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鎌倉 妙本寺

鎌倉市の比企谷に位置する妙本寺は、日蓮宗の古刹として知られていますその創建の歴史は、比企能本によって始まりました
比企能本は、鎌倉幕府を支えた13人の御家人のひとり、比企能員の末子です

1203年、北条時政らによって比企一族は滅ぼされます。
しかし、幼少期に京都にいた能本は生き延び、後に鎌倉で日蓮聖人と
出会います。彼は自らの屋敷を日蓮聖人に献上し、
これが妙本寺の礎となったのです

二天門
妙本寺の入口に立つ「二天門」は、1840年に建立されましたこの門には
仏教の守護神である四天王のうち、持国天と多聞天(毘沙門天)が
安置されています。朱色に塗られた弁柄塗りと中央に彫られた
龍の彫刻が見事な美しさを放っています

祖師堂と一幡之君袖塚
祖師堂は日蓮宗の開祖・日蓮聖人を祀る堂宇です
その前には、「一幡之君袖塚」があります
一幡は、頼家の側室で比企能員の娘・若狭局との長男です
1203年の比企の乱で命を落とし、焼け跡から見つかった小袖を祀るために
建てられました

比企一族の墓祖師堂の右手には、比企一族を弔う四基の五輪塔と
その両脇に立つ石塔があります

蛇苦止堂
妙本寺の守り神を祀る蛇苦止堂は、総門から左手に位置します。
ここには、若狭局が比企の乱で焼かれた屋敷から逃れる際に
飛び込んだ井戸が残されています

竹御所・鞠子の物語
鞠子(竹御所)は、源頼家と若狭局の間に生まれた娘です。
1219年に源実朝が暗殺されると、鞠子は源頼朝の血筋を引く
唯一の人物となりました

1230年、28歳で四代将軍藤原頼経の妻となり、頼朝の血を引く
御台所として迎えられました。しかし、1234年に男子を死産し、
鞠子自身も命を落としてしまいます。その遺言により、
妙本寺には彼女の遺骨が葬られたと伝えられています

佐竹やぐら

新釈迦堂跡に残る「佐竹やぐら」は、佐竹与義(上総介入道常元)
主従13名が自刃したとされる場所です。ここもまた、
妙本寺の歴史の一端を伝える重要な史跡です


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ライフリメイクタナカ
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