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きょう心にしみた言葉・2024年6月26日

「私は天を恨み地を恨み、すべてのものを恨みました。一生懸命まじめに生きてきた私たち家族がどうしてこんな目に遭わなければいけないのか、何度も問いました。
 ところが、あの日、メイク・ア・ウィッシュで夢をかなえた日、ふと、その肩の力が、恨みの気持ちが抜けたのです。そうか、小さな楽しみや目標を前においていけばいいのだ、と思えたのです。庭でバーベキューをしよう、とか近くの公園まで散歩に行こう、とか‥‥」

「メイク・ア・ウィッシュの大野さん」(大野寿子・著 メディア・ファクトリー)

「メイク・ア・ウィッシュ」は英語で「ねがいごとをする」という意味のボランティア団体です。3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ、生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと活動しています。「メイク・ア・ウィッシュの大野さん」は、1994年にこの活動に加わり、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンの事務局長を務めた大野寿子さんの著作です。
冒頭の言葉は、1996年、メイク・ア・ウィッシュが島根県匹見町の6歳の少年の夢だった「バスの運転士になりたい」を叶えた時、お父さんが語ったものです。6歳の少年は突然、脳の難病を患い、人工呼吸器をつけて治療を受けていました。夢のバスの運転士にしてあげたい。メイク・ア・ウィッシュをはじめ多くのボランティアたちが力を合わせました。少年は制服を着て運転士の任命式に臨みました。臨時便として登場した「夢のバス」には100人もの人たちが乗降し、停留所の「びょういん」と「げんきまち」の間を何度も往復したのです。
お父さんの述懐「そうか、小さな楽しみや目標を前においていけばいいのだ」は、小さな楽しみや目標が大きな力になることを教えてくれます。

メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンで、子どもたちの夢をかなえ続けた大野寿子さん。その大野さんに肝内胆管がんが見つかったのは今年2月のことでした。腫瘍は約7センチに膨らみ、リンパ節に浸潤していました。手術や放射線治療は不可能で、終末期医療を視野に入れて、今は自分の夢に向き合っています。子どもたちを紹介した自著「メイク・ア・ウィッシュ 夢の実現が人生を変えた」はすでに絶版になっていますが、できるだけ多くの人に読んでもらいたいと、無料(協力してもらえる人には有料)配布を決め、自費で500部を刷り直しました。大野さんの近況を伝えたコラムです。

大野さんの取り組みは、Xでも発信されています。

6月21日の投稿です。
「多数のお申込みありがとうございます 昨日納品された分は順次発送を行っておりますが 想定を上回るお申込みをいただいたため増刷を行います KADOKAWA様のシステムトラブルによりお届け時期が未定ですが判明次第お知らせします ご迷惑をおかけしております #メイクアウィッシュ #最期の大野プロジェクト

少しでも多くの人に、大野さんの夢が広がりますように。

2006年2月発行(注)現在増刷・配布中の著作とは別のものです。

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