ヒストリー⑪始まりの日・2004年10月
ライフリンク 苦難の船出
NHKを退職した清水康之代表らが立ち上げたNPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」を待ち構えていたのは、厳しい財務でした。
初年度は、年1万円の会費を払ってくれる人が十数人と、企業の助成団体からの30万円が収入のほぼすべてでした。翌年度はジョンソン・エンド・ジョンソンの社会貢献委員会から100万円の支援を受けましたが、人件費をねん出できる状況ではありませんでした。
企業を回っても「あなたの団体に支援していることがわかると、うちの自殺者が多いと思われてしまう」と断られていました。
事務所もなく、喫茶店をはしごしながらの仕事を続けました。東京23区内のルノアールの場所をほぼすべて把握したといいます。しかし、貯金を取り崩しながらの活動は、ついに首が回らなくなり、都内の賃貸マンションを引き払い、埼玉の実家に戻ることになりました。
清水代表が苦闘を続けている時、別の場所でも自殺対策に取り組む流れができつつありました。
ライフリンク設立の翌11月、民主党内に「自殺総合対策ワーキングチーム」が立ち上がりました。座長は、山本孝史さんでした。
山本さんは、2001年7月、参院議員として国会に戻った時、あしなが育英会の幹部から自殺対策の必要性を強く訴えられました。
育英会幹部の言葉を重く受け止めた山本さんは、その後も、地道に自殺対策の研究を続けていたのでした。秘書の東加奈子さんらが、国会議員の調査権を活用し、海外での実践例を集め、分析していました。
その成果は、A4判で60ページを超える資料にまとまりした。海外の対策や国内の動き、法制定へのシミュレーションまで書き込まれた画期的な内容でした。
=続く 次回は、⑫2005年2月編「強力タッグの誕生」です。