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短編小説『明太子茶漬け、食べり。』
『食べり。』
博多の方言で『どうぞ、食べて。』
ただ今、午前3時過ぎ。仕事帰りの絵美が来る。
『もう着く』と絵美からのメッセージで、先にドアをそーっと開けた。階段でヒールの音が響かないようにつま先だけで登ってくる。
無言で部屋に入ってから、息を止めていた絵美は床に座り込んだ。
「ばーり疲れたっちゃけど!あかり、お腹空いたぁ。」
「エミりん、今日もお疲れさま。」
床に座り込んだ絵美が放り投げたバッグや、加熱式タバコ、手土産をテーブルに移動させた。
「あ、それ。明太子ね。お客さんからもらった。」
絵美は床に寝転がりながら、むくんだ脚を親指で押している。
早速キッチンに移動して桐箱の明太子を開ける。桐箱に入った明太子は贈答品で、博多に住んでいても滅多にお目にかかることはない。
「よき明太子、ありがたいやつ!」
私はテンションを上げた。
ひと腹取り出す。サッと切ったらアルミホイルに乗せてグリルへ。
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「ねぇ、あかりはさ、別れる時ってLINEあり派?」
絵美はスマホを見ながら訊く。相談があると言っていたのはこのことだった。
「どうしたと?彼氏となんかあったん?」
「女としての価値を保ちたい。」
「ん?」
「アイツといると、ダメになる。」
「珍しく長く続いとったのにね。まぁさすがにLINEはキツすぎるっちゃない?」
常温水のペットボトルキャップを開け、ゆるく閉めて絵美に渡した。
「あと2年は付き合えると思っとった。」
「なんでダメやったと?」
「ニューヨークでクリスマスを迎えられんけん!そんなん興味ないやろうし、逆に盛り上がりに欠ける存在感すらあるやん。」
絵美の辛辣さは爽快ですらある。
「一緒に行こうって誘ったと?」
「んなわけないやん、興味ないのわかっとるし。」
絵美は、好きな時に好きなだけ食べたり飲んだり、たっぷり眠ったり全然眠らなかったりしたい人。行きたいところには、最大瞬間風速で行きたいし、思う存分楽しみたい。
絵美が言うところの『女としての価値』とは、自律と自由から生み出される艶っぽさなのだ。
ちなみに絵美の好物は、お茶漬け海苔。海外にも絶対に持って行く。
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今の絵美にはお金をふんだんに使ってくれる男性が何人もいる。絵美は相性のいいお客さんを繋いだり、邪魔をせずに商談を流れに乗せる素養がある。
博多出張の日程が決まるとすぐに絵美の予定をおさえる人が多く、夜に働くスケジュール的ストレスもほとんどない。
「今の彼氏ってもともとお客さんなんだよね?なんで付き合うことになったんだっけ?」
「んー。1番地味やったけん。何でも1人でできるのに、接待だけ困ってたから。」
「すごい営業力あるんやろ?」
「とはいえ、相手の好みに夜領域が入るとゲキ弱なん。そこがおもしろくてさ。」
絵美の姉御肌が功を奏した。
「しかも、いつ行っても部屋がきれい。パスタも作ってくれる。私は何もせんでいい、ラッキー。女っけも全くないのが潔いいっちゃん。」
「いいね、めっちゃいい。」
「でもすっぴんが好きって言ってくると。そこがウザいっちゃけど。」
「え、誉め言葉やん。」
「完璧なメイクの価値をわかってないとって。お金と研究の積み重ねやし。私はいつも女感を出していきたいと。」
「それが嫌なんやろうね。夜モードを消してほしいんやろうね。」
「やっぱりそこだよね。なんだかんだそこっちゃんね。」
絵美はまだ独身でいたい。夜の仕事も誇りを持ってやっている。しかし、付き合う時から結婚を視野に入れていた彼との会話が少しずつ変わっていく。
その空気が絵美にとっては嫌悪感がぬぐい切れないとか、正直なところ結婚に興味がない、そんなところだろう。
ごはんをよそって、お茶漬け海苔、明太子をのせて、ゆっくりとぐるぐるお湯をかける。
「絵美、明太子茶漬け、食べり。」
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絵美はずずっとだしを飲んで、ぷふぁーと言ってみせる。
「沁みる?」と私がにやけると、絵美は微笑んで「あかりも、食べり。」と言った。
「ありがたく、よばれます。」
2人で食べる明太子茶漬け。上質な明太子こそお茶漬けにぴったり。炙ることで粒が強くなって、お湯をかけてほどけていくまろやかさと辛味が絶妙。
「絵美、めんどくさくなるとリセットする癖、ストップせんと。」
「あ、バレた?」
「毎回それやん。たぶん、それしたら彼はサクッといなくなると思うよ。」
「あ、そういう雰囲気ある。やっぱ好きだわ。」
絵美は彼氏におやすみLINEを送る。
明け方のお茶漬けは、最高。
おはようの君も、これからおやすみのあなたも、ちょっといいことがありますように。
あなたも明太子茶漬け、食べり。
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