【仏教的人生学科 一照研究室】2016年度前期まとめ

"仏活レポート"の過去記事の掘り起こし。今回は、藤田一照仏教塾「仏教的人生学科 一照研究室」第2期(2016年度)の前期(4月~7月)の受講を終えてのまとめレポートです。
過去に書いた文章を読み返すのは、録音された自分の声を聴く時のような、ちょっとこそばゆいような気分になるものです。これまでに様々な仏活レポを書いてきましたが、塾そのもののまとめは意外としていなかったので、自分で振り返ってみてもいろいろ勉強になります。
ではどうぞ。

【仏教的人生学科 一照研究室 (2016年度前期) まとめ】
4月から始まって、ちょうど5週間に一度の日程に合わせて名古屋から夜行バスに乗って上京して、学び、体験し、味わってきた「塾」が、ほんとうにあっという間に前期最終講を迎え、それを終えたので、自分なりに振り返りをしてみようと思う。
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4回の塾の中で、様々な「ピンと来る」キーワードが、塾生たちと一照塾長との間で共有された。

仏教で自己を学ぶ、その「正しい方向性」について。
(八正道でいうところの"正見"(正しいヴィジョンをもち)、"正思惟"(正しい方向へ向かう決意を携える))

人生を「吟味」すること。

そして、テキストとして皆で読んだ、「The One Who Is Not Busy - connecting with work in a deeply satisfying way」のベースになっていて、塾で私たちが「全身心を挙げて」学ぼうとしているテーマ、禅の公案集「従容録」の「雲巌掃地の公案」と呼ばれている第21則を下敷きにした

「simultaneous inclusion(同時存在的包摂)」

というコンセプト。

「ブッダの教えを身体で頷く」、「家に帰る(帰家穏坐)」、「無限に支えられる有限」、「人生を"行"としてのヴィジョンをもって再構成してゆくこと」、私たちの存在の故郷としての「自受用三昧(与えられた自己をありのままに受け止め、それを生かし切り使い切ること)」。

また、一照塾長自身の参究の今後への目論見でもある、

physical taste of 「  」。

カギカッコの中の空欄には、無常、無我、苦、空、慈悲…といった仏教の諸概念が入る。つまり、仏教の様々な中心教義を、フィジカルレベルで咀嚼された味わいにしてゆくこと。
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これらのキーワード、キーコンセプトの中で、何が私にとって最もピンと来たか。それは、『ピンと来る』こと、それ自体にピン!と来た。
「ピン!」というのは、思考(thinking mind)ではほんとうの意味でとらえることができない。ハラ感覚、肌感覚、仏教のコンテクストで語られる感覚機能「眼、耳、鼻、舌、身、意」のほこりを払って、オープンにしておくことで「ピン!」をsensory mindで受け取ることができる。そしてそれは、special trainingをハードワークでなくてもいいから、丁寧に行ずれば、skillとして身につけることができる。
それから、「来る」というところも大事で、「もっと自分をよくしていく何かを、手を伸ばして取りに行って、外付けしていく」というより、自分はいま・ここに安らいで居て、抽象的な思考ではなく、リアルで具体的な身体感覚を頼りに安らぎを深めていくと、ピン!が向こうから「来る」というイメージを持った。
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仏教を学んで知識を増やす、というより、仏教的なクオリティをたたき台にして、人生をcultivateして、activateして、人生をheartfulで愉快な(joyful)ものにしていこう、という塾のコンセプトにピン!と来たことが参加の動機になって、果たしてピン!と感じたとおりに、今までの人生では考えられなかったくらいに、日々がめくるめいて「超展開」していった。
こういう愉快な流れをもたらした私の身体感覚は、けっこう当てになるものだ、もっと頼りにしてもいいんだ、このsensory mindを信頼してついていってもいいんだ、というのが、この塾で私が得られた洞察の最も重要なことだった。


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ひろさん
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