004 大変な時こそその人の本当の姿が見えてくるのであれば、 大変なときこそ自分をつくるチャンスなんだということ。

おはようございます。本日も書くことができています。朝の5時10分。

昨日までの内容は自分に変化をさせたくて準備をしていた話でしたが、

どんなしんどさかだったのかというちょっとだけ深く掘り下げていこうかと思います。

自分は今45歳で30歳のころから12年くらい商売をしていたのですが、
色々あって辞めなければいけなくなりました。
それが42歳、43歳の誕生日直前のこと。

思い返せばそれくらいから大幅なライフシフトは始まっていました。

いわゆる「パラレルワールド」に迷い込んだかのような。変化でした。

商売をしていた頃の危機的状況から一気にサラリーマン的な仕事になったので、そのころに自分の下で働いていくれていたひとと結婚もしました。
ほどなくして、男の子も授かって順風満帆のように見えていました。

しかし、自分のキャリアを活かしてお店を任されていて、
思ったよりも利益がだせなくて。
今まで個人店でも苦労が多かった時のやり方をそのままに近い状態で
営業のやりかたをスライドさせていたのだから仕方ないといえばそうなんです。

そんななかでコロナがやってきました。自分のやっている仕事はどちらかというとサービス業、休むわけにもいかないし、、会社としては休んでほしいし、利益がでないこともあわさって本当につらい状況でした。

このまま、お世話になるよりも・・・なんて考えがよぎっていました。

そんなときって相手と向き合うのが難しくなりませんか?

そして溝はおおきくなっていきます。

だんだんとつらくなるのは当たり前なんですよね。
自分からよくなるように努力はしてるつもりなのに、
相手には分かってもらえない。
今から考えると相手のことをわかろうとする余裕もなかった。

いてもたってもいられなくなり、退社を決意しました。

コロナで仕事もないだろう中での退社はおそらく大変。

1歳にもならない子供をかかえては不安はたくさんありました。

その時に一番に考えたのは

「子供に見せる背中は自分らしく生きている背中」

実は子供が産まれて、ほどなくして自分の最愛の母が他界したのです。
その時に感じたのは母が最期まで自分らしくふるまっていてくれたこと。
がんだったのですががんが2回も消えるくらいの前向きなひとでした。
ただ、仕事をよくがんばってきた体には放射線治療や闘病がキツかった。

それでも前向きな母の姿には感謝とおつかれさまでした。
という気持ちしかありませんでした。

長くなりましたが、そんな母の最期の姿は
「この世界に見せたかった母自身」が詰まっていました。

自分も最後にはあんな風に自分が貫けれたらいいな、なんて思ったのです。

そして、そのころの混沌とした状況の中で気が付いたのです。

自分の最期に貫くような自分を作るのは今だということに。

大変な時こそその人の本当の姿が見えてくるのであれば、
大変なときこそ自分をつくるチャンスなんだということ。

これに気がついてしまったらもう逃げることはできませんでした。

さて、日課のウォーキングに行ってきます。

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