりました。中1でクラスが一緒になると、さらに仲が深まり、たくさんの時間をともに過ごしてきました。Sちゃんのお兄さんは重度身体障害で、住んでいた団地の入口には外付けのスロープが設置されており、いつもお父さんかお母さんが車いすを押して近所を歩いている姿を、日常的に見かけていました。学校や集会所などの室内では、他の人にも手伝ってもらいながら、お兄さんを抱き抱えて階段を上り下りする光景も、よく目にしていました。
そのお父さんお母さんは、いつも朗らかな笑顔で、本当に頻繁にお兄さんと外出していていた記憶があります。私の父は子どもと並んで楽しく散歩するような父ではなかったので、Sちゃん家族がとても眩しく見えました。
Sちゃんは、妹として、多感な時期に色々な感情を抱いていたと思いますが、それを客観的に言語化できる文才の持ち主でした。彼女がお兄さんについて書いた作文を読んだとき、自分より何倍も大人に思えて、正直「遠い存在」のように感じたことを覚えています。
具体的に何かを教えてもらったわけではないのですが、Sちゃん家族が身近にいたことによって、気づいたら自分自身も、「動けること・話せることって当たり前じゃないんだ」という意識を持っていました。
もっと知りたいけど、知る機会は向こうからやって来ない。
中学生や高校生になると、「電車に乗るときはどうするのかな?」「お風呂はどうやって入るんだろう?」「養護学校を卒業した後は?」など素朴な疑問が次々と浮かぶようにもなりました。でも、身近な友人に、ご家族の「障害」について聞いたり話したりすることは「なぜか」ためらわれて、疑問を解消することはありませんでした。
大学に入学して間もないある日、キャンパスの正門前で小柄な車いすの男性がチラシを配っていました。それは、障害者・高齢者とその家族の生活支援を行っている「新宿ライフケアセンター」というNPOのケアスタッフ募集の案内でした。(在学中の2001年にNPO法人化)
「これは自分から知りに行くチャンスかも」と思い、ケアスタッフに登録。大学での4年間、重度の身体障害と知的障害をもつお子さん2人をご家族の留守中に預かる生活介助を経験しました。
私はいわゆる当事者・当事者家族ではありませんが、そういう立場の自分が「無関係」であり続けることに何となくモヤモヤしていたので、「とりあえず自分から会いに行こう」と思ったわけです。
会って交流すれば「無関係」ではなくなる。
新宿ライフケアセンターのケアスタッフとして過ごした時間は、今の自分に大きな影響を与えていると思います。
会って交流すれば、もう「無関係」ではありません。最終的に介護・福祉の職は選択しませんでしたが、ライターとして様々な介護・福祉の現場に赴く機会が少なからずあります。そのつど、新宿ライフケアセンターや、その後ヘルパーの資格を取得するために実習で訪れた特別養護老人ホームやデイサービスなどの記憶をたぐり寄せます。
絵本そのものが「役に立つ」かといえば、そうではないかもしれませんが、誰かと誰かの「新しい関わり」を生み出すきっかけになれば、本当に嬉しいです。