ヒストリー⑥始まりの前に・2001年2月
シンポジウム開催、遺児たちの決意
2001年2月に開かれたあしなが育英会の自死遺児ミーティングでは、またひとつ新たな提案が生まれました。
文集「自死で遺された子ども・妻の文集 自殺って言えない」に寄せられた反響の手紙を読み合ううちに、参加した自死遺児たちから「今度は自分の生の声で、心の痛みと体験を語りたい」という声があがったのです。
そして「シンポジウムを開催してはどうだろうか」と。
あしなが育英会の幹部たちも「この問題に向き合うことは社会のあり方を考え直すことにつながる。感傷にとどまるのではなく、社会問題として訴えていく必要がある」と同意しました。
こうして、全国を行脚する連続シンポジウムが組まれたのです。
シンポジウムは4月から東京、福岡、佐賀、名古屋、秋田、熊本、松山、広島、新潟と開かれていきました。開催場所によっては、自死遺児だけでなく、がん遺児、犯罪被害の遺児も登壇しました。
濃密な時間が繰り返し共有されたことで、自死遺児たちの意識にも変化が生まれていきました。
ずっと遺児たちに寄り添ってきたあしなが育英会の幹部の一人は振り返ります。
「人の前で話すことで、彼らは自らの体験を社会的視野の中で考えられるようになった。ついに自殺問題を考える『当事者』が誕生したのだ。そもそも『当事者』がいないと、その問題を解決する運動も環境をつくれない。とりわけ自死の問題は、『当事者』の意識が何よりも大切になる。『当事者』とは、その立場にあるというだけでなく、強い意思をもって自らの役割を担ってこそ、なれるものだから」
=続く 次回は、⑦2001年7月編「いのちの政治家 山本孝史さん」です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?