第20話 岡崎クーデター
大岡弥四郎「私はあちらの船とこちらの船をよく見比べて、
あちらに乗った方が良いと判断したので、沈む船に居続けるは
おろかでござる。」
石川数正 「我らは沈む船と申すか?」
大岡弥四郎「浜松の殿の才と武田勝頼の才を比べればおのずと・・・」
徳川信康 「わが父まで愚弄するか!」
大岡弥四郎「ずーっと戦をしておる。ずーっとじゃ。
織田信長にしっぽを振って、我らに戦って死んで来いと、
ずーっと言い続けておる。なんの御恩があろうか!」
平岩親吉 「お前には忠義の心というものがないのか!」
大岡弥四郎「くだらん!御恩だの忠義だのは、我らを死にに行かせるための
まやかしの言葉じゃ!皆もこりごりなんじゃ。
終わりにしたいんじゃ。だが、終わらん。
信長にくっついている限り、戦いは無限に終わらん
無間地獄じゃ。遅かれ早かれ死ぬのであれば、
ひと時でも欲にまみれる夢を見た方がましじゃ!
飯をたらふく食うて、酒を浴びるほど呑んで、
いいおなごを抱いて、なぁ~みんな!」
大岡弥四郎の放った言葉は、真っ当な言い分だと私は思います。
徳川家康「なぜ、儂に使える気になったのか?(中略)
民は儂のことをバカにして笑っておるらしい。なのになぜ?」
井伊虎松「だからこそです。私は幼い頃より民が悲しむ姿や苦しむ姿ばかり
見て参りました。しかし、殿の話をする時は皆、
愉快そうに大笑いします。民を恐れさせる殿さまより民を笑顔に
させる殿さまの方がずっと良い。きっとみんな幸せに違いない。
殿にこの国を守って頂きたい。
心の底では皆、そう願っているかと存じます。」
大岡弥四郎も井伊直虎も現状をみて判断した言葉です。
しかし、共通している所が1点あります。
将来に対しての予想をどこでしたのか?です。
大岡弥四郎は、信長についている限り・・・つまり、押さえつけられ続けていれば、この現状は終わらない。
自分たち当事者目線でどのように考えたのか。
将来を悲観したものです。
井伊虎松は、押さえつける殿さまより笑顔にさせる殿の方が良い。
だから、この現状を変えることが出来る。
民の目線から自分のものの見方を変えた考えです。
将来に希望を持つものです。
どちらも、将来に対して自分なりの解決方法を考えての行動です。
しかし、戦ばかりしてきた大岡弥四郎も争う方法しか思いつかない。
井伊虎松は、民と接している時間が長く多くのものの見方をして、
信長に押さえつけられているけれど家康に仕える方法を決断しました。
一人の考え方で動いても所詮一人の考え方です。
しかし、多くの人の意見を聞くことで一人だけど多くの
見識を得ることが出来ます。
だからこそ、本音で話せるグループ療法が交流分析の根幹にあります。
しかし、人は都合の良い情報だけを選択するクセも持っています。
押さえつけられていることに不満を持っていた大岡弥四郎は、
押さえつけらる方法をしか知らなかったので、そんなつもりはなかったのだけど、押さえつけるチーム作りをして、裏切り者を出してしまいます。
なかなか、当事者になってしまうと気がつかない事ではありますが、
気づきと自己理解を勧めるために交流分析は、役に立つツールです。
ちょっと、偉そうに書いてしまいましたが、実は大岡弥四郎と
岡崎クーデターのことを知らなくて調べちゃいましたw
さて、話は変わりまして・・・
家康とも武田信玄とも関係のある寒川神社に
お参りに行ってきました。
茅ヶ崎と厚木の間にある寒川神社ですが、
最寄りの駅はJR相模線の「宮山」となります。
駅の改札口を出て目久尻川を越えた先にあります。
と、書くととても遠くに感じてしまうかもしれませんが、
駅から歩いて5分ですw
ただ、橋を渡り最初の信号機を左に曲がると宮山神社があります。
寒川神社末社ですが、合祀神社に祀られている神様をみると、
ここだけでも、すごいのですが?・・・と思ってしまいます。
今回は行かなかったのですが、古代には一の鳥居の辺りまで海だったそうで、一の鳥居の周辺には貝塚も発掘されているそうです。
今や一の鳥居の目の前はJR相模線が走っていますw
個人的に、この神門から本殿を正面からみるのが1番好きです。
御神体は、
寒川比古命(さむかわひこのみこと)
寒川比女命(さむかわひめのみこと)
二柱の神を寒川大明神と奉称しています。
でも、古事記には出ていない神様だったりします。
雄略天皇の時代には記録があるようなので、1600年以上の歴史があると
言われております。
また、水の神様だけに厄払いで有名で八方除の祈願に来られる方が
多くおります。
私もその一人ですけど・・・w
さて、この寒川神社は、古くから八方除で有名だったようで、
源頼朝、北条義時、武田信玄も立ち寄ったそうです。
武田信玄は小田原城攻めの時に兜を奉納しました。
徳川家からも代々、宗敬されていたようです。