ヒストリー①始まりの前に
そして、時計の針を20年以上、戻してみます。
1999年秋 自殺者3万人の時代が来た
「98年の自殺者が97年の2万4千人から3万2千人に急増」。衝撃のニュースが新聞の見出しになりました。
これを見たあしなが育英会の職員の方々は「これは大変なことになる」と危機感を募らせたといいます。
交通遺児の支援から始まったあしなが育英会ですが、自殺で親を失った遺児にも奨学金を貸与していました。
のちに副田義也・筑波大学名誉教授らが人口動態統計などを分析してわかることですが、3万2千人の自殺者とは、毎日30人の遺児ができていることを意味していました。これは交通遺児の4倍にあたる人数でした。
あしなが育英会は自死遺児のケアに乗り出します。最初の一歩となったのはが「自分史語り」でした。
「自分史語り」は、交通遺児たちとの間で始まった取り組みでした。遺児たちは、ともに語ることによって連帯が生まれ、前向きに生きる力を手にしていました。
同じように、自死遺児たちを励ますことはできないだろうか、とあしなが育英会は考えたといいます。
ただ、自死遺児たちが親との死別体験を語ることは、次元の違う負担が求められます。
周囲の人たちにも、触れてはいけないこと、思い出させてはいけないことだという見方もありました。
しかし、その「封印」がついに解かれることになります。
この年の秋、東京都の街頭募金の場で行われたあしなが学生募金オープニングセレモニーで、自死遺児の大学生らが初めて自らの死別体験を語ったのです。
それまで、誰にも言えず、胸の中にためこんでいた思いを伝えました。顔と名前は伏せられましたが、報道もされました。この勇気によって自死遺児の支援活動が始まり、その後、一気に加速することになります。
=続く 次回は、②2000年1月編「自死遺児たちの突き刺さる言葉」です。